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第3話

 両手に脚立を持って、蒼哉は二階廊下を歩いていた。蒼哉が足を踏み出すたびに脚立がガショガショと音を立てる。その後ろから佐月が段ボールを抱えてついて来る。  追われていると思うと蒼哉は早足になってしまう。 「蒼哉さん、待って下さい。今日こそ夕食ご一緒しましょう」 「いやだ」  エレベーターの前まで来ると蒼哉は脚立を横に倒したまま壁に立て掛け、下りボタンを押した。そして連打する。一秒でも早くエレベーターに迎えに来て欲しい。もちろん連打したところでエレベーターが早くやってくるわけではない。  本日の蒼哉と佐月は白シャツの上にHUBのロゴが入った黄色いジャンパーを羽織っていた。スーツ姿より動きやすい、管理作業をするときのスタイルで、これから地下駐車場の電灯交換をしに行くところだ。  屋上で彼の自殺を阻止して、理解不能な告白を受けてから一週間。佐月は猛烈なアプローチをかけてくる。 仕事中は蒼哉の後をついて回り、毎日食事の誘いを受ける。 その様子をみた同僚たちに、先輩面したがる蒼哉に新人佐月が懐いたのだと思われてしまっている。佐月を冷たくあしらう蒼哉に、可哀想とでも思ったのか若くて礼儀正しい佐月の肩を持ちたがるからやっかいだ。 「青山の隠れ家ダイニングを予約しました。一度接待で利用させていただいたのですが、日本庭園があって都会の喧騒を忘れてしまうくらい静かな店なんです。蒼哉さんも気に入ってくれると嬉しいな」  エレベーターが降りてきた。佐月はそっと自動扉を手で抑え、脚立を持つ蒼哉に中へ入るよう促す。 「行かないって言ってるだろ。……お前毎日店に予約してるの?」  蒼哉がエレベーター奥の壁に脚立を立て掛けている内に、佐月は操作盤の前に立ち、ボタンを押してエレベーターの扉を閉めた。  佐月の誘い文句は決まっている。蒼哉と食事をしたいので、レストランの予約をしました、だ。  だが一度もふたりは食卓を共にしたことはない。 「はい」 「俺、毎日断ってるけど、予約どうしてんだよ」  どうせ可愛い女子と来店しているのだろう。美青年佐月の誘いを断る独身女性はいないに違いない。蒼哉を誘っておきながら、女子と楽しい時間を過ごしていると思うとなんだか無性に腹が立つ。 「キャンセルしていますね」  穏やかな表情のまま、佐月は言い放った。 「……はっ?」  予約とキャンセルを繰り返しているというのか。お店にとって迷惑以外の何でもない。  常識外れの感覚を持った後輩を、蒼哉はじっとり睨みつけた。 「お前バカなの?」 「K大経済学部卒です」  貶してやったのに、高学歴を自慢された。勘に障るやつだ。 「先輩命令。今後一切予約禁止」 「なぜですか」 「行かないって分かり切っているのに予約を入れるなんてお店に迷惑だろ」 「蒼哉さんが行くと言ってくれればいいんですよ。そうすれば予約をキャンセルすることはないし、お店は儲かるし、僕は蒼哉さんとふたりきりになれる。いいことずくめです」  佐月はウインクをしてみせた。男相手にウインク、蒼哉の男同士の付き合い方辞典には掲載されていない行為だ。美青年の佐月にされると画になるから腹が立つ。 「とにかく俺はお前と食事には行かない」  狭い箱の中で後ずさる蒼哉に、佐月はずいっと身体を寄せる。  佐月の持っていた段ボール箱がふたりの間を阻むと、佐月は段ボールを下ろそうとした。  慌てて蒼哉は段ボール箱を両側から掴む。段ボールがなくなったら佐月はさらに距離を縮めて来る。阻止しなければならない。成人男性二人の力を受けて拮抗作用に合い段ボールが悲鳴を上げている気がした。 「蒼哉さん、こんなに狭い空間にふたりきりですね。そそられませんか」 「そそられない。そもそも、なんで……その、俺なんかに構うんだよ」  眉目秀麗な佐月に比べたら、蒼哉は至って普通の成人男子だ。学生時代は陸上をかじっていたので身体は引き締まっているのだが細身で頼りなさそうとよく言われる。特徴的なのは、細く柔らかい猫っ毛の髪がいつもふわふわしていることくらいだ。  艶やかな佐月に見初められる点など、平凡な蒼哉にはありはしない。 「蒼哉さんはご自身を卑下しすぎでは? 目鼻立ちはくっきりしていらっしゃいますし、パーツバランスも悪くない。何より見逃せないのは、安産体型だと思われるところです」  好青年の口から男の蒼哉にはまず当てはまらないだろう賛辞が出てくる。ふざけたことを真面目な顔で言われてしまうので、蒼哉は面を食らってしまい何と返答すればいいのか分からず混乱してばかりだ。 「はあ? 俺、そんな尻大きくない」 「お尻が大きいから安産型というわけではありません。骨盤が広く正常であることが、重要です」 「へぇそうですか。って、俺は妊娠も出産もしないからな!」 「下半身も引き締まっていて素晴らしい。それに蒼哉さんは仕事熱心で嘘のつけない、何より僕のことを気遣って下さった優しい人です」  蒼哉のことを語りながら佐月は女子が甘いものを食べた時の恍惚とした顔をしている。  偶然、佐月がふられている場面に遭遇し、自暴自棄になっているところを止めただけだ。佐月が涙を流していたら、蒼哉だけでなく誰だって彼を引き止めるだろう。特別なことをしたわけではない。 「わっ」  佐月が段ボールから手を離したため、蒼哉の腕だけに荷物の重みがかかってきた。  自由になった佐月の手が蝶のように宙を舞い、蒼哉の頬に止まった。長く細い指が蒼哉の輪郭をそっとなぞる。 「失意の底にいた僕に、蒼哉さんは僕の子を孕んでくれると言ってくれました。僕を現世に引き止めた責任をとってください」  キスされそうな距離で甘く囁かれると、動悸が激しくなる。男に子供を産んで欲しいと佐月は理解できないことを言っているのに、美丈夫の彼に好かれているのだと思うとまんざらでもない。平凡男子の自分が佐月と釣り合うとは思えないのに、心の底で浮かれてしまう自分が醜いと思った。  蒼哉は邪念を追い払おうと頭を振り、段ボールを佐月に押し返した。 「木梨、あの時は軽率に妊娠すると言ってしまって、悪かった。俺は男。子供は産めないし、俺はお前のこと好きじゃない」  直球な言葉を使ってしまい罪悪感が湧く。佐月は面倒な後輩だと思うが、彼の純粋なところを蒼哉は好意的に思っていた。  佐月はしゅんと項垂れた。円らな瞳の佐月が傷ついた顔をすると、屋上で生気を失っていた彼のことを思い出し、蒼哉は慌てた。 「お前の期待には応えられないけどっ、また飛び降りようとはしないでくれよ」 「もう死のうとは思いません。僕は蒼哉さんを愛しています。蒼哉さんを妊娠させるという人生の目標がありますから、死ぬわけにはいきません」 「あ、そう。よかった」  佐月が生きがいを見つけてくれて良かった。  いいや、蒼哉にとっては全く良くない。生きがいが蒼哉を妊娠させることなんて、迷惑以外のなんでもない。これ以上付き纏われ続け仕事に支障が出ては困る。毎日予約キャンセルされているレストランにも申し訳ない。  佐月には諦めてもらわないとならない。 「どうしたら、僕のこと受け入れてくれますか」  佐月は蒼哉とは逆のことを考えている。彼の好意に応えられないことは、素直に申し訳ないと思った。女性にふられて泣く佐月が思い起こされる。彼をまた泣かせ、自殺まで追い込むことはしたくない。できるだけ穏便に、佐月を傷つけることなく諦めさせる方法はないか。 「……木梨、お前HUBに来る前は営業部にいたんだよな」 「ええ」 「じゃあお前がHUBの売上を上げたら、付き合ってやるよ」  佐月は目を見開き、唇を結んだ。  交際を餌に無理難題を吹っ掛ける、まるでかぐや姫のようだ。かぐや姫は最初から貴族たちと付き合う気もなく危険なお題を課した。  賢い佐月は蒼哉の真意に気づいているだろう。蒼哉が遠まわしに付き合うつもりは一切ないと言っていることに。 「分かりました。一点訂正してください。付き合うのではなく妊娠です。約束ですよ」  佐月は文句を言うどころか、素直に頷いたのだ。 「お、おう。いや、だから妊娠は論外だろ」  堂々とした佐月と対照的に蒼哉は動揺した。佐月はできると思っているのだろうか。というか、妊娠は諦めてくれないのか。 「蒼哉さん。どこまで本当か分かりませんが世界では人工子宮で男性が出産したというニュースがあります。机上論ですが体外受精で腹腔に受精卵を移植して腹膜妊娠することはできると考えられている。タツノオトシゴだって雄が出産するんですから、日々医療技術が進化していくなかで、可能性がゼロではない」  そうかもしれないが、蒼哉にとっては遠い話だ。そもそも蒼哉は男である自分にこれといって不満もない。リスクを冒してまで出産したいと思わない。 「どうしてそこまで妊娠にこだわるんだよ」  ため息交じりに蒼哉が呟くと段ボールを持ち直しながら佐月が呟き返す。 「蒼哉さんと家族になりたいからです」  ふいに聞こえたプロポーズに等しい言葉にドキッとしてしまう。返答しかねていると佐月は目を閉じ呻くようにぼやいた。 「蒼哉さんには、捨てられたくない……」 「え?」  先ほどまでとはうってかわって、自信のなさそうな佐月の独り言に蒼哉は顔を上げたが、にこりと笑った佐月はいつも通りの穏やかな顔つきに戻っていた。 「約束ですからね」  蒼哉がHUBに配属されてから三年、利益向上は管理部全員で立ち向かってきたがこれといって成功したためしがない難題だ。易々と儲かる方法が見つかるわけがない。  静かにエレベーターが止まり、扉が開いた。生暖かい地下の空気が流れ込んでくる。 「行くぞ」  蒼哉は脚立を横にして脇に抱え、地下二階に降り立った。  HUBの駐車場は地下一階と二階にある。利用者は主に商業施設、スーパーマーケットの利用者だ。コインパーキングとしても機能している。しかし東京の一等地にあり、公共交通機関が庶民の足である地域のため、HUBの駐車場利用数は少なく満車になったことはない。今日も地下二階に止まっている車はなかった。  どこからか換気扇の回る音がする。照明も最低限しか点いていない。人気のない中で一際暗くなっている区画へふたりは足を運ぶ。  切れた電灯の下に脚立を設置して、蒼哉は電気回路を遮断するスイッチの方へと走って行った。その間に佐月は懐中電灯を点けて、脚立に登った。  地味な作業だが、ビル施設の保守点検は重要な日常業務だ。新人の佐月は配属されて瞬く間に単純業務を覚えた。正直、佐月と組むと業務が楽だ。背も高いので高所業務の電灯交換は佐月に頼りっぱなしだった。 「すみません」  突然、背後から声をかけられて、蒼哉は小さく飛び上がってしまった。  暗闇から影が顔を出す。中年の男性が見慣れたスーパーの袋を提げて近づいてきた。スーパーは地下一階にあるが、出口を探して迷ってしまったのだろうか。 「このビルの関係者の方ですか」 「はい。どうかしましたか」  佐月が素早く立ち上がって答えた。 「ここからだと駅へはどう行けばいいですか」 「ご案内します」  佐月は男性をエレベーターの方へ誘導する。ちらりとこちらを振り返ったので、目で大丈夫だと合図した。  戻って来るまでに片付けをしておこう。電気回路を再起動させ、交換した電灯が点灯するか確認した。脚立をたたみ、使用済みの蛍光灯を箱に入れる。電灯交換の記録をノートに書き込み、在庫の蛍光灯の数を確認し、発注のタイミングを考える。  やがて佐月が戻ってきた。いつもならば再会する度に犬のようにじゃれてくるはずの佐月は黙ったまま握った拳を顎に当て、何やら思案している。 「木梨? 先ほどの方は大丈夫だったか」 「あ、はい」  蒼哉が話しかけても気のない返事が宙を漂っただけだった。 「……蒼哉さん、ここの駐車場っていつもがら空きですよね」 「ああ、うん。百三十台収容できるけど満車になったことはないと思う。どうかしたのか」 「先ほどの男性が、駐車スペースを探していると仰っていたので、コインパーキングシステムについてご案内しました」 「へえ」 「この駐車場って広いですよね。入居テナントさんは自社用車を持っていらっしゃらないですし、来訪者で駐車するのはスーパーをご利用の方くらいですよね」  佐月が疑問に思うのも無理はない。HUBの駐車場は地下二階分もある。スーパーが直結している地下一階駐車場の使用者はいても、地下二階を使用する者はほとんどいない。地下二階という広大なスペースは有効活用されず、電気代などの維持費が発生しコストが嵩んでいく。 「無駄なスペースだと思うか? だけどしょうがないんだよ」  蒼哉は再び荷物を担ぐ前に、黄色い上着の前を開けた。ついでにワイシャツのボタンも二つ外す。シャツの下はじっとり汗ばんでいた。佐月が虚を突かれて胸元を凝視していることには気づかない。 「区の条約で特定用途、事務所・飲食店・物販店舗等、で千五百平方メートルを超える建築物を建築する場合、駐車施設の設置が義務付けられている」 「つまりここにビルを建設するには、駐車場は必要不可欠だったということですか」 「そ、うまく活用されてないけど、この無駄に広いスペースには意味がある」  駐車場がなければ条約違反で区に警告されるだろう。 「お前、法律と条約くらい調べておけよ」  柄にもなく先輩ぶってしまった。  佐月は蒼哉の言葉を聞いていないのか、俯いたまま黙ってしまった。 「木梨、ほら荷物持てよ」  蒼哉がしゃがみ、段ボールを持ち上げようとする。その肩を佐月が掴んだ。 「蒼哉さん約束ですよ」  見上げると交換したばかりの蛍光灯に照らされた佐月が何かを思いついたいたずらっ子の顔をしていた。 「わっ」  ボタンを外したシャツのわずかな隙間を佐月の指がそっと撫で上げた。両胸の間、きめこまやかな皮膚の上を長い指が触れる。反射的に及び腰になる下半身を引き寄せられ、指は胸から首へと這い上がっていく。喉元に触れられると本能が嫌がった。  佐月は皆に好かれる穏やかな顔を封じ、値踏みするような目付きで蒼哉を見下している。非常識な求愛をどこか夢のように感じていたが、身の危険を感じた。  こいつは本当に俺のことをどうにかしたいと思っている。 「僕が売上を上げたら、ボタンの続き僕に外させて下さいね」  開いたシャツの前を皺になることも気にせず慌てて握りしめ、蒼哉は耳まで赤くしてしまった。  荷物を軽々と持ち上げ佐月は誰もいない駐車場に靴音を響かせながらエレベーターの方へと歩いて行った。 「なんなんだよ」  ぼやいてしまったのは男の蒼哉に向かって妊娠させると言う佐月の理解不能な思考への苛立ちか、佐月に口説かれる度に内心どぎまぎしてしまい心労を募らせる自分の不可解な感情への戸惑いか、原因は分からなかった。

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