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第23話

工房で一人作業に励む。 クロムは今、山でキノコ狩りをしている。 午前中は俺も共に採っていたのだが、クロムはもう少し頑張りたいと言って、午後もまた山に入って行った。 クロムはキノコが好物のようで、王都の図書館で種類を調べてまで採っている。 山菜や木の実を採ったり、山での採集自体も好きなようだ。 クロムはあれだけ嬉しそうに、あのレストランに俺と共に行けたのが幸せだったと言っていたのに、出来るだけ家で料理をしたがる。 もしかすると、特別な時に行くからいいという事だったのかもしれない。 俺の生まれた村へ行ってみないかという誘いは、こちらが驚くほど喜んでくれた。 「ご家族に会わせて頂けるのですね」 と言っていたが、まあ、行けば居るのだから顔をあわせるのは当然だ。 そして何故かその前にクロムの両親に会ってくれと熱心に頼まれた。 たしかに、官吏として前途揚々だったはずの大切な子息を弟子として預かっているのだから、師匠の責任として会わねばならないと思う。 正直遅過ぎたくらいだ。 けれど、こんな頼りない師匠では不安にさせるばかりだろうとなかなか踏ん切れずにいた。 出来ることなら回避したかったが、そろそろ腹をくくらないといけないという事だろう。 自分の作業台の上のを眺める。 そこには今完成したばかりの小さな蝶の置物があった。 箱に入れようか迷っていたが、花をモチーフにした台座を用意することにした。 蝶を手のひらに置けば、腹の部分から体温が伝わりぱたぱたと羽ばたいてゆっくり触覚が動く。 優美と言うより、少し可愛らしい動きに仕上げてみた。 『シロガネ』の特徴は熱で駆動することだが、俺自身は熱を知らない金属のようにずっと変わらず同じことを繰り返して生きて行くのだと思っていた。 これまでどこかへ出かけることになど興味は無く、ずっと工房で制作をしているだけで満足だった。 この谷で人の顔色をうかがうこと無く過ごすのは非常に楽で、もう誰かと暮らすのは無理だろうなんて決めつけていた。 冷たく凍えていたわけではない。 けれど、俺の心を動かす熱は無かった。 なのに突然クロムが工房におしかけて来てから、俺の全てが緩やかに動き始めた。 クロムが俺に『熱』を与えた。 クロムと暮らすことによって生活が一変したことはもちろん、俺の作風も変わった。 以前のように優美で繊細なだけではなく、生き生きとした力強さと伸びやかさが加わったように思う。 俺の心境の変化が反映されているのだろう。 あきらかにクロムの影響だ。 今では、クロムと何をしよう、どこへ行こう、クロムは何に喜ぶのか、そんな事を考えるのが楽しい。 例え一人の方が楽だとしても、クロムと過ごして得られる活力の方が遥かに大きかった。 それから……身体の熱も……。 俺には過剰ではあるが、クロムに愛されることには喜びを感じている。 クロムが与える熱は俺の人生を動かした。 『いつまでもずっと側にいて……いいですか?』 そうクロムは言ったが、手放せないのは間違いなく俺の方だ。 クロムがいなくなれば、熱は失われ、俺はクロムの温かさを知る以前より、ずっと凍えてしまい動けなくなってしまうだろう。 一人でいてもクロムの事を考え、こんなふうに自然と頬が緩んでしまうこともしばしばだ。 戻ってくるまでに、台座まで仕上げてしまおう。 愛らしい蝶にキスをひとつして、俺は作業に取りかかった。 ◇ 「サソラ、今日はキノコ汁にしましょう」 満面の笑みを浮かべ、頭に木の葉をつけたクロムが帰ってきた。 料理にキノコを使うことはあっても『キノコ汁』などと全面に押し出してくるのは初めてだ。 さぞ豊作だったのだろう。 工房に顔を出したが、俺を名前で呼ぶあたり、今日は仕事をするつもりが無いに違いない。 クロムに促され、俺も早めに仕事を切り上げ家に帰った。 クロムのキノコ汁は美味かった。 少し他の野菜も入っていたが、ほぼキノコばかりが数種類入っていたようだった。 上に焼かれて乗っていた、あまり見たことのないキノコも美味かった。 ほぼキノコだけで腹一杯になった。 俺の満足する顔に、クロムも嬉しそうだ。 食後の片付けも済ませ、一息ついているときだ。 俺は昼間仕上げたあの蝶を取り出した。 「……クロム、これを」 そういってクロムの手に乗せる。 繊細ながら、活き活きと愛らしい動きを見せる蝶にクロムは目を輝かせる。 「これは……よく師匠がモチーフとする蝶なのに、どこかいつもと違いますね」 その言葉に、俺は細い目をさらに細くした。 「クロムに贈るため、クロムを想いながら作った」 「……私にですか!」 「ああ。その……クロムが戻り、正式な弟子となった時に……道具を贈っただろう。昨年は何もしなかったが、クロムの誕生日に装飾品を贈ってくれると言うから……俺も、クロムが戻って来てくれたこの日に何か贈りたいと思って。……憶えてはいなかったが、俺が子供のクロムに贈ったのが蝶だったから……今年は蝶を。来年は小鳥かなにかがいいかもしれない」 クロムは俺と手のひらの蝶を見比べながら、ぽつぽつと話す言葉を聞いていた。 「ありがとうございます」 クロムはただそれだけを言った。 けれど、赤くなった顔から、潤む瞳から、そしてその息づかいから、言葉にできないほどの喜びがはっきりと伝わってくる。 クロムは手の上の蝶に唇をふれさせ、そして俺の唇にも蝶の羽ばたきのように、二回、三回と軽く唇をふれさせた。 「このような素晴らしいものをいただけるなんて。………これは…私ですね」 少し泣きそうな顔でクロムが言った。 「以前の私は……弟子になるための条件をクリアすることしか頭に無く、かたくなで、融通の利かない、それこそ、動かぬ金属の蝶でした。けれど、貴方にふれて、貴方の温もりで私の心は再び大きく動き始めました」 少し聞いたことがあった。 学生時代や官吏の頃のクロムは、今のようにほがらかに笑うことなどほとんどなかったと。 けれど、そんなクロムなど俺には全く想像がつかなかった。 俺たちは互いの温もりで、互いの強ばった心を動かしあっていたのか。 ドクンと心臓が高鳴り、ぽっと身体に熱が灯った。 今、クロムにこの熱を分けたい。 俺はクロムをそっと抱きしめた。 「……サソラ!?」 普段ない俺の行動に、クロムが驚きの声をあげた。 抱きしめる腕の力を、少し強めると、クロムも同じように抱きしめ返してくれる。 互いの温もりが伝わり、二人の間に熱が生まれた。 唇を求めあい、絡む腕が互いの熱をより増していく。 きっとこの先も、俺とクロムは互いを動かす存在であり続けるだろう。 意図せずに、良くも悪くも大きく揺れ動いてしまうこともあるかも知れない。 それでも。 どんなに形が変わっても。 二人、離れがたく求めあい、生きていくのだろう。 何にも捕われること無く、そう信じられる事が嬉しかった。 ◇ 山から鳥のこえや、風の吹き渡る音が聞こえる。 今日も穏やかで賑やかだ。 谷あいのこの地で、俺は変わらず制作を続けている。 そしてすぐ側に民家が一軒。 俺とクロムの部屋には、互いに贈りあった作品が並ぶ。 また今年も、俺の部屋には贈り物が一つ増えた。 スッキリとした装飾のリングだ。 俺は今年は小さなウサギを作ろうと思っていた。 けれど、クロムの贈り物を見て、少し考え直した。 ……きっとクロムはこういう趣向を好むはずだ。 ウサギを少し伸び上がるように立たせて、その首にはクロムの贈りものと対をなすような意匠のリング。 想像しただけで、頬が緩む。 きっと大げさなくらい喜んでくれるに違いない。 クロムの贈ってくれたリングを棚に置いて眺めた後、少し動かし隣にスペースを作った。 ここに、来年またクロムからの贈り物が増えるはずだ。 その次の年も、そのまた次の年も。 きっと増えていくはずだ。 そして俺も贈り続ける。 その次の年も、そのまた次の年も。 腹の空く、いい匂いが漂ってきた。 「サソラ」 俺を呼ぶ声がした。 俺たちはきっとこの先ずっと変わらず、けれど緩やかに変わり続けるのだろう。 ふっと大きく息を吐いて扉に手をかけた。 その先には、俺の大切な弟子で、恋人で、そして俺を動かす熱源であるクロムの笑顔があるはずだ。 《終》

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