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[木綿]経済格差とスーツ-6-
衣笠は、周りの連中には見向きもしないで俺の顔だけ見ながら真っ直ぐに向かって来た。
「綿貫君、これ、オトモダチ?」
感情ゼロの平坦な言い方で、衣笠が怒っているのか呆れているのか読み取れない。
かくいう自分も表情なんか出ていないんだろう。出ない力を振り絞って、首を小さく横に振った。
「……そんなら連れて帰るから。」
衣笠は俺の胸元に手を差し出すと、ダッフルコートの革のループに人差し指を掛け、くいっと引いた。
今まで重りのようだった体が、前に導かれる。牛飼いに鼻輪を引かれる牛の気分だ。黙って進む衣笠に引かれ、駅までの上り坂をついていく。スゲーな、指一本で抜け出せちゃったよ。
長い時間もがいていたのが嘘のように。あっという間に。俺の育てた筋肉なんてなんの役にも立たなかったのに、衣笠の人差し指は凄い。
海風の冷気に晒されて鼻先が赤くなる。巻いていたマフラーを引き上げて頬を埋めるけれど、この情けない顔は隠れない。衣笠の前では格好付けていたかったのに、あんなところを見られてしまった。せっかく東京を離れて仕切り直せたのに、また自分を押し殺す日々に戻されるのかなあ。卑屈な考えに押し流されそうになる。
山のてっぺん行きのバス停に着くと、衣笠は、いつもは使わない待合ベンチに俺を座らせ、ようやく俺のコートの革紐から指を外した。
衣笠は無言のまま駅前のロータリーを眺め、座ろうとはしない。
バス、来ないよ?衣笠も座ればいいのに。
ここの住人ならみんな知ってる。大学に行くやつぐらいしか使わないこの路線は、朝と夕方以外は1時間に一本しか走らない。
次のバスまで27分。立ったままの衣笠は、あんな情けないところを見て呆れたのか一言も口を開かない。いっそのこと質問責めにしてくれた方が気が楽なのに。
かと言って、俺の方から説明をと思っても、何をどう話したらいいのか見当もつかない。このまま詳細に触れないまま黙っておけば、そのうち忘れてくれるだろうか?
ポケットの中のスマホが鳴った。俺と衣笠の2台がほぼ同時に。
メールを開くと、ケンちゃんからの一斉送信メールだった。
『面倒くさいからお前らにまとめて送る。
昨日、ホテルの喫茶で東京の学生ご一行がワタヌキという人のの良くない話をしていたんだって?
夜、高野と衣笠は、綿貫がスーツの野郎から現金受け取ってホテルに消えたのを見たんだって。援交でもしてんの? 不潔だわーw
険悪なお前ら見るのも、恋人のいない男と高野が一緒に働くのもごめんだからな。高野がバイトしてる間に僕に説明しろ』
……噂? 現金? スーツ? 衣笠も見ていた…… 援交!?
隠し通す方法はないか考えていたのに、ケンちゃんの言う通りだとしたら俺は一体どう思われているんだ。衣笠の反応が怖くなって、スマホの画面から目が離せなくなった。
「メール、ケンちゃんだった?」
ようやく口を開いた衣笠の声は、怒気を含んではいなかった。
「うん。同じ文面、一斉送信だって。」
衣笠は、わざわざ時刻表を確認し、ひとつ溜息をついて俺の横に座った。
「……綿貫。言いたくないなら聞かないことにしようとも思ったんだけどさ。
ケンちゃんに説明する前に、僕が聞いておくこと、ある?」
メールの通りなら、こいつは俺が『スーツの野郎から現金受け取ってホテルに消えた』と思っているんだ。昔の同級生達が言う、きっと昔と変わりない、物凄い下世話な、根も葉もない噂を聞いているんだ。それで、そいつらに捕まって木偶の坊になった俺を見つけたのに、見捨てないで連れて帰ってくれている。
ちゃんと話そう。みっともないこともちゃんと。
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