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[木綿]経済格差とスーツ-7-

 ヤキモチ焼きのケンちゃん、キレてるかもな……。  前回の『ケンちゃん大暴れ!』は強烈だった。今回は部屋のドアが無事だといいな。寮に帰るのが気重になってきた。  手元のスマホの画面を見つめ、メールの内容を読み直す。  どこから話したらいいものか。話して信じてもらえるのだろうか。あの、付属校の奴らの言う俺の悪口はかなり口汚い内容だろう。それを信じてしまっていたら、俺が何を言ってもただの言い訳に聞こえるんじゃないだろうか。   昨夜一緒にいたのは兄貴だ。援交なんてとんでもないけど、衣笠も同じ疑惑を持っているのだろうか。  昔の連中に引き回されたせいで、すっかりネガティブな思考に戻っている俺の頭は、ただ黙り込んで迷走を始める。考えあぐねていたら、衣笠が先に口を開いた。 「さっきの奴ら、友達じゃないって言ったよな?」 「うん。友達じゃない。」  むしろ天敵。先程までの嫌な空気を思い出し、背筋が縮んだ。 「わかった。それなら、綿貫の口から出たこと以外は気にしないことにする。」  衣笠の居るのが真横で良かった。ここがバス停のベンチで助かった。  真正面から問い正されたら、きっと何も言えなくなっていた筈だ。衣笠は隣に座ったまま、目線だけを俺に寄越す。怒って睨んでいる訳でもないし、バカにしてもいない様子なのが救いだ。 「昨夜、の……見てた?」 「うん」 「スーツ着てたの、あれ、兄貴」 「……綿貫に兄弟? いたっけ?」 「母さんの再婚で出来た兄貴。で、俺、バイト決まったんだ」 「え? ……そう。よかったじゃないか。連敗記録、止まったな。そもそもなんで今まで何もしなかったんだ? 暇そうだったのに」 「バイトの面接に行くと、断られるんだよ。親のせいで。」 「……なんで?」  大学の学部が観光に特化した専攻だから、俺から言わなくても綿貫の名字であの会社の関係者だとピンときて擦り寄ってくる奴もいるっていうのに、衣笠はホントに呑気だな。この温泉地を走り回っているリスのマークの観光バスも、周辺の観光地を網羅するフリーパスも、親父の会社の事業だ。観光業に就きたい奴らは、就職のコネにしたくて必死に探りを入れてくるのに、衣笠はそんなこと気にもしていない。  衣笠に妙な誤解をして欲しくなくて、一から話した。母の再婚から中学高校の話、兄貴に助けられたこと、今度のバイトの話、と、順に進めていった。バスが来るまで、衣笠は何の相槌も打たずに俺の話を聞いていた。  東京での新年会が済んで、兄貴の仕事を見て、偶然見つかった彼奴らに囲まれて、衣笠が来て。大学に入ってメキメキ進化した俺が、一気に退化してポンコツに戻った過程を早回しで辿っているみたいだ。 「連れ出してくれて、助かった。ありがとう、ホント、助かった」  恥ずかしいところを見られてしまった。もうこいつの前で格好つけていられない。  言い損ねていた礼を言い終わったところで山の上行きのバスが到着し、僕らは黙ったまま乗り込んだ。がら空きの車内で、なんとなくいたたまれなくて1人掛けの席に座ると、衣笠はすぐ後ろの席に座った。  冬休みの午後、他の乗客もなく扉が閉まる。言うだけ言って何のリアクションもないままの衣笠。気の毒に思って憐れんでいるかもしれない。呆れているかもしれない。俯いて荷物を抱え込んだら、発車の揺れと共に衣笠が前のめりに俺に近付いた。座席の背もたれに肘をついているのだろう。近い距離から柔らかな声が響いた。 「そっか。じゃあ、自転車を買いに行かないと」  ……自転車。そうだ。軍資金、早いとこ現物に変えなくちゃ。  そんな簡単な予定だけれど、俺の頭の中から抜け落ちていた「先に進むこと」。大袈裟かもしれないけれど、「未来」を衣笠が示した途端に、夏休みの毎日をママチャリの後ろの荷台に衣笠を乗せて、太ももの筋肉を鍛えながらこの山道を走って過ごした自分の姿を思い出した。  このままダメダメモードの俺じゃ駄目だ。山の上で暮らす俺は、こんな俺じゃない。ジグザグの山道を登るバスの視界につられて、気持ちが上向いてく。  衣笠が、スンと鼻を鳴らす。 「……綿貫じゃない匂い、する。」  俺の首元に腕を巻き付け、顔を覗き込むようにしながら言う。  嫌がらせの名残か、背後から抱き着かれて無意識に背筋が強張る。  怖いよ、衣笠。口調もなんだか機嫌が悪そうだし。 「綿貫、どこの風呂使ってきたんだよ、こんなのお前じゃない!  風呂だ風呂!帰ってすぐ風呂場に放り込んでやる!」 「え……? まずケンちゃん……」 「ケンちゃんにはバスの中からメールしておけばいいよ。  言いたくなければ言わなくていい。ケンちゃんだって、綿貫が本当に言いたく無いことを掘り返しはしないよ。  嫌がることはしないのが友達だろ。」  友達……か。  そうだった。ここにはちゃんと友達がいる。  バスを降り、再びダッフルコートの革ひもを指で引かれて寮に戻った俺は、着くなり風呂場に放り込まれた。  「綿貫、ステイ!」なんて衣笠の一言で何も言い返せず、いつものボディソープで頭のてっぺんから足の先まで二度洗いを命じられる。  数日ぶりの源泉はやたら熱くて手足が痺れる。真っ赤になった顔まで湯船に沈めると、鼻先がジンと痛くて、自分が芯まで冷え切っていたことを改めて思い知らされた。

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