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第12話
修行中の身であっても、きちんと休暇は与えられる。
とはいえ、今の私の生きがいといえば彫金と師匠であり、これまであまり休みらしい休みをとろうと思ったことがなかった。
しかし今日、休暇を利用して王都にまで来ていた。
競馬の会場に顔を出すためだ。
ここは貴族の社交の場であり、会場では競馬と射的が開催され、貴族が自慢の馬や射手を披露し、賭けが行われる。
目的の人物がこれらを好んでいると知り、私は全く興味のない競技の会場に顔を出した。
競技を観覧する人々の中に目的の男を探す。
その姿を見つけ、隣接するテントに引き上げる後ろ姿を追った。
彼の名前はタンギ・ガイハン。
家名が前に付くことから、タンギ家の当主であることが知れる。
師匠へオーダーを続ける例の男だ。
テント内で私と目が合うと、ガイハンは少し記憶を辿るように視線を巡らせた。
人好きのする笑顔を作って近づき『シロガネの元で修業をしている』と言えば、ガイハンもすぐに私を思い出した様子で、気前良く高い酒を勧めてきた。
貴族が職人の元で修業をするなど通常ありえない。ガイハンは興味深げに私の弟子入りの経緯を聞いてきた。
そんな話をきっかけにして、私もガイハンに師匠との関係を聞き出そうと思ったのだ。
ガイハンは紳士的な振る舞いを崩すことはなかったが、私がさも師匠との関係を知った上でガイハンに興味を持ったかのように装えば、また屋敷で見せた舐めるような目つきに変わり、口調もねちっこくイヤらしいものとなった。
そして、私はガイハンがオーダーしたものの正体を知った。
嬉しそうに、見せつけるような手つきを交えて使い方を説明し、これまでオーダーした品に関してもペラペラとしゃべる。
そして、シロガネの装飾品の素晴らしさをたたえ、今回が最後のオーダーとなるのを惜しんだ。
最後のオーダーと聞き、仕事上のこととはいえ師匠とこのいかがわしい男との関係が終わることに心底安堵した。
けれど、気になっていた採寸の様子をこの男の口から聞かされ、そんなホッとした気持ちは吹き飛んでしまった。
それでも、師匠の面目のために笑顔は絶やさず、耐えられる限界まで男の話を聞いた。
あらかた話を聞き出し、にこやかに挨拶をして男の元を離れる。
話を聞いてる間、握りしめていた拳を解くと、痺れるような痛みが走った。
さらにヒリつく手を開いて見れば、強く握り込みすぎたせいで掌にツメが食い込み血がにじんでいた。
手を開いたことにより巡った血は、ドクリと溢れて丸く膨らむと、とどまりきれずに指を伝って床にまで垂れた。
◇
その日は工房に戻らず、王都の実家の屋敷でゆっくりと頭を冷やした。
師匠とガイハンの関係は、職人と顧客であり、それ以上でも以下でもない。
彼の仕事を請けた事情も、師匠が私に話した通りのようだった。
私はただの弟子で、二人の取引に口を出せるような立場では当然ない。
それでも怒りが沸き上がり、抑える事ができなかった。
この感情がなんなのか、私にもわかっている。
義憤ももちろんある。
けれど多くを占めるのは嫉妬であり、お門違いな独占欲だ。
子供の頃、初めて『シロガネ』の作品を目にした時に、その細工の繊細さと、優美な世界観に私は恋をした。
そして、どうしてもと両親にねだり続け、進学の祝いとして『シロガネ』に腕輪をオーダーしてもらった。
美しい『シロガネ』の装飾品を手に入れたいというのももちろんだが、それ以上にこの細工を作る人物に私はどうしても会いたかったのだ。
十四歳にはなっていたが、オーダーに際して美術的な表現などできるわけもなく、上手く希望を伝えることができなかった。
それでも、私を子供扱いすることなく静かな物腰で丁寧に要望を聞いてくれる職人に私は好意を持った。
そして、拙い言葉で伝えられた要望を最大限取り入れ、成長も見越してサイズを変えられるものをと工夫した『シロガネ』の腕輪は、私の宝となった。
毎日その腕輪を手に取って見つめ、これを作った人物を思い返すうちに、私は自分の彼への気持ちが恋であることに気付いた。
作品への憧れと、彼自身への恋心は、私の弟子入りしたいという気持ちをどんどん強くしていく。
しかし、家族から出された様々な条件をクリアし、官吏として採用され、弟子入りが現実的なものとなり始めた頃には、恋心よりも彫金への関心のほうが強くなっていた。
この道で生きていくのだという意識を強くしたということもある。
それに加え『シロガネ』本人を王都で見かけることは稀で、数年姿を見なければ恋のときめきはその歳月とともに薄くなっていたのだ。
この道を極める、弟子入りのときにはその思いばかりだった。
にも関わらず、三日も経たずして、私はまた師匠となった彼の懐の広さや慎ましさ、そして言葉では言いあわらせない彼のすべてに恋をしてしまっていた。
弟子として彼の元に身を寄せ一年と数ヶ月、不埒な気持ちを全く持たなかったと言えば嘘になる。
けれど、師匠の純粋さを、自分の邪 な欲望で穢すことなど考えられなかった。
恋する相手から学び、共に働けることで、私は充分に満たされていたのだ。
しかし、あの男。
ガイハンはそんな師匠の純粋さを弄んだ。
師匠がどう感じているのかはわからない。
それでも、私は許せなかった。
ガイハンだけでなく、ガイハンの過ぎた悪ふざけを受け入れてしまう師匠も許せなかった。
煮えたつ頭を屋敷でどうにか冷やし、翌日谷あいの工房へと戻った。
師匠の顔を見た途端に八つ当たりしてしまうようなことはないだろう。
けれど、怒りも嫉妬もくすぶったままだ。
このままにはしておけない。
様々な感情がどろどろと溶けて、行き場をなくしたまま私の胸の底に渦巻いていた。
◇
めずらしくクロムが休暇を取って外出をし、そのまま夜になっても帰って来なかった。
クロムもいい大人なのだから、いくら師匠だからとはいえ一晩戻ってこなかっただけでとやかく言う権利はないだろう。
でもまた帰ってこなくなってしまうのではないか……。
そんな不安に揺さぶられた。
しかし次の日の午後クロムは工房に戻り、まだその日も休みのはずだったが、いつものように明るく熱心に私を手伝ってくれた。
自分に向けられるクロムの笑顔にホッと安堵した。
なのに、どこか違和感があった。
それが何か、結局わからなかった。
けれど、それからクロムはごく稀に笑顔の下に苛立ちを隠しているような、そんな表情を見せるようになった。
クロムの変化が気にかかりながら数日が経ったある日、俺は王都へ納品のために出かけた。
最近ではクロムが俺の代わりに納品へ行くこともあるが、今回は少し都合の悪い品が含まれていた。
しかし、そんな仕事も今回で最後だ。
依頼主と顔をあわせぬよう、使用人にその品を渡して俺はそそくさと屋敷を後にした。
もう一件、こちらも同じく最後の仕事で、クロムには知られたくない品だった。
無事納品を終え、俺は晴れやかな気持ちで工房へ戻った。
胸のつかえが取れた気分だった。
依頼者の一人であるガイハンと顔をあわせることなく帰って来れたというのも大きい。
あの男は、いくら無反応を貫いても執拗に俺をからかおうとする。
そのことが本当に苦痛だった。
しかも、最近クロムがあの男のこと気にし始めていた。
あの男から請けた品のことをクロムに知られたら……と思うと、気が気ではなかった。
また懲りずに同じようなオーダーをしてくるかもしれないが、義理は通した。
気の乗らないオーダーを断ることに、もう躊躇することはないのだ。
工房内を覗くとクロムが何か作業をしていた。
言いつけていた作業がないときは、クロムは磨きや細工など自ら課題を設定し彫金の練習をするのが常だ。
「今戻ったよ」
声をかけると手を止めクロムが小さく微笑む。
いつもと変わらない態度だ。
けれど、ここ最近感じていた違和感がさらに濃厚となるような微笑みだった。
見ると、磨き仕上げをしていたようだ。
ぱたぱたと道具を横に避けたことから、作業を終えたことがわかる。
「仕上がりを見ていただけますか?」
そう乞われて、クロムのそばへ行き、その手にあるものを見て俺は固まった。
「どうですか?滑らかで傷ひとつなく、いい仕上がりにできたと思うのですが」
そう言ってクロムが手に取って見せたのは、持ち手の部分に花と蝶の装飾が施され、全体で二十五センチ程度、金属のリングが付けられた棒だった。
棒には緩やかに複数のくびれがあり、先端部分は小さくだ円に膨らんでいる。
クロムの手によって艶めき濡れたように美しく磨き上げられたソレは、今日、ガイハンに納品したモノの試作品だった。
クロムの掌の温もりでソレに施された花の細工がゆっくり開くのを俺は立ち尽くして見つめた。
表情を変えることもできず、全ての思考が押し流されてしまったように何も考えられなかった。
「師匠?………いかがですか?」
目の前にその金属の棒をぶら下げられる。
けれど、俺は息もできず、ただそれを眺めるばかりだ。
製品より少し装飾過多で動きも悪い……など、それ自体の評価を思い浮かべるが、それも現実逃避に過ぎない。
「先日お休みをいただいた時に、王都で競馬に参りました。その際に、ガイハン殿とお会いしましてね」
その言葉にゆるゆるとクロムの顔へと視線を移した。
けれど、口元を眺めるだけで、その目を見つめることができない。
「色々とお話を聞かせていただきました。過去オーダーした全てが、ガイハン殿自らが細かな構造まで指示をした品で、またその全てに試作品もあると」
そう言ったクロムの作業台の上には、鍵をかけて物置部屋に置かれていたはずの箱の中身がいくつか置かれてあった。
「デリケートな品故に、必ず試作をするようガイハン殿から頼まれていたそうですね。ですが、試作品なので仕上げまではなさっていないようでしたので……いくつかこのように磨き仕上げをさせていただきました。師匠のまだ見ぬ作品にふれられ、嬉しく思います」
淡々と語り、美しく磨き上げられ輝きを増した『試作品』をクロムが手にとって見せる。
けれど、クロムがそのようなモノを手にするところなど、俺は見ていられなかった。
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