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第5話 鴨がタバコを持って現れた
【蒼井響一の場合】
金曜日の夜は書き入れ時のはずがある程度お客がきてさらっとはけていった。
まだ11時過ぎなのに最後のグループが帰りの準備をしていた。
「おいくら万円?」「お前のおごり!!」だははと笑い声が響く。
楽しいのは何よりだが、酔っていて手元が怪しくグラスを落とすんじゃないかとヒヤヒヤした。
「もう、わかったから取り敢えず上着を着ろ」冷静なやつが酔った友達を介抱している。
ぐにょんぐにょんになっている奴が、前にいる男に絡む。
俺の奥さんだもんねーなんて大きい声で言っては抱きついている。
周りの反応から、いつものことなんだろう。
介抱しているやつも、こんな旦那いやだわ、とさらっと流していた。
わかりやすく下心をぶつけていたり。
酒の場はやっぱり人間観察には適した場所だ。
「どうも、ありがとうございました。」
「ごちそうさまです、騒がしくしてすいません。」
甲斐甲斐しく酔った男を介抱していた男が会計を済まし軽く会釈して店を出る。
周りのやつはこの男に甘えているな。それを鬱陶しく思いつつも喜んで受け入れてる。
相性のいいグループ、若いね。
独立してこの店をオープンさせて2年、やっと落ち着いてきた。
人に興味はあるが、深い情を誰かに持てない俺にはこういう薄い場所が性に合っている。
寂しがりなくせに人が寄ってくると面倒くさく感じる、というか面倒くさい。
お酒を飲んで、他愛もない会話をして、自分の内々にある感情を解き放し、また日常に戻る。
酒の場はその人が隠している本性が見えるから面白い。
まあ、本気になったっていいことがない。
恋に溺れて自分の気持ちばかりを押し付けるやつばっか。
女は顔や体裁や、金しか観てないやつばっか。
俺を産んだ女の顔がふと浮かび、あいつの喘ぎ声が聞こえた気がした。
くそ、吐き気がする。
俺は一人でいい、でもたまに誰かに寄り添いたくなる。
誰もいなくなった店内で数分何もせずにボーっとした後、殻になったグラスや皿をゆっくり片付け、軽く息を吐いてから丁寧に洗った。
一度溢れ出した記憶は、自分の気持ちだけでは止めることが出来ない。
すべて洗い終え、元あった場所に戻しタバコに火をつける。
深く吸い込んでできるだけ長い時間肺に煙を留まらせた。
「タバコ吸っている姿があの人に似ていてムカつく」あの女の声がする。
ああ、本格的にだめな夜だ。
煙を勢い良く吐いて、シャツのまま外に出る。
頭を冷やして落ち着くか。
店の前の電柱に寄りかかりゆっくりタバコを吸う。
風が冷たく、おかしくなりそうな頭が少し落ち着いてきた。
ふと空を見ると重々しい雲の間に細い月が浮かんでた。
三日月って切った爪みてーだな。
ぼーっと空を見ながらタバコを吸っていたら突然声がきこえた。
「あータバコ吸いてー!酒飲みてー!」
ビクッとして、視線を戻すとすぐそばでスーツを着た男が頭をぐしゃぐしゃ掻きながらため息を付いていた。
「うち、全面喫煙可ですよ。」
つい声をかけてしまった。
その男は俺の声に驚き電柱に頭をぶつけ、イテッと後頭部をなでていた。
漫画のような反応にふっと口元が緩む。
あ、心が軽くなってるわ。
「すいません、驚かしちゃって。大丈夫?」
タバコを吸いながら漫画のようなスーツの男に話しかける。
「大丈夫です。あの、ちなみにお店は何時までですか?」
耳心地のいい声、少なくとも俺の好きな声。
今日は一人で居たくない。
「2時までですが、お兄さんかっこいいし、何時でもいいですよ」
「かっこよくはないけど、助かる!今日は飲みたい気分なんで」
良かった、一人じゃなくなる。またこの声が聞ける。
是非飲んでください、と声をかけ店に引き入れた後、他の人がお店に入りにくいように看板を終い電気も消した。
今日はもうお客さんが来ないといいな、と思いながらドアを閉める。
あの人の声だけを聞いていたかった。
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