6 / 7
第6話
時は少し遡る。
しつこい上に妙な所で感が鋭い極楽鳥に、呪術師は架空の連絡先を尽く看破されていた。
苦肉の策でアグラディアの住所を連絡先と偽り渡し、ようやく退散させ全力疾走していると、今度は通路でメルヴィンが立ちふさがる。
「メル?!何か伝令ですかい?今急いでいるんですがね」
「まあ、そんな感じ」
「早いとこ済ませてくれ、今旦那が」
「そんなに焦らなくても、おっさんなら別の捜査員に見に行かせてるから大丈夫だよ。……ねえ、先生はどうしてあんなおっさんを選んだの?」
「は?」
「淫魔から助けてあげたんだって?私と同じだね。でも、先生は私の事は受け入れてくれなかった……私はあのおっさんに劣るのかな?私の何処が足りなかったの?」
「おい、今はそれどころじゃ」
メルの目が一層暗く淀む。
溢れ出る闇の気配、メルヴィンの影が僅かに揺れた事に呪術師は気づいた。鼻先に邪悪な魔術の匂いが掠める。
(この気配……!)
メルヴィンは虚ろな目を愛おしげに細めてゆっくり歩み寄る。
「私は先生が『特別な相手』を作らないから我慢してたのに。どうして……?」
熱を求めるからくり人形のように両腕を差し出して呪術師に抱きつき、キスを奪った。
ゆっくりと押し当てられ、離れる。
小さい唇が震えた。
無表情の呪術師は身じろぎ1つしない。
道端の石を見る目で見下ろしたままだ。
呪術師が男を見る時との余りの落差に、メルヴィンの声が揺れた。
「どうして避けないの……?」
呪術師はなにも答えない。その目はただ現象を確認しているに過ぎない。
それは男と出会う前の呪術師の目だ。
メルヴィンのよく知る、何も愛さない人間の冷たい視線。こんなに愛しているのに、メルヴィンの体温は少しも呪術師には移らない。
重ねるキスも、メルヴィンの体温を奪うだけ。
「なんて冷たいキス。心が凍りつくみたい……」
それでもしがみついた手を離せないまま、メルヴィンは涙を零した。
なんでこの人を愛してしまったのだろう。
どうしてこの人を暖めるのが自分ではないのだろう。
せめてこの人がたった一人で居るのなら、誰のものにもならないのなら、受け入れられなくても堪えられたのに。
呪術師の首に回された細い腕、その袖口から隠し持っていたナイフが落ちて乾いた音を立てる。
「貴方が、……あのまま誰も愛さない人で居てくれればよかったのに……っ」
「……すまねえ」
たった一言だけを告げて、呪術師は札をメルヴィンの後頭部に貼り付けた。
同時に、ふ、と脱力して小さな体が倒れ込む。無表情のまま片手で受け止めたそれは思いの外軽かった。
(……メルが「闇に飲まれた」ってぇ事は……)
嫌な予感がしてステージのターゲットを見ると、ターゲットの側にいるスタッフがその後ろ手に刃物を隠し持っているのが見えた。
「ちっ!」
その距離に舌打ちをする。
今からあそこまでは間に合わない。側に会場の警備員もいない。
様子のおかしいメルヴィンがここに居る以上アグラディアの現在位置や無事も把握できない。
呪術師の決断は早かった。
杖の仕込み銃を構え、太陽のようなシャンデリアに全弾を撃ち込む。
がうん!
がうん!
がうん!
轟音に次ぐ轟音でシャンデリアは真下の噴水へ沈み、魔力供給源を失った為に、辺り一帯が暗闇の手に落ちる。
あちこちから上がる悲鳴。一拍置いて赤い非常灯が灯る。
非常時を感知したステージの結界が、高額商品達に緊急防御結界を発動したらしく術式が夜闇に光った。
会場は混乱に包まれている。
(とりあえずこれで嫌でも非常事態だってことは他の捜査員に伝わるだろう。ターゲットの方は任せておいて大丈夫だ)
メルヴィンをスタッフオンリーのドアの物陰へ隠すと、呪術師は男の元へ走った。
◇
混乱して薄暗がりを惑う客達をすり抜けながら呪術師は走りぬける。
男の無事だけを祈りながら階段を駆け上がり、程なくして淫魔の席前にたどり着いた。
鍵の掛かったボックス席の扉をこじ開けようと杖を構えて一度身を引くが、
どがぁん!
その瞬間内側からドアを破って大きな音と共に何かが吹っ飛んできた。とっさに身を翻して鼻先を掠める肉塊に目を見開く。
「こいつは、……淫魔?!」
散々ボコボコにされていた淫魔の青年は壁に打ち付けられ、ズルズルと床へ落ちていく。
そこに男の怒声が響いた。
「先生はハゲたりしねえんだよっ!」
「は?」
呪術師が若干ポカーンとしていると、傍らに落ちていたスカートを腰に巻きながら男が中から出てきた。
「あ!先生?!大丈夫か?今のぶつからなかった?」
そう声をかけてくる男がほぼ全裸なのを見た瞬間。呪術師がその踵を思い切り淫魔へと振り下ろした。
めごっ
「ふぐうっ!!」
怒りの余り言葉も無いまま、無言で淫魔を蹴り続ける呪術師。無表情なのに背後に地獄の炎が見えるその有様は鬼神も真っ青だ。
どがっ
「ぐうっ!」
ごすっ
「ぐあっ!」
ばきっ
「がふっ……」
「まってまって!先生!おれ無事!無事だから!!さんざん殴った後だぜ!死んじまうよ!」
貴重な情報源が殺されるのを男が必死で止める。
しがみついてなんとか落ち着かせると、呪術師は今度は大慌てで、男の体のあちこちをガラス細工にするようにそっと触れた。
「ああもう!一人で行くなんて無茶しやがるから……!ちゃんと、ちゃんと無事なんですかい?!」
「無事無事!薬さえ盛られてなきゃ、こんなの相手にもならねえって……って、あ、やべえ!おれ、つい手が出ちまって……!ごめん!これってやっぱり作戦失敗になるのか?……ん?……あれ?……なんか暗くねえ?」
暗がりに非常灯が付き、周囲に立ち込める悲鳴と混乱にようやく男が気づく。
「こまけえ質問に答えたいのは山々なんだが、……まずはそっちの外道をしっかり捕まえてからにしやしょうか」
呪術師は自分のマスクを外し、血を流し微動だにしない淫魔に向かって杖先を向けた。
ズタボロの魔物から、妙な気配が漂っている。
ずずず、と周囲の闇が引き込まれるような低い音がして、見えない何かが倒れ込む淫魔に集まっていくのが男にもわかった。
不自然な方向へ曲がった手足を蠢かせ、操り人形のように淫魔が起き上がる。
破鐘の様な声が響いた。
『くくく、この体、結構気に入ってたんだけどな。でも、そうも言ってられないよね』
ぐちゃり
生肉を千切る音がして、青年の口を引き裂きながら獣の頭が這い出てくる。それは酸を被った猪のようであったし、炎で焼かれた大蛇のようでもあった。
どうやって潜んでいたのか3メートル程の巨体が青年の肉の門をくぐり切ると、原型を留めない青年だったものがべちゃりと床に投げられる。
その太い脚は熊のように毛が生えて蹄が付き、反して細く華奢な両腕には銀色の鱗が疎らに張り付いていた。
『美味しい魔力は魔力効率もいいんだねえ。この体になるの久しぶりだけど、羽根みたいに軽いや。……ん?……あれえ?何処かで見た顔だと思ってたら、愛しい僕らの拷問官様じゃないかあ』
うきうきとトカゲのような細い両手を握っては開く淫魔。
「な、こいつは……」
「淫魔の本性の1つです。精々中級ってところでしょうかねえ。使い魔じゃなくて本体入りとはラッキーだ」
『ははっ。随分かってくれるんだね、……下等な人間ふぜいが!』
淫魔が勢い良く腕を振るうと、勢い良く突風が起こる。
詠唱なしで起こされた疾風魔法だった。
呪術師達に向けられたそれは、呪術師の杖の先で四散する。
代償に杖についている魔結晶が1つ砕けた。
「風属性特化か……めんどくせぇ!」
呪術師が男を引っ張って柱の陰に隠れる。
「どうする先生!?」
装備さえあれば男にとって多少の魔物は敵ではないが、無詠唱魔法を使う魔物に丸腰では太刀打ちできない。なんとかしてくれと呪術師にしがみ付く。
「うーん。なんとかあいつを殺さずに捕まえてえんだがなあ」
「なんか強い魔法とかないのか?!」
そうこうしている内にも淫魔は暴れているようで、こちらへ向けて何発も疾風魔法が打ち込まれる。
それを尽く弾き、走りながら呑気に呪術師が零した。
「今持ってる魔法のままだと、殺しちまうんですよねえ、多分。俺、こういうのホント苦手で……」
闇に紛れて移動しつつ淫魔を巻いているがそれもいつまで持つかわからない。
「どうにか調節してくれよ!」
そうこうしてるうちに淫魔がしびれを切らしたのか、いつの間にか生えた背中の翼で劇場の中空へ飛び上がった。周囲から上がる悲鳴。もはや阿鼻叫喚だ。
『どこへ行った!はやく美味しい餌を持って出ておいでぇ!』
「うわあ!羽まで生えてんじゃねーか!早く!先生早く!」
「うーん……死ぬより痛えけど心身に影響ねえとか、周囲一帯埃も残さず消し飛ばしちまうとかなら得意なんですがねえ……」
夕食の献立でも思案するかのような口調で物騒なことを口にする呪術師を男が慌てて止める。
「周囲一帯消したらだめだろ!?」
「ううん。となるとあれかねえ、でも、結構面倒なんだよなあ……あー、しかしなあ……」
「そこをなんとか!俺に出来ることがあったらなんでもするから!」
その言葉に呪術師の目が光った。
「言いやしたね……?」
「え?あ、ああ、する!なんでも!」
「よしきた!」
呪術師は淫魔の前に踊り出ると、空中に金色の札を三枚並べて貼り付けてすごい勢いで指で紋様を書き始めた。その真剣な表情はいつもの気の抜けた呪術師のものとは思えない。
書き綴ると同時に唇からは高速で力ある言葉が唱えられ、魔力の圧力で後ろにいる男の耳がキーンと鳴る。
緑色に光る紋様はするすると魔法陣を形作り、目の前でバチバチと魔力が集積されていく。
この場にアグラディアがいたら、それが普通の魔術師なら寝ずに一週間は掛かる『魔法』だと気づいたことだろう。あるいは「こういうの咄嗟に出来るなら普段からもっとやる気出そうよ!」と叫んだかもしれない。
自分に向けられる不穏な空気に淫魔が気づく。
『させるか!』
すかさず淫魔が疾風魔法を飛ばす。
しかし、空中の魔法陣は硬質な音でそれを弾き、蔦植物の様に外縁へとどんどん成長していった。
『なっ!』
「『魔法』はあんまり得意じゃねえんだが、旦那の頼みなら聞かねえと、……な!」
最後に杖で中央を叩くと、そこから丸太程の太さの炎柱が淫魔に向かって吹き出した。
『ひっ!聖火炎だとぉ!!ぐあああっ!』
燃え盛る炎の柱は、怯む淫魔を無情にも貫き、天井をぶち抜いて空の彼方へ消えていった。
似合わぬガッツポーズを取る呪術師。
「よしっ、なんとか焼き尽くさずにすんだ!」
撃ち抜かれた淫魔の身体は浮力を失い落下するが、同時に淫魔の胸から中型犬程の大きさのコウモリが生え、あっという間に本体を蹴って飛び立つ。
「あ!やべえ!アイツ分離術使いやがったな!」
「ぶんりじゅつ?」
「魔物のコアを獣に変えて逃がす術でさぁ。あいつを捕まえねえと意味がねえ!くそっ!」
慌てる呪術師を尻目に飛び去っていくコウモリ。
しかし、あと少しで天井を越えるその時、下から投網が打ち込まれた。
『ぎゃぎゃぁぁああ!』
藻掻くコウモリが銀の投網に絡めとられて高度を下げ、とうとう下で待つ捜査員達に取り押さえられる。
「そっちだ!」
「おさえこめ!」
「封印班まだか!」
と大騒ぎだ。
その時、後ろから足音が近づいてきた。
「二人共ぉー、怪我とかしてないー?!」
駆けつける王子様顔の青年。
「あっ、アグラディア!」
「アグ、生きてたのかてめえ」
「勝手に殺さないで!ぶん殴られて気絶させられて、気がつけば真っ暗だし、師匠たちと淫魔は暴れてるし、必死で捜査員再編成して駆けつけたんだからね!」
後頭部をさするアグラディアに、呪術師が尋ねた。
「そうだ、メルは!」
「大丈夫。こっちでターゲットの少年と一緒に確保してる。ちゃんと精神汚染対策班に引き渡すから」
男と呪術師は顔を見合わせた。
「アグ」
「なにぃ?」
「お前、ちゃんと仕事出来るんだな」
「今までだってしてたけど!?」
……こうして、『飽くまで穏便に人身売買を取り締まって、捕まってる証人を救出して、できれば淫魔も捕まえよう作戦』は呪術師の業火と投網によって派手に収束した。
例の少年も商品とされていた人々も無事救出され、皆健康状態に異常はなかったそうだ。
被害も甚大だったが、「取締りによる人死に」は出ておらず、珍しく淫魔を生きたまま捕獲出来たことで捜査員達にお咎めは無かったらしい。
そして後日、暴走したメルヴィンが、取締班の敵対派閥の1つに心の隙を突かれて強い闇術をかけられていたことが判明した。精神操作と闇魔術を組み合わせた禁忌の術だ。
取締班の選抜に漏れた事を逆恨みしてメルヴィンに闇術をかけ捜査を撹乱させ、パーティースタッフに化けて証言者である少年の命を狙ったらしい。要は命をかけた嫌がらせである。
メルヴィンには運の悪いことに呪術師への深い片思いを利用されての事だった。
通常ならメルヴィンにも重い処分が検討されるところだが、過去の功績と技能の高さ、直接の被害を受けたアグラディアの嘆願等から多少のペナルティが課せられる程度で落ち着いた。もちろん闇術も無事解かれた。
だが、考えるところがあったのか、結局退院と同時に自ら職を辞したそうだ。
貴族の邸宅で起こった大規模な摘発はしばし新聞を賑わせ、人々は様々な憶測と噂に大いにどよめいたが、それも一週間が過ぎる頃には下火になり、次第に元の日常に戻っていった。
ともだちにシェアしよう!