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[木綿]お疲れさん-1-

 衣笠のいない学内寮は、どうにもツマラナイ。  同じ留守番組のケンちゃんのように株価を追うわけでもないし、自分がバイトに行くわけでもない。  共有スペースにバランスボールを持ち込み、無意味にストレッチして時間を潰す。大画面のテレビは、日曜の午前らしい呑気な情報番組が点いたままになっていて、俺が観たい訳じゃないけど、気を紛らわすのには助かる存在だった。  ひとりで居ると、一日三食きちんと食べることが億劫になるんだな。もうじき昼だけど、何が食べたいかなんて浮かばないや。  仰向けでボールに乗り、上下逆さまに画面を眺めていると、これから出掛ける高野が言った。 「綿貫、パンダなの? タヌキの分際で」  見送りのケンちゃんが顔を背けて笑っている。こらそこ! 笑い過ぎだろ。  スマホで撮影しようとする高野を制して起き上がる。衣笠に送ってやろうと思ったのに、と膨れるが、冗談じゃない!  あんまり連日籠っているから、思考がとまるんだな。出掛けるか。再放送のグルメ番組が、各分野の専門家が個人的にハマっている食べ物を映し、こだわりの食べ方をスタジオで再現していた。 「これ、試してみたいな…… 衣笠が好きそうだ」  ――――もうひとりで飯食うの、ヤダ。  じっとしてはいられないや。取り敢えず買い物に行こう。財布とスマートフォンをポケットに押し込み、勢いでバス停に向かった。  目的の買い物はあっけなく終了した。こだわりが無い時は、下から2番目に安い物を買う事にしているので、単純で迷いがない。他の物をついで買いする気にもならなくて、会計を済ませてそのまま駅まで戻って来た。  昼飯、食い損ねたな。もうすぐ四時。食堂のランチも終わっている。せっかく町まで下りてきているし、やっぱり気になるから一度は衣笠の店に行ってみようかな。  観光客に紛れて、駅から海まで続くメイン通りを歩くこと8分。昭和の温泉ブームの栄華を感じる大きなリゾートホテルの入り口に、その喫茶室はある。今まで裏口だけに用があったせいで近付かずにいたけれど、雑誌や動画で見知ったエントランスだ。  普段着で手には大きな家電の段ボール。ホテルの正面から入るのにはふさわしくない気がして、通りに面した喫茶室直結の出入口に周る。  ここを開けたら、アイドルのように女共に囲まれて働く衣笠が居るのか。キャーキャー言われて、ニコニコポーズとってると聞いている。こっそりラブレターやプレゼントを渡されたり、ポケットにオヒネリを捻じ込まれたりしているかも知れない。  扉の向こうは俺の知らない世界だ。イメトレを繰り返し、モテモテ衣笠を見たって動じないぞ、と覚悟を決めて、重そうな焦げ茶の木のドアを押し開けた。 「いらっしゃいま……せ」 「……」  ドアに付けられたベルが軽やかに鳴る。……あれ? 静かにBGMが流れる、普通の喫茶店だ。  そこそこ混んでいる店内を進み、窓際のボックス席に荷物を置いた。  なにしろ腹ペコで、ここに来たら食べようと思っていたナポリタンを探すけれどもメニューにない。ダメもとで聞いてみたら、オーダーできた。  衣笠の後姿を見送り、肩肘を突いて窓の外を見遣る。もう人もまばらな海。真夏の海水浴場の賑やかさがウソのようだ。  ……俺の頬が真っ赤なのはバレないでくれ。  俺はすっかり忘れていたのだ。仕事中のこいつは、いつもと違うってことを!  当たり前なんだけど、扉の向こうに居たのはフリーペーパーの表紙にいた“給仕係のコスチュームに身を包んで、髪を綺麗に後ろに流した衣笠”で。写真でしか会ったことがない人がいきなり現れたみたいで、ドギマギしてしまったんだ。目なんか当然合わせられない。最小限の会話で注文を済ませ、顔を反らしてやり過ごした。  ハーレムの王子みたいにちやほやされて、鼻の下伸ばしてるのを揶揄ってやろうと思っていたのに、店内は至って普通の喫茶。時々、女性客と写真を撮ったり、常連らしい人と世間話をしたりしている声が聞こえるけれど、依然赤みが引かないこの顔では、直接様子を見るのは無理そうだ。  ……数日振りに会う衣笠。お仕事モードの普段とのギャップに、すっかりアテられてしまったんだ。くそぅ。

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