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第20話

谷あいに金属を打つ音が響く。 研鑽を積み、クロムもしっかりとした、いい音を出せるようになってきた。 俺は昼食に食べようと畑で気まぐれに熟れた野菜をもいだ。 今では料理は完全にクロムの担当で、手伝う分には喜ばれるが、勝手に作ると叱られてしまう。 クロムは俺のように面倒くさがらずに、ふもとの町で定期的に食材を仕入れ、美味い料理を食べさせてくれる。 おかげで人並みと言えそうなくらいに肉付きが良くなり、さらに体力も増し、気力も充実している。 ただ、クロムの真心を疑う訳ではないが、以前に増して体力や精力を付けるような料理が増えたことに、少し穿った見方をしてしまう自分が居る。 歪だったクロムとの関係は、かすかな熱を含みながらも穏やかなものへと変わった。 もつれ、絡み、どうにもならなくなっていた互いの心が、あの夜に一気にほどけ、日々の生活の中で少しづつ二人の新たな形が作られていっている。 あの納品以来ずっと断っていたが、再びガイハンからの発注を請けることになった。 性具は勿論、アクセサリーなど身につける製品の受注も全て断っているが、送り先が明確になっている贈答用の香炉だった為、相手方の事も考慮して請けることにしたのだ。 「ほう、まるで別人だな!」 俺の顔を見るなり驚いた声を出し、しげしげと一周まわって観察された。 「あの弟子と、巧くイっているようだな」 どうにも嫌らしい意味合いを含んでニヤニヤと笑う。 そして競馬の会場でクロムと話をした時に、クロムが俺に惚れていると一目でわかったと嬉しそうに話す。 クロムが俺の事をそいう意味合いで想うようになったのは、その後の「あの出来事」のせいだ。 しかしガイハンがそんな思違いをする程に、クロムが俺の事を師匠として大切に思ってくれていたことだけは確かだろう。 さらにガイハンが競馬会場で、あの『試作品』とその使い方の話をしたら、なんと後日クロムが試作品を持って、この屋敷に来たというのだ。 話を聞いた……とは言っていたが、まさかわざわざ訪ねてまでその使い方を問いただしていたとは思わなかった。 「ふっ……かわいい弟子の事となると、無表情ではいられないようだな」 そんな言葉を無視して、打ち合わせを続けようとするが、やはりガイハンは余計な詮索を繰り返す。 「やはり若い男というのはいいものだろう?しかも、自ら道具の使い方まで学んで師匠に奉仕しようとする健気な弟子だ。そうそういるものじゃないぞ」 そう言われて、顔が赤らむのが止められない。 そのせいでガイハンがまた喜ぶ。 「打ち合わせを進めていただけないなら、日を改めさせて頂きます」 「そんな堅苦しいことを言うな。ちょっと雑談を挟んだだけだろう?早く帰って愛しい弟子を可愛がりたいのはわかるが、そう焦らなくてもあの弟子はお前に夢中だ。留守中に他の男のモノをくわえ込んだりなんかしないさ」 「……は?」 ぽかんと口を開ける俺をガイハンがまた笑う。 「そうか、浮気の心配なんかハナから頭にないくらい、尽くされてるんだな。うーん、うらやましいねぇ」 ガイハンは色々思い違いをしているようだが、その間違いを正してやる必要もない。 鬱陶しい雑談をいなしつつ、出来るだけ手短に打ち合わせを済ませて屋敷を後にした。 打ち合わせの後、クロムと王都で待ち合わせていた。 俺のために新しい服を見繕ってくれると言う。 貴族の屋敷に出入りするからと仕立てたこの服も、かなり古くなっている。 服など俺ではわからないので、クロムがいてくれて本当に助かった。 共に店に行き、クロムが布と色を選び、服のデザインを決めた。 しかし見本として用意されている中でクロムが選んだ試着用の服は、今来ているものとあまり変わらない古くさいデザインの服だった。 なのにクロムは俺の姿を見て大喜びをしている。 どうやら、腕の良い仕立てで身体にあったものならば、古くさいデザインが逆に上品に見えるらしい。 言われてみれば確かにその通りだと納得したが、クロムが『可愛い』と繰り返し言っていたのが気になる。 落ち着いた色使いで、年相応の上品な格好になっているはずなのに、なぜそれが『可愛い』となるのか。 クロムのセンスに少し不安を感じたが、店主も大丈夫だと太鼓判を押すので、選んでもらった通りの服で発注をした。 それからクロムの希望で店を巡り、茶や香など様々な買い物をした。 茶も香も俺にはさっぱりわからないが、どの香りが好きかと聞かれ、何となく好みのもの答えると、クロムが嬉しそうにそれらを買っていく。 「サソラの好みのものをそろえたいと思っていたのです」 満面の笑みで言われた。 俺の呼び方が『師匠』ではなく、名前になっている。そのことに「おや?」と思った。 「待ち合わせの前に、私のおすすめの店を予約したので、夕食はそちらでも良いですか?」 クロムのすすめる店なら、ぜひ行ってみたい。笑顔で頷く。 「では、少し歩きますが、こちらから……」 クロムに手を引かれる。 「クロム、手をつながなくとも、子供じゃないんだ、迷子にはならないよ」 綺麗に繕っているので、さすがに介護には見えないだろうが、街中でこんな風に手を引かれるのは何だか気恥ずかしい。 クロムの歩く先には公園があった。 王都の人々に愛され、遠方からきた人は必ず眺めを楽しむために立ち寄るような場所だ。 俺も地方出身者らしく、この王都の象徴のような公園に淡い憧れを抱いていたが、長く王都で修業をした間、一度も行ったことがなく、その後も今さらすぎて気恥ずかしく、足を運ぶ機会がなかった。 「迷子を心配して手をつないでいるわけではありません」 少し呆れたように言って、五本の指同士を絡めるように手をつなぎ直した。 不思議そうな顔をする俺に、クロムが少しすねたような表情を見せる。 「もしかして、わかっていないのですか?これは……デートです」 「………」 意外過ぎる言葉に、年甲斐もなく心臓が跳ね、妙に緊張し始めてしまった。 「……サソラ?」 「……いや、その、デート……?」 「私とデートでは、ご不満ですか?」 すねたままのクロムの言葉に少し焦る。 「い、いや、不満など。ただ……デート……というのが、何をすればいいのかわからない」 「それは……何をするわけでもありませんが、私とこうやって出かけて時間を過ごしているだけでは、デートだとは思っていただけませんか?楽しくはない?」 クロムがすねたまま、公園へと歩く。 美しい石畳と、噴水と、整えられた花木。そして、王宮がその背景として美しく入り込む。王都の町並みも一望でき、連なる屋根が美しい。 こんな美しい光景を目前にして、クロムがほんのちょっとでも気分を害しているというのが申し訳ない気がした。 「その、いつかこの公園に来てみたと思っていたんだ。ここにクロムと共に来れて嬉しいよ」 俺の言葉に一瞬にしてクロムの目が輝いた。 この美しい風景が良く似合う凛々しい貴族の若者が、俺の一言でこんなに喜んでくれるという事が、なんだか不思議な気がした。 「素晴らしいと噂に聞いていたこの風景だが、クロムと共に見ることによってさらに何倍も美しく感じているんだろうね」 クロムがうっすら頬を染めた。 「……私は、風景など……もう、目に入りません」 普段なら絶対考えられない。けれど美しい光景に当てられていたんだろう。 俺はそっとクロムの髪をかき上げ、優しく額にキスをしていた。 「……サソラ」 少し間があいて、うっとりとクロムが俺の名を口にした。 さらにグッと腰を抱きしめられ、こんなところではふさわしくない、情熱的過ぎるキスをされてしまった。 慌てて胸を叩いて腕を振りほどく。 「クロム!」 戸惑う俺にクロムは少しだけ申し訳無さそうな顔をしたが、あまり懲りてはいないようだ。 「だって、私の心を溶かすようなことを言ってくださるから」 子供のような口調で、また甘えるように手をつないできた。 外でこんなに甘えたがりになるクロムは珍しい。 俺もこの風景に押されて甘やかしてやりたい気持ちになってはいるが、人目もそれなりにあるこんな場所で自分たちだけの世界に入り込んで睦み合えるほど厚かましくはなれない。 いや、額に口づけるなど、俺も充分すぎるくらい羽目をはずした。 一目で貴族とわかる青年が、しなびた庶民の手を引いているというのは、端から見ればなんとも奇妙な取り合わせだろう。 それでもその手は離さず、顔をあげてゆっくりと石畳を歩く。 山の中で、自然に囲まれているからこそ、自分は豊かな造形美を装飾品に落とし込めるのだと思っていた。 けれど、王都の中心に近いこんな場所でも豊かに心が広がるのだと知った。また今までとは少し違う美しさを生み出せそうな気がする。 ニコニコとゆるみきった笑顔を浮かべ隣を歩くクロムに、ここへ連れてきてくれたことを心の中で感謝した。 本当なら口にして伝えたいところだが、この表情を見る限り、先ほどの二の舞になることは間違いないのでやめておく。 公園をぬけ、しばらく眺めの良い道を歩いていたが、少し入り込んだ場所へと来てしまった。 王都の美しい面から、一転して、汗にまみれた庶民の生活の場に来たことを不思議に思い、俺の手を引くクロムが道を間違えたのかと顔を見るが、嬉しそうに手を引いてどんどん進んでいく。 人の姿は見えないが、働く人々のたてる音が、至る所から響いてくる。 しばらくすると小さな空き地に出た。 俺が修業をしていた工房からほど近く、他の弟子や職人たちと共に住んでいた親方の家もこの先にある。 以前はこの空き地も倍以上の広さがあったはずだが、多少様変わりしているようだった。 クロムが嬉しそうにその低く草の生えた空き地に入って行く。 「子供の頃、ここで迷子になったのです」 「え……?」 意外な言葉に驚いた。 ここは普通の庶民街とは少し雰囲気が違い、工房が多く気性の荒い職人なども少なくない。 貴族の子息であるクロムがこんなところに来るとは考えられなかった。 「父が急ぎで受け取りたい品があったらしく、それに私も連れて行ってもらったのですが、このような工房などが多くある町並みが物珍しく、一人勝手にうろついて迷ってしまったのです。あの時の心細さは今も忘れられません」 確かに美しい貴族の町並みしか知らない子供にとっては、ここは珍しいだろう。恐いもの見たさで歩き回ってしまうのもわからなくはない。 「迷って困り果て、この空き地でしゃがみ込んでいたら、声をかけてくださる方がいたのです。優しいその顔を見ていたら、急に心細さが溢れてしまい……今思えばこの人になら甘えて大丈夫だと思ったのでしょう、泣いて困らせてしまいました」 泣いて膝にすがりつく子供の頃のクロムを想像し、その微笑ましさに少し頬が緩んだ。 「そのお兄さんが、泣きじゃくる私に『自分が作った物だから』とこれをくださったのです。そして、喜びすっかり泣きやんだ私を父の元へと連れて行ってくださいました」 そう言って、クロムは実物に近い大きさの可愛らしい銀色の蝶を取り出した。 照れたように俺を見て、その蝶を握らせる。 細い金属を編み上げるようにして作られており、安価な金属でできた物だが、金属の重なりあったところにくすみが残るだけで、何度も磨いたり洗浄して輝きを保っているようだった。 どれだけクロムがこれを大切にしているかがよくわかる。 「子供のころのことですから、これをくださった方が優しい表情をしていたことは覚えていましたが、顔もはっきりとは覚えてはおらず、名前も、何をしている方なのかもわかりませんでした」 クロムが甘えるように握る手にキュッと力を込めた。 「この蝶は私の宝物です。いつも眺めて、辛いときなど『大丈夫だよ、泣かないで』と言ってくださった声を思い出し、慰められていました。そして数年後、私は『シロガネ』の腕輪に出会ったのです。繊細で美しい腕輪に私は心を奪われました。もちろん、一目でわかりました。私にこの愛らしい蝶をくださった方の作だと。それから両親に頼み込み、さらに数年後にようやくシロガネの腕輪を発注する事が出来ました。そして私も貴方の元で、共にこのような素晴らしい装飾品を作る手伝いをしたいと切に願うようになったのです」 手のひらに載せられた蝶は間違いなく俺の手によるものだった。 しかし申し訳ないが、俺は迷子のことを全く覚えていなかった。 けれどクロムは覚えていなくて当然だと許してくれた。 「私の思い出話につき合わせて申し訳ありません。ですが、私が『シロガネの弟子』になりたいと思うきっかけを与えてくれたこの場所に、再び貴方と来てみたかったのです」 「……?弟子になりたいと思ったのは、十四、十五歳の頃、腕輪を発注してからじゃないのか」 そう言うと、クロムは真っ赤になった。 「そ、そこは、ぼかしておいてください。ここは、その……いや、だから……貴方のことが忘れられなくなってしまった場所……ということなのです」 しどろもどろになったクロムに再び手を引かれ、照れ隠しのように早足でその場を立ち去った。 歩きながら、その空き地を振り返る。 明確には覚えていない。 けれど、幼いクロムが頬に涙を残したまま、可愛らしい蝶を手に微笑む顔が見えた気がした。

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