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[木綿] タヌキでいいです-2-
ゴミ袋2つを集積所に詰め込んでいると、後ろに並んだ奴から声を掛けられた。
「綿貫君、扉は開けたままでいいよ」
「ああ、わかった」
振り向くと、高野の恋人 ケンちゃんが立っていた。
“あの”ケンちゃん、と、ちゃん付けで呼ばれるけれど、決して可愛らしい男子では無い。メタルフレームの細いメガネに、襟付きのシャツ。学内寮では珍しくアイロン掛けを日課にしているトラッド派だ。古びた三畳間に不釣り合いに見える大型液晶ディスプレイを、3台部屋に設えているのは株式の情報収集の為だとか。
高野がいない時間はほぼ自室に引き篭もっている。こいつが自分でゴミ出しだなんて珍しい。
「綿貫タヌキ君、君の大事な衣笠君とは最近どう? ウマくいってる?」
…俺と衣笠が本当は恋人ではないという事実は、高野が知っていても、ケンちゃんには伝えていない筈だ。『フリーの奴と一緒に働いていると知れたら何が起きるかわからない』と高野が苦笑していたので間違いない。ここはバッチリ交際中の設定で乗り切らねば。
「お、おかげさまで!」
「高野がやたらと君達を理想のカップルだって言うんだよ。
僕もあやかりたいから、留守番同士、こっちはこっちで仲良くしようぜ!」
どういう風の吹き回しだ。今まで、話しかけてきたことも無いのに。
「二人に憧れてるのかと思えば、君の事はタヌキ呼ばわりしてさ。……こうして見ると、顔立ちから言えば、タヌキっていうより犬だよね。柴犬。マメシバっぽいって言われない?」
ケンちゃんはひとりで笑っている。言われないですが。犬系か?俺。
「順調じゃないんなら早めに教えてよね、フリーの奴とウチのダーリンを一緒に居させるなんて考えたくもないんだから。
フリーペーパーの一件でやたらと長時間一緒にいるだろ? あの二人。
君がちゃんと捕まえててくれないと、僕も困るんだよ」
なるほど。用件はそれか。
妙に馴れ馴れしい言い方にイラっと来て『高野がモテモテで大変だな』と嫌味の一つも言いたくなるが、止める。それを言うほど馬鹿じゃない(何が飛んでくるかわからないから)。
高野も衣笠と同じで、あの表紙の影響で連日出勤しているから、さぞかしイライラも溜まっているだろう。俺たち留守番組の共通の不満か。
寮内では公認の仲のこいつらだから、ヤキモチ焼いて喧嘩も出来るし、我儘も言える。『他の子からの手紙なんか喜ぶな』『女の子の方が良いのか』『もっと一緒に居たい』『帰りが遅い』……コイビトなら怒って当然だ。
今の宙ぶらりんな俺に、それは出来ない。
「燃やすゴミは……こっちだよね?」
表示を見ればわかることを、何故わざわざ俺に聞くのか。ニヤニヤとこちらを見ているケンの真意がわからなくて奴の手元の半透明ビニール袋に目をやると、詰められた雑誌の切り抜きらしきものが詰まっている。
……待って? これ、知ってる。例のフリーペーパーの表紙じゃないのか?
切り刻まれた衣笠の部分だけが、袋から透けて見えた。
毎度の痴話喧嘩の様子から、ヤバい奴だとは思っていたけど、これは……
隠すどころか、わざわざニヤリとこちらに目線を向けているのだから、俺に見せつけようとしてここに来ているのだと分かる。牽制のターゲットは俺というより、俺越しの衣笠。
こいつのペースで嫌がらせを受け続けるのも癪で、なにか言い返してやろうと口を開きかけたその時、俺のスマートフォンの着信音が短く鳴った。衣笠からメールだ。
待ち受け画面をチラ見すると、真っ赤なスパゲティの写真のサムネイルが見えた。夕飯、賄いで食べたのか。
――ということは、俺はひとりで何か食べなくちゃいけない。今週は一度も衣笠と夕飯を食べられなかったなあ。
そして今夜も、結局閉店時間まで居残って、クローズ担当の高野と一緒に寮に戻り、また朝になれば開店担当の衣笠はドタバタと出勤するのだ。話題に火が付いている短い期間だけだからとは言え過酷すぎないか? 誰よりも、正社員よりも長い時間働いているに違いない。
風呂場の予約を深夜に変えなくちゃな。
自転車を手離した俺は、衣笠を送っていくことも出来ない。今の俺にできるのは、疲れて寝過ごしてしまう衣笠を起こして、とりあえず朝食代わりの玉子を茹でて食わせるくらいで。それを、さも自分の筋トレスケジュールのついでにやっているように思わせるための小芝居を付け足すくらいで。
メールひとつで“今からやることリスト”が頭を占拠し、目の前の奴に悪態つく気も薄れてしまった。それがケンにも伝わったのか、次の一矢が飛んできた。
「綿貫君、聞いた? あいつら、職場の従業員宿舎に引っ越すように誘われているんだって。
この寮、ボロいし、狭いじゃない? あっちなら、家具家電付きワンルームマンションに無料で住めるんだってさ。随分熱心に口説かれてるみたいだよ」
「え……?」
ナンダソレ、衣笠が、この寮からいなくなる……?
初耳だった。
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