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34.謎のカフェ

 休日の正午頃、アキの携帯電話に着信があった。ベッドから手を伸ばし、携帯電話を取る。東郷からだ。  《今日は休みだろう? 何か予定はあるか?》 「あ、いえ、別に無いです」  《そうか、じゃあ付き合ってほしい所があるんだ。家の近くまで迎えに行く》  アキは急いで飛び起き、身支度をした。  休日だからダッフルコートとニットという姿だが、仕事関連ならばスーツの方がよかっただろうか、そう考えながら団地のそばで待っていると、黒いステーションワゴンが走って来た。東郷の車だ。挨拶をして助手席に乗ると、アキは東郷に尋ねた。 「今日はどこへ行くんですか?」 「お前も店長だからな。周囲の風俗店の情報を知っておいた方がいいかと」  東郷もスーツではなくラフな服装だ。そのことにアキは少し安心する。東郷の車が進む道は、アキが毎日のように通っているよく知っている道だ。東郷は“休日なのに仕事を思い出させてすまん”と苦笑する。  繁華街に入る。昼間はまだ人通りが少ない。徐行で通りを走る。 「あの向こうにピンク色の看板が見えるだろ? あれは箱ヘルなんだが…家出少女を働かせている。十五歳から十七歳までかな」 「それ、違法じゃないですか」 「ああ。確定申告をしないからかえって風俗店での副業が会社にバレる、なんてこともあって内緒で働くのが難しくなったが、それでも穴をかいくぐって違法に働くやつ、無許可の店もある」  いないのは無国籍の者ぐらいだ、と東郷はつけ加える。風俗店では、採用時に国籍を明記した住民票の提出が義務付けられている。だがそれでも無許可の店には、観光ビザで来日して働いている外国人もいる。  東郷は顎で真横の店を指す。 「あっちのビルにデリヘルの事務所があるが、いわゆる本番店だ。基本料金三万という、ソープ並みの料金を取るからな」  車は大きな道路を横切り、別の通りに入る。そこから先は、アキがよく知っているゲイ専門の店が多い。 「あの路地に面したホテルは、男同士でも入れる」  通常、ラブホテルは犯罪や盗撮などを防ぐため、男性二名以上の利用を禁じているホテルが多い。  そのホテルが、ゲイ専門の繁華街の始まりであるかのような目印になっている。ラブホテル、ゲイバー、SMクラブ、ショーパブ、イメクラ、と並ぶ向こうに『X-ROOM』本店がある。  東郷からは違法店のほかに、経営難の店を他の業者が買い取って新しくした店などの情報も教えてもらった。 「東郷さん、詳しいんですね。どこでそんな情報を知るんですか?」 「知り合いに聞いたり、実際にその店に行くこともある。須美も覆面調査で出向くこともあるからな」  アキはうつむいた。 「…それって…ヘルスとかに客として行くんですか?」  少しトーンが落ちた声に、東郷は口の端を上げて笑みを見せた。 「何だ、嫉妬か?」 「いえっ、違いますっ」  慌てて否定したアキの顔は真っ赤だった。  そんなアキの様子を見て、今度は意地悪ではなく穏やかな笑みを浮かべ、東郷は話を続けた。 「確かに、箱ヘルやデリヘルに調査に行ったりもするが、話をして終わるってだけのときもあるぞ」  そうでない場合もあるのでは、アキの脳裏にそう浮かんだが、口にはできない。ますますからかわれそうで。 「そこのコインパーキングで車を止めるぞ」  車を降り、徒歩でアーケードに入った。昼間はほとんど賑わうことのないそのアーケードは、パチンコ店だけが賑やかだ。東郷がごく普通のカフェのドアを押して入る。後に続いてアキも入った。 「いらっしゃいませ」  トレーを持った、エプロン姿の店員に迎えられた。 「二階を使いたいんだが」 「お客様、二階は店舗ではございません」  確かに、外から見た状態では、二階席が見えない。階段も見当たらない。だが、店員は怪訝な表情もせず、にこやかに応対する。  東郷が声をひそめた。 「ティールーム」  突拍子もない東郷の言葉に、まったく理解できないアキだったが。 「かしこまりました」  店員は頭を下げ、二人を案内する。  厨房の隣、“Staff Only”と書かれたドアを開けると、螺旋階段があった。それを上ると、壁で区切られ、幅の狭いカーテンがかかっているだけの個室が、いくつか並んでいた。カーテンが開いた座席の前で、“どうぞ”と店員が案内した。  普通の座席ではない。二人掛けのゆったりしたソファーの前に、テーブルが一つ。向かい側に椅子は無い。アキが奥に、東郷が手前に並んで座ると、店員はメニューを広げた。 「コーヒー二つ」  東郷が注文すると、店員はメニューを下げカーテンを閉める。  閉鎖された空間で、とてもコーヒーを味わうような環境とは思えない。  東郷はジャケットを脱いだ。 「奏の店のより、ずっと味は落ちるがな」  アキも上着を脱いだが、どうも落ち着かない。のんびり足を伸ばせそうなソファーだが、大の男二人が座るには少々狭い。くつろぐといったコンセプトで作られているとは、およそ思えない。『ノアール』の方がよほどゆったりできる。 「東郷さん、ここ…カフェなんですか?」  東郷は脚を組み、アキの方に体を向ける。アキとは真逆に、すっかりリラックスしている。 「ああ、一階はそうだ」 「確かに、一階は普通のカフェっぽかったですけど…」  東郷が人差し指を、アキの唇に当てる。 「静かにして、まわりの音を聞いてみろ」  耳をすますと、衣擦れの音、荒い息づかい、小さな喘ぎ声が聞こえる。喘ぎ声の主は男だ。 「この音…何ですか」  アキの背中に悪寒が走る。何ですか、と野暮なことを聞かなくてもわかる。閉まっているカーテン向こうでは、カップルがそれぞれ睦みごとに興じている。 「ここは二階部分だけが、違法のカップル喫茶だ」

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