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第35話

 いや、そうじゃないですと言おうとして、けれどその言葉も言っちゃまずいと思い止まった。  それに上城が怪訝な表情をしてきた。陽向の心の戸惑いを、見極めたかのように目を眇める。 「彼女の方が好きなの?」  その言い方は、まるで桐島と、誰か他の比較対象があるような口ぶりだった。もうひとり、陽向には意中の人物がいるというような。 「ホントのとこはどっちなんだよ」  問いつめるように言われ、なんと答えるべきかわからなくなって、陽向は困ってしまった。学校の先生に怒られた小学生みたいに、ついうなだれてしまう。 「……」  上城の後ろから、新しい客が来たのが視界の隅に映った。  こんなところでいつまでも私語をしていては他の客の迷惑になってしまうだろう。しょうがなく、陽向はカウンターに向かって話しかけた。 「……彼女が好きです」  そう言っておくのが普通だよな、当て馬なんだから、と自分を納得させて小さく囁く。  陽向は自分の気持ちとは裏腹な告白に、ひどく落ち込んだ。しかし、なぜ消沈するのか、その理由はいまいちよくわからない。  嘘をつくだけなら、どうしてこんなに罪悪感に似た感情に捕らわれるのか。桐島のためになることをしているはずなのに。  陽向の答えに、頭上から焦れた声が降ってくる。 「だったら、なんで、このまえ、居酒屋で俺の誘いに応えるような目を――」 「すいません、まだかかるんですか」  不意に、苛ついた女性の声が後ろからかけられた。順番待ちをしていた客が痺れを切らしたらしい。 「も、申し訳ありません、今、やりますので」  陽向は慌てて上城の背後に並んでいた中年の女性客に謝った。  会計を待って、仕方なく(おもて)をあげる。自分の瞳が不安定に揺れているのは自覚していたが、仕事はちゃんとしなければいけない。さがりそうになる口元に力を込めて、平気な顔を保とうとした。  上城は、陽向の様子をじっと眺めてきた。けれどそうしていても埒が明かないと悟ったのか、やがてぼそりと不機嫌に呟いた。 「わけわかんねえ」  ポケットから無造作にスマホを取りだすと、読み取り機に当てて缶コーヒーの清算をする。レジスターがピッとかるい音を鳴らした。 「わかったよ」  缶を手に取ると、陽向に向かってそっけなく言う。

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