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第15話

あんなことがあったにも拘わらず、師匠は変わらぬ態度で私に接してくる。 そんな師匠の寛容さをいいことに、卑怯な私は図々しくも何事もなかったかのように弟子の立場におさまったままだ。 けれど、そんな師匠の寛容さが、厚かましくそばに居続ける私をじわじわと追いつめていた。 本来ならば、あんなことまでするつもりではなかった。 ガイハンの悪趣味と師匠への無礼をなじりながら、私はそれをはるかに上回る屈辱を与えてしまった。 師匠が何かを隠していることに気付かなければ。 あの試作品の箱の鍵に気付かなければ。 ガイハンに近づかなければ。 そんな仮定をいくら考えたところで、そして何事も無かったように振る舞ったところで、私自身が無かった事には出来ずにいた。 拘束され、自ら作った性具を見せつけられ羞恥に染まる師匠を見ていたら、圧縮された欲望が噴出するのを抑えられなかった。 散々弄び、辱めておきながら、事が終って疲労のあまり気を失うように寝てしまった師匠の惨状に、自分のしでかしてしまった事を恐れた。 どうにか冷静を取り戻そうと師匠の拘束を解き、身体を清め、休憩室の寝台に寝かせたが落ち着かず、ひとり自宅に戻って、自らの過ちを切り刻むような気持ちで夕食を作った。 あんな事があったあとだ。私の居る家に、師匠が戻ってくるはずはないだろうと思っていた。 工房にももう立ち入らせてはもらえないかもしれない。 自室でひとり罪の大きさに怯え、膝を抱えて息をひそめる。 欲に負け、再び己の道を閉ざすような真似をした自分を呪った。 それからどれだけ時間が経ったのか。 師匠が家に戻って来た気配があった。 耳をそばだて様子を探ると、師匠は私の作った料理を口にし、そのまま自室で寝入ったようだった。 私は座り込んだまま、眠る事も出来ずに一晩を過ごした。 次の日の朝、師匠は私の目の前で、私の作った朝食を食べた。 あきらかに様子のおかしい私を見て見ぬ振りをし、不自然なくらい当たり前の日常が始まった。 今までと同じように過ごしてはいるが、今までと同じでいられるはずはない。 特に夜になると落ち着かなくなり、私はそれまであまり一人で行くことのなかったふもとの町に、一日おきに飲みに出るようになった。 師匠は私と目を合わせる事がさらに少なくなった。 一瞬目が合っても、スッとそらす。 その度に私は自分の愚かしさを再認識させられる。 目をそらす師匠の様子に自分がしでかした事への後悔を感じるだけではない。 恥ずかしそうに細められるその目に、凝りもせず私の心臓は高鳴ってしまうのだ。 純粋だった師匠への思慕が、欲にまみれていくのを実感する。 それまでだって入浴を手伝いながら、子供じみた欲を満たしていたのは事実だ。 けれど、その欲は淡く、ふれる事は出来ても手に入れることなど叶わないと初めから諦めていた。 当然、今は師匠の入浴の世話など出来るはずはない。 ……けれど、そうやって自分を抑えていられたのもほんの二週間のことだった。 気付けば私は仕事に打ち込む師匠の首筋に伝う汗をじっと見ていた。 この人は、どこまで私を許すつもりなのか。 今この汗を舐めとれば、どんな顔をするだろうか。 私に貫かれながら、苦しげに顔を歪めた。 けれどいつか貫かれながら、優しい微笑みを向けてくれるようになってくれるのではないか。 そんな妄想に取り憑かれる。 師匠が一旦作業の手を止め、ふっと息を吐くと、『こっそり』といった風に私を伺い見た。 当然目が合い、師匠は少し首をすくめて気まずそうに目をそらす。 すぐに目が合った事に、かなり驚いたのだろう。 耳が少し赤くなっている。 師匠のそんな様子を見て、私は一人工房を抜け出した。 頭を冷やすためだ。 休憩は自分の作業にあわせ、自由にとる事が許されている。 工房を抜け出しても、不審がられはしないだろう。 ……いや、師匠のあんな様子を見てすぐに抜けだしたんだ。何か感じるところがあるかもしれない。 けれどあのままあそこにいたら………また、抱きしめて、キスして、貫いて……。 仕事中にも関わらず、そんなことしか考えられなくなってしまっていた。 工房のすぐ裏手の林道に入る。ほんの少し歩けば、小さく開けた高台に出る。 切り株に座って、谷の風景を眺めた。 いつもなら、胸のすくような気分の良さを味わえるが、今日はとりあえず頭を空っぽに出来ただけで満足だった。 なのに工房を見下ろせば、切なさに胸を締め付けられる。 ………ガイハンの悪趣味な求めに何年も応じ続けていたのだから、私の愛にも応じてくれていいはずだ。 無茶苦茶な理屈だとはわかっている。 けれどそんな想いが止められない。 師匠が何事もなかったふりをしてくれるなら、その意志に従うべきだ。 けれど、あの人はどこまで私の欲に素知らぬ振りを続けられるのか、試してみたくなる。 私の想いから、目をそらせないようにしてしまいたい。 ぐっと目を瞑ると、見開いた目で空を睨む。 全く捨てきれない欲を、この空に捨てた気になって工房へと戻った。 工房の作業場に師匠の姿がなかった。 休憩室を覗いてみたが、そちらにも居なかった。 まさかと思いながら物置部屋の扉に近づくと、わずかに隙間が開いていた。 あんな事があった現場だ。師匠はあれからわかりやすいくらいこの部屋を避けていた。 なぜここに……そんな想いで立ち尽くしていると、中からギシリとソファが軋む音と、かすかに師匠の独り言が聞こえた。 「クロム……すまない」 小さな声だが、そう聞こえた気がする。 師匠がなぜ私に謝罪の言葉などつぶやくのか。 しかし、今の状況から私が導きだせる答えは一つしかなかった。 この二週間、師匠は何もなかった振りをしていてくれたが、私が自分の欲に負け始めているように、師匠もまた私とともに居る事に限界を感じ始めている……ということなのだろう。 きっと、この工房から出て行くよう告げられてしまう。 いっそ師匠に言われる前に、自分から出て行こうか。 そんな事を一瞬だけ考えた。 そしてその勢いで物置部屋の扉を開ける。 しかし部屋の中に入りソファに座る師匠の顔を見ると、自分から出て行くなどと言う気にはなれなかった。 もし出て行くように告げられたとしても、私はなんだかんだと理由をつけて本当にギリギリまで師匠の側に居ようとしてしまうだろう。 「クロム……」 ソファに座った師匠が私を見上げる。 その瞳は泣いているかのように濡れていた。 「泣かないでください」 図々しくもその顔を胸に抱く。 「泣いてなどいない」 「………貴方の心が泣いています」 師匠は抵抗する事もなく、私に抱かれるままとなっている。 この人は……どこまで私を許してしまうつもりなのか。 「クロム……やはり……出て行くのか?」 まるでそれが私の希望であるかのように師匠が言った。 「出て行くべきだ……ということはわかっています」 「……………………そうか」 くぐもった師匠の声は、やはり泣いているようだった。 ソファにすわる師匠の前にしゃがんで、その目を見つめる。 師匠はやはり恥ずかしそうに目をそらした。 切なさと、愛おしさで胸が痛くてしかたがない。 「私は恥ずべき人間です。貴方を穢し傷つけたのに。いつまでも弟子という立場にしがみついてしまう」 師匠は一瞬だけ私を見ると、うつむき、細い肩を落とした。 「クロムは悪くない。……失望させた。不甲斐無い師匠で本当に申し訳ないと思っている」 その言葉に驚いた。 この人は何故私に謝るのか。 何を謝っているのか。 「まだ……何かあるのですか?」 「え……?」 「貴方が私に謝らなければいけないような秘密がまだあるという事ですか?」 思わずその細い肩を力任せに掴んでしまっていた。 「い……痛い……クロム……秘密など……もう何もない!」 「なら何故謝るのです。私を追い出す事など後ろめたく思う必要はありません」 「追い出すなんて……そんな……。クロムが出て行きたいと言うなら止めない。けれど、俺は……」 「いつまた貴方にあのような不埒な真似をするかわからない、(よこしま)な想いを抱いた者を側に置くのはお嫌でしょう?」 師匠がふっと弱く笑った。 「クロムが……そんな事をするはずない」 その言葉にまた私の心臓はつかみあげられたようにギュッとなる。 「何故です?貴方をあんな風に好き勝手に弄び、辱めた」 「それは………俺への罰だ」 「罰?」 「そう、クロムの信頼と尊敬を裏切り、失望させた事への罰だ」 私は混乱した。 なぜ、師匠が罰などと言い出したのか。 弟子が師匠を罰するなど聞いた事がない。 そして、罰ならば、あんな酷い行いも、甘んじて受け入れるというのか。 「私は、まだ師匠のお側に置いていただきたいと思っています」 そう言うと、師匠がぱっと顔をあげた。 表情から感情は読めない。しかしその目は私の言葉を喜んでいてくれるような気がした。 「けれど、貴方にまたあのような真似をしてしまいそうで怖いのです」 「もう……後ろめたいことなど何もない。本当だ。ガイハン様の仕事も、他の同じような仕事ももう請ける事はない」 「そういうことではありません」 「………なら……なぜ」 瞳を揺らして師匠が私を見つめる。 その瞳に吸い込まれそうだった。 そのとき、私に狡い考えが浮かんだ。 何故だか師匠は私の行き過ぎた行動を自分のせいだと思っている。 ならば、その考え違いを利用してしまおう……。 「師匠……貴方が私に男の味を覚えさせてしまったのです」 唇が触れるほどに顔を寄せて囁いた。 私の言葉に師匠の肩が小さく震える。 「側にいれば、また欲しくなる。いや、たとえ離れてもまた欲しくなってしまうでしょう」 「それは……しかし……そんな…………」 フルフルと顔を横に振りながら、師匠が意味をなさない言葉をつぶやく。 「今だって、貴方が欲しくてしかたがない」 そう囁くと、師匠にドンと力任せに突飛ばされた。 しかし、すぐに慌てた様子で師匠の方から私を起き上がらせようと、手を伸ばしてくる。 私の腕を引く力を借りてすっと立ち上がると、そのままもつれるように師匠を抱き込みソファに倒れこんだ。

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