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第77話
ひとつは古い写真だった。ボクシングパンツをはいて、バンテージを巻いた若い男がこちらに向かって腕をあげたポーズをしている。顔つきがなんとなく上城に似ていた。上城よりも細くて、野性的な目をしている。
「その人が、上城さんのお父さん。アマチュアでずいぶんいい成績を残して、けれど夢途中で怪我で引退されたらしいんです」
陽向は頷きながら、カウンターにそっと写真立てをおいた。
「俺が物心ついたときは、親父さんはもうこの店でバーテンダーやってたんですけど。なんていうか、寡黙で男らしくて。けど、みんなから慕われてて。えと、……ほら俳優でいましたよね、なんとかかんとかっていう昭和の名優」
えっと……と考え込むアキラに思いついた名前を告げる。
「高倉健?」
「そうそう、その人。高倉健に似てたんですよ」
陽向も高倉健のことは、テレビ放送の映画で観た程度しか知らなかったが、確かに寡黙で男らしい俳優だった。
「上城さん、親父さんのこと、すごく大事にしてて。ボクシング始めたのもアマチュアにこだわってやってたのも親父さんの影響で、高校の頃はインターハイで何度もいい成績残してたんですよ」
陽向は、もうひとつの写真立てに目をやった。そこには今より若い上城が写っていた。高校生の頃なのだろうか。同じ選手らと並んで写真におさまっていた。
「オリンピック目指すかって話もあって、大学も決まってさあ進学だってとき、けど、親父さんが……病気で倒れちゃったんです」
アキラが、カウンターに空のグラスをいくつも並べる。ひとつずつ手に取って、専用の麻の布で磨き始めた。
「すぐに入院になってしまって。ちょうどこの店が改装したばかりで借金もあったから、上城さんは仕方なく、進学あきらめて店を継ぎながら親父さんの世話に専念することにしたんです」
「そうだったんですか」
冷えたビールを少しずつ飲みながら話を聞く。
多田の話が、また思いだされた。事情があって大学に行かなかったのだと、確か言っていた。上城が大学に進学しなかったのは、そうしたくてもできなかったかららしい。
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