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第814話
五月雨に打たれる紫陽花は色っぽい。
三条はプリント解く手を止めてリビングの窓から庭に咲くその花をぼんやりと眺め、昔の事を思い出していた。
母さんと歩く保育園からの帰り道。
空が高く、緑や花がもっと近くにあった。
「みみたまり!」
上手く水溜まりと言えなかったあの頃、大きな水溜まりを見付けるとすぐに飛び込んでいたらしい。
よく覚えていないけど。
「ばっちゃっ!」
「あー、遥登…。
ばっちゃっしちゃったの…。」
「ばっちゃっ!
みーちゃ!ばっちゃ!」
「お母さんは良いよ。
遥登、お家帰ったらすぐお風呂はいろうね。」
「うへへっ」
「あー…」
保育園のスモッグを汚しに汚し、長靴さえも水浸しにしする息子に母は自分の母親の言葉を思い出す。
『泥だらけで帰ってきて良い子ね。
お洗濯はお母さんのお仕事だから、美月は泥んこになって遊びなさい。』
母は偉大だと、同じ様に子供を授かって痛感する。
「みーちゃ、たのち!」
「そっか、楽しいか。
遥登が楽しいとお母さんも嬉しいな。」
にこにこと泥だらけになる息子を眺めながら、手洗いで何処まで落ちるだろうか考えた。
でも、楽しそうな顔は我が息子ながら可愛い。
ちゃぷちゃぷと空を踏み付けては楽しいと笑い、楽しいからと大好きな人も誘う。
難しい事は何もない。
何をするのも理由は簡単だった。
「みーちゃ、みーちゃっ」
「はぁい」
ぎゅぅっと抱き付くと母親の良いにおいがした。
母は小さなぬくもりを抱き締め返す。
母親の白いシャツを汚す小さな手も、ふわふわと頬を擽る髪も、太陽のにおいがする身体も可愛くて愛しくてたまらないと愛情を込めて。
「みーちゃ、ちゅき」
「お母さんも遥登大好き」
満面の笑みで好きと言ってくれる息子に、母親もありったけの気持ちを込めて笑い返した。
それが、とても嬉しかった。
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