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第616話
昨夜からぼたん雪が降っている。
静かに降るせいで起きたときにはその積雪に驚いた。
一晩で随分と積もったものだ。
「隴西の李徴は博學才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔よしとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、かく略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。」
席の間を縫いながら朗読をする。
読めない生徒はそこでルビをふっていた。
携帯を翳せば調べられる時代になっても自分の時と変わらぬ光景。
隙間風が戸や窓を揺らす。
「しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。」
中央の列を歩いていると中庭からどさどさと音がした。
外を一瞥するとそちらを向いている丸い頭が視界に入る。
見慣れた頭はじっと動かない。
動かねぇな
何見てんだか
「一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿つた時、遂に發狂した。或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。」
範囲を読み終わり教壇に戻ると教科書を授業用ノートに持ち変え、チョークを手にする。
身長のお陰もあり黒板いっぱいを使えるのは便利だ。
ただし、下は書きにくいがそこまで贅沢は言わない。
カツカツと黒板にチョークがぶつかる音が響く程、静かな教室内に北風が吹き込んでは溶けていった。
沢山の視線を感じる。
窓の外を眺めていたあの生徒も前を向いているだろうか。
振り返るとその生徒と目が合った。
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