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第2話

 王の治める国は辺境(へんきょう)の小国であった。  国土の半分が山林で、少ない平地を大河が横断していた。水と気候に恵まれた国はそれなりに豊かであり、船を使った貿易で財を成した商人も少なくなかった。  王が生まれるずっと前から平和な時代が続いていて、それは魔導士教会の恩恵だと言われていた。  神の教えを説く魔導士らは、人知の及ばぬ力を用いて「平和」をおびやかす勢力を滅ぼす。  その圧倒的な力の前では、大国の軍隊も無力だった。教会に従うことを是としない国は、次々に滅ぼされ、周辺国に吸収されて存在しなくなってしまった。  だから魔導士教会の支配下におかれた国々の君主は、それぞれが統治を保障してもらうために服従を誓い、莫大な寄付を欠かさない。たとえ不作の年で民が飢えていても、優先すべきは教会への寄付であった。  辺境の王もまた、父祖に(なら)って教会に従うことで国を護っていくつもりだった。  父王が晩年になってようやく恵まれた子だったため、彼は若くして王位を継ぐことになり、はるばる魔導士教会の本部へ(おもむ)いた。全ての魔道士を()べる大魔道士に会い、即位の許しをもらうためである。 「新しき王のもとで国が穏やかであるよう祝福を授けましょう」  威厳に満ちた老人を想像していたが、大魔導士は意外にも小柄な壮年の男で、物腰も穏やかだった。  歓迎の宴が催され、王は大魔導士の隣の席でもてなされた。 「我が名はヒューゴ。遠慮なく名前で呼んで下さい」  大魔導士は王の手を取った。 「あ、では(わたし)のこともオリバーと……」  親密な距離感に戸惑いながら王がそう言うと、大魔導士ヒューゴは嬉しそうに微笑んだ。 「オリバーは二十歳と若い。摂政は置きますか?」 「いえ、大臣らの助けを借りて自分でやりたいと思っています」 「良いことです。あなたなら、きっとうまくいくことでしょう」  ヒューゴは宴の間ずっと王の手を離さなかった。 「困ったことになりましたね」  夜も更けて自室に戻った王に、同行して来ていたネルが声をかけた。  もう少し話そうと誘うヒューゴを、今夜は飲み過ぎたからと断っていた。誰の目にも、大魔導士が王との関係を求めていることは確かだった。 「よくあることなのか、調べておくべきだったな」  ネルから受け取った水をグイッと飲み干し、王は溜め息を吐いた。 「(おれ)に抱かれたいと欲しておられるのか、それとも抱きたいのか」 「どちらなら応じてもいいと?」  ネルの目がまっすぐ王に向けられる。灰色がかった薄緑色の美しい目だ。  王は見つめ返しながら左手を差し出した。先ほどまでヒューゴに握られていた方の手である。 「洗ってもまだ残り香がする」  ネルは跪いて両手で王の手を取ると、鼻先を寄せた。 「高価な練り香水を使ってらっしゃるようですね」 「気持ちが悪い」  王の青い目が妖しげに光る。十分に(たくま)しい肉体を持ちながら、どこか幼さの残る精悍な少年のような面差し。それが今は、やや青ざめて儚げな風情を見せていた。 王は人差し指を伸ばし、ネルの口に触れた。薄い唇を割って押し入れると、白い歯がそれ以上の侵入を阻む。 「ネル」  切なく名を呼ばれ、ネルは諦めたように口を開き、王の指を迎え入れた。湿った水音が淫靡に響く。王は更に指を増やし、濃桃色の舌を(もてあそ)んだ。ネルの口の端から透明な粘液が滴り落ちる。 「おまえの匂いで清めてくれ」  王は右手でネルの頭を引き寄せ、金糸のような髪を慈しむように優しく指で()いた。  ネルは抵抗せず王の指を舐めていたが、やがてスッと身を引き立ち上がった。 「(とぎ)の者を呼びましょう」  その頃はまだジュリアンは王宮に上がっておらず、王と(ねや)をともにする者は複数いて、その誰もが特別な相手ではなかった。 「おまえがいい」  王は(すが)りつくような目でネルを見た。 「いけません」 「何故だ?」 「私は成年しております。陛下の寵愛を受けるにふさわしい年頃ではない」  重く低い声で、ネルは王を諭した。 「以前も聞いた。(おれ)はあれからずっと、そなたの考えを尊重してきた」  二人は幼友達として育った仲である。ネルは王より二つ年長だった。誰よりも近くにいて理解し合い、夜ごと肌を重ねていた時期もある。だが、ネルは大人に近くなると「もう(とぎ)の相手は出来ません」と共寝を拒んだ。それ以来、王が彼の肉体を求めたことはない。 「オリバー様」  久しぶりに名を呼ばれ、王は目を潤ませる。 「大魔導士様がそんなにお嫌なら、お断りすればよいのではありませんか?」 「国を危うくするかもしれぬのに無碍(むげ)になど出来ぬ。これも王の務めなら致し方ない」 「私を抱いてから、大魔導士様の(しとね)に上がるおつもりですか?」  ネルは美しい顔を愁いで曇らせていた。 「オリバー様の意に沿うことが出来ず、申し訳なく思います」  言葉が終わらないうちに、ネルの身体は変化しはじめる。肌が金色の毛にびっしり覆われ、獣の耳と尾が出現し、手が太く逞しくふくらんで鋭い爪を生やした猫科の猛獣のそれになっていく。 「ネル」  王は目の前の美しくしなやかな獣に両手を伸ばし、青い瞳から涙を流した。  数日後、辺境の主従たちは逃げるように国へ帰った。  大魔導士の(しとね)に上がった王が、何か失敗して不興を買ったらしいと人々は噂した。  辺境の小国が教会に背いた(とが)で討伐の対象になったのは、それからすぐのことだった。友好的だった周辺国の態度は手のひらを返すように変わり、民間の貿易すらままならなくなった。一年も経たずして国は疲弊し、国土と民を護るため、王は兵を出さざるを得なかった。  それからは坂道を転がるように状況が悪化し、やがて魔導士教会の正規軍が辺境めざして発った。それを受けて重臣らがクーデダーを起こし、王は命からがら王宮を脱出することになる。

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