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第15話 着飾れない

【蒼井響一の場合】 もう彼は来ないかもしれない。 昨日、砂川が帰った店内はガランと静まり返り、俺の心は思いっ切り踏みつけられたように痛み苦しくなった。 普段なら、もっとしたたかに砂川がまたここに来るように誘導できただろう。心の傷をもっとえぐって痛みに漬け込んで誘うことも出来た。 あんなに手に取るように気持ちがわかったのに、今までのようにコントロールができない。 いつものように相手がほしい言葉を言って、そいつが理想とする相手になればいい。 なのに、砂川相手にはどうしてもできなかった。着飾ることができなかった。 「おつりはいらないから。」 フラフラした身体で財布から一万円を出してバンとカウンターに置き出ていった。 ふらついた身体が小さくなって、見えなくなるまでみつめた。 静かに店内の片付けをし、一日の締め作業をしてから店を出る。外は体が震えるほど寒く、薄い三日月が浮かんでいた。 キスだけで身体が震えるほど感じたのは初めてだった。 砂川に脳内を支配されているような感覚。 一日中砂川が俺の中にいて、ことあるごとに現れる。 俺が誰かのことを考えて、脳内を支配される日が来るとは。 昔からセックスをする相手には困らなかった。 小さいころから顔立ちがとてもよく、背も高いので中身がどんなにクズでも男女問わずよくモテた。 綺麗に産んでくれたことだけは感謝している。 勝手に寄ってきては、好きだ、嫌いだ、キスだセックスだ。俺の気持ちよりも、顔と身体しかみておらず薄っぺらい。 学生時代の付き合い方は今思い出してもクズ過ぎて、さすがに無いな。 かっこいい彼氏に私(俺)の鼻が高いよ、とかいうやつ。 「俺は好きじゃない」って言ってもそばにいて抱いてくれればいい、とかいうやつもいた。 なにより、愛を信じていない、俺自身が誰かを愛したこともないし、相手に執着なんてなかった。 高校時代に自分がゲイだと気づき、男に興奮し、女だと嫌な思いをすることが多い、無難に流すのが一番だと悟った。 働きだしてからは遊びたくなったら仕事場から離れたハッテン場やゲイバーに行ってはその日の相手とセックスしてそのままおしまい。たまに何度か会うこともあるが、面倒くさいことが多いので一度きりが多い。 あとくされなさそうな人を選ぶのも慣れたもんだ。 「マスター昨日は急にお休みしちゃってすいませんでした。」 バイトの玲央に話しかけられて、職場にいることを思い出した。 「ああ、大丈夫。昨日はめちゃくちゃ暇だったし、どう?拓海(たくみ)君は良くなった?」 「ご心配をおかけして本当にすいません、胃腸炎だったみたいで病院行って点滴したら落ち着きました。」 昨日、付き合っている彼氏が急に嘔吐したので泣きながら休みたい、と連絡してきたのだ。 玲央は美容師学校に通う学生でアイドルのように綺麗で一見チャラく見えるがとても真面目で好感の持てる男だ。 彼もゲイで、玲央は前に遊んだ男の彼氏だった。 突然その男が俺の店に乗り込んできて、もう一度やり直してくれ!などと迫ってきた。 店も教えてないし、そもそも付き合った覚えもない、一度寝ただけの相手だったが、しつこく付きまとわれ嫌気がさしていた。 思いっきり殴って二度と来れないようにしようか考えていた時、玲央がいきなり乗り込んできた。 アイドル見たいな容姿なのに、思いっきりそいつを殴り「てめぇ嘘ばっかりつきやがって、二度と俺に連絡してくんな!このくそが!」と怒鳴りつけた。 俺は驚きながらも、「同じく、二度とつら見せんじゃねぇぞ」と便乗してそいつを追い出した。玲央の啖呵はとても気持ちがよかった。 その後、わざわざ謝りに来たので、話してみたらバイトを探しているというので採用した。 玲央は見た目よりもずっと頭が良い、人との距離感も上手だし、その場の空気を読むのが早いのでいい人材だ。 「よかった、ごめんね。本当は今日も休みにしてあげたかったんだけどさすがに土曜に一人は厳しくてさ」 「いやいや、金曜も大変なのに快く休ませてもらって感謝してます。今日は僕バリバリ働きますから!」 そう言うと、開店の準備をてきぱきと始め店を開いた。 昨日の暇さ加減が嘘のように、今日は客が途切れずほぼ満席状態。年末のような忙しさ。 玲央が出勤してくれて本当に良かった。 こんなに忙しいのに、時より不意に砂川の顔が浮かんだ。 キスをした後の吐息が妙に色っぽくもう一度みれたら俺の理性は崩壊するかもしれない。 「マスターこれおかわり!」 常連客の松本さんがグラスを掲げながら言う。 「はい、ウォッカのロックですね」 お願いね、と笑う。松本さんは気持ちのいいお客さんで、だれとでも仲良く話せるし、失礼な相手がいてもうまく流してくれる酒の飲み方がわかっている人だ。 ほぼ毎日来てくれるので、大体のことはわかるが肝心なプライベートは上手くかわしている。 「マスター僕にはマティーニを!生ハムも頼んじゃおうかな」 端っこに座っている細いこの男は細いのに丸井という名前で、自分のことをイケメンだと勘違いしている残念な奴だ。 ゲイではないと思うが、事あるごとに俺に触れようとしたり絡んできたりする。 とても鬱陶しいがこの人もほぼ毎日来るので、むげな態度をとれずにいた。 動き続けるほど忙しい時間が過ぎ、まったりとした時間が流れた。 ふと外に目をやると、砂川がドアの前にいた。 聞こえたんじゃないかと思うくらい心臓がドキッとした。 「ねえ、マスター僕ね会社で表彰されたんだ。優秀だからきっと今度のボーナス多く出るかも」 迎えに行こうとしたとき、丸井が話しかけてきた。 うるせー!なんで話しかけたんだ。お前の優秀さなんて全く興味がない! 砂川は数秒止まっていたが、ふと手が離れすうっと身体が離れていく。 だめ、帰らないで。 「玲央、ドア!お客さん迎えに行って」 普段は出さない強めの声がでた。 「あ、本当だ!はーい」と玲央はするっとドアを開け 「いらっしゃいませ、中へどうぞ」と、砂川を引き入れてくれた。 昨日とは違い、ラフな格好で昨日よりも柔らかく見えそわそわしてしまう。 注文より先に水を頼んだ砂川は、飲んできたのか少し顔が赤く色気が出ていた。 昨日も結構酔っていたが、大丈夫か。 注文が落ち着いたとはいえ、混んでいたのでカウンターではなく少し離れた席に座っている砂川を気づかれないように眺めた。 それだけで心が弾み、胸をつかまれたように痛くなった。 なんだこの感情は。説明できない。 「でね、その別荘っていうのが夏なのに涼しい場所にあってさ、とっても気持ちいいんだよ。よかったら今度の夏一緒に行かない?」 相変わらず丸井が俺に話しかけてくるが、ははは、と流しできるだけ松本と話した。 松本は俺が嫌がっているのに気付いているので、うまくこちらに話を振ってくれるので本当にありがたい。 注文の紙を渡され、てきぱきとこなしていく。 今日は、ジャックダニエルじゃないんだな。そう思いながらも、松本と話しながらドリンクを作った。 松本と話しながら、ほかの客とも会話する。 玲央もグラスを洗ったり、客と話したり相変わらずの仕事ぶりだ。 ガチャっとドアが開き一人の男が入ってきたがきょろきょろ店内を見回している。 男は砂川を見つけて、嬉しそうに笑い手を振っている。 誰だ、こいつは。 少年のまま大人になりました、というような人懐っこそうで、目がなくなるようなくしゃっと笑う男だった。 砂川の態度を見て、すぐに機能話していた片思いしていた元同僚だとわかる。 その男はテツというらしい、そのテツはやたらと陽気だった。 ここに来る前に一緒に飲んでいたらしい。 俺は会話なんてできる状態ではなく、簡単な相槌のみを繰り返していた。 「で、話ってなんだよ。すげー怖いんだけど。」 「実は、俺結婚することになりました。」 テツの言葉は砂川を殴り倒すには十分な衝撃で、案の定砂川は目を開けたまま固まり、ひどく傷ついているように見えた。 頼む、この人を傷つけないでくれ。そう思った瞬間かrだが動いていた。 「いらっしゃいませ、ドリンクいかがなさいますか?」 怒りもあっただろう、静かにテツを見つめ話を遮った。 「あ、そうですよね。すいません。すぐ決めるので、ちょっと考えてもいいですか?」 あ、そうだった!と申し訳なさそうにドリンクメニューをみてどうしようと考えている。 砂川が好きになるだけある、この人はいい人だ。 いい人で、甘え上手で、鈍感な振りで、ムカつく男。 「もちろんです、ドリンクのメニューはこちらです。ごゆっくり。」 戻ろうとした時、すぐに「あ!ジャックダニエルの水割り下さい」と頼んだ。 「ここジャックダニエルあるじゃん!砂ちゃん良いお店見つけたね」 とはしゃいでいる。 ああ、このドリンクはテツが好きだったから飲んでいたのか。 そう気づいたら息ができないほど苦しくなった。 「砂川さんはドリンクどうしますか?」 そう声をかけたのは、注文してほしかったのか、俺を見てほしかったのか。 よくわからなかった。

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