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ケース3 25歳会社員(NTR)
――あれ? 鍵が開いてる……
恋人が体調不良で会社を休んでいると小耳にはさみ、仕事帰りに様子を見に寄った。
玄関の鍵は開いているが、部屋には電気がついていない。
きっと、寝ているのだろう。病気の恋人を起こさないように、注意をしながら寝室に向かう。
「……あっ、…もっと…そこっ、あぁっ…」
聞こえるはずのない声に、僕の思考は停止し体は固まる。
ドアの隙間から、人影が見える。
ヘッドボードに手をつき、犬のように這いつくばる人影と、それに後ろから覆いかぶさり、激しく腰を揺らす人影。
「……い、いくっ…、はぁっ、はぁっ…」
「いけよっ、俺も、もう……いっ、いく……」
律動がひとしきり激しくなったあと、水を打ったような静寂に包まれ、荒い息遣いのみが残る。
這いつくばっていた人影が後ろを振り返り、覆いかぶさっていた人影と口づけを交わす。
お互いの口の中を犯しあうような、今まで見たことも聞いたこともない激しい口づけ。
振り返った人影は、僕と目が合うと、僅かに微笑んだ。
よく知ってる顔だった。
ようやく停止していた思考は再稼働し、固まっていた体が解き放たれる。
「よ、陽太っ!! なんでお前がここにいるんだよ。ここで何やってるんだよ!」
「何って、セックス。あんたの彼氏と昨日からずっとやってた」
何がおかしいのか、ぷっと吹き出しながら、言葉を続ける。
「俺たち、穴兄弟だけじゃなくて、竿兄弟ってヤツにもなっちゃった?」
僕は、怒りの余りプルプル震えながら陽太に駆け寄ると、拳にありったけの力を込めて殴った。
「お前なんか、もう、弟じゃない。二度と顔も見たくない!」
僕は、思いっきり叫んで、外に飛び出した。
――あいつ、また、寝取りやがって……
弟の陽太が自分の恋人に手を出すのは、これが初めてではなかった。
弟は、モデルのような長身のスラリとした体型に甘いマスクという恵まれたビジュアルと、周りのものを惹きつける強力な引力を持っていた。
その引力には、抗い難く、しばしば色々な人間を惹きつけた。
自分の恋人も例外ではなく、恋の終わりは、弟に魅了された恋人に振られるというのが常だった。
ただ、今回は違うはずだった。
今までは女の子だったが、今回は、自分の性癖に気付いて初めてできた、男の恋人だったからだ。
もう、涙も出なかった。
一体、いつまで繰り返すのか。今度の恋人だけは、違うと思っていたのに。
そんなに、自分には魅力がないのか。
弟に恋人を奪われるたびに、自分の存在が否定されたような気がして落ち込んだ。
――自分の存在を消し去りたい。
衝動は突然だった。自分の意思とは関係なしに、まるで操られたようにフラフラと足が勝手に進む。
最後の一歩を踏み出そうとした、その時だった。
突然、すごい力で腕を掴まれた。
「痛っ!」
顔をひきつらせて後ろを振り返ると、緊張に蒼ざめた男の子が立っていた。
女の子といっても通じそうな可愛らしい顔立ちの高校生だった。
かつて着ていたその制服姿が弟と重なる。
カッと頭に血がのぼり、大声で叫んだ。
「突然、痛いじゃないか! 何するんだよ!」
「ごめんなさい。……危ないって思って。車に轢かれちゃうから」
「…あっ……」
急に、年下の少年に向かって八つ当たりしている自分が、恥ずかしくなった。
力が抜けて、その場にへたり込む。
「こちらこそ、ごめん。折角、助けてくれたのに怒鳴ったりして」
「あの…何か、ありました? 大丈夫ですか?」
「…………」
言葉を発することが出来なかった。口を開くと、泣いてしまいそうだった。
少年は、わなわなと唇を震わせて無言で座り込む僕に、すぐ横のファミレスを指さした。
「ちょっと、落ち着くまであそこに入って休みませんか? 俺、付き合います」
僕は、少年に勧められるまま店に入り、さっきの出来事から過去の恋愛遍歴まで、赤裸々に全てを語った。
少年は、ただ、黙って聞いてくれていた。
僕は、誰にも話したり、相談をしたことがなかった。初対面の、しかも、年下の少年にそこまで話すなんて、今までの自分では考えられないことだった。
1時間ほどたった頃、頭上から鋭い声がした。
「そいつ、なんだよ。もう、新しい男か? 年下は無理だったんじゃなかったのかよっ!」
「よっ、陽太っ! なんでお前が! 顔も見たくないって言っただろっ!」
僕は、ギリギリと弟を睨み付けた。
弟に対する怒りは消えないものの、すぐに落ち着きを取り戻す。
ここで言い合っても、何も変わらない。ちゃんと話し合いをすべきだ。
先ほど、少年に心の中の全てをさらけ出して話したことが功を奏したようだった。
僕は、優しい声で言った。
「陽太、頼むからもう、お兄ちゃんのことは放っておいてくれ。僕たち、どれだけ同じことを繰り返せばいいんだ? お前は自分の愛する人を自分で探せよ」
「……死ぬまで。死ぬまで繰り返すに決まってるだろっ!」
「そんなに僕が憎いのか? 本当に好きなら何も言わず、快く譲るよ。でも、今までの全部、僕に対する嫌がらせだろ? こんなことを繰り返しても、お前は幸せになれない」
僕の諭すような言葉に、弟は絞り出すような苦しげな声で言った。
「あんたが悪いんだろ。ちっとも俺を見ないから……俺にしろよ。俺だけ見ろよ」
弟は、そういって震える手で僕を抱きしめた。腕の中で思った。
――とうとう、僕もこの強力な引力に、捕らわれてしまうのかもしれない。
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