37 / 46

37.疑惑

 本店の方から、合同イベントの話が出た。三月から四月にかけ、風俗業界は稼げるかどうかの瀬戸際だ。転勤によって固定客を失い、送別会に歓迎会、年度末のため人事や経理、社会人が忙しくなる時期で、遊ぶ余裕がなく客足が伸びない。  あるいは、歓送迎会の二次会、接待などで風俗店が使われる可能性があり、また、気温が上がることで服を脱ぎやすくなるために、客足が伸びるケースもある。大学生になる、社会人になる、都会に出て来る、そのきっかけで風俗デビューする人も多い。 『X-ROOM』ではマンネリ化を防いで新規客もつかむために、イベントを行う。  アキは営業終了後、打ち合わせのために本店の事務所に来た。東郷のデスクの前に、パイプ椅子を用意してもらった。 「イベントは三月の始めを予定しているんだが、うちはオプションの無料チケットや割り引きチケットを、集客が少ない時間に配布する」  平日の早い時間などは客が少ない。無料や割り引きチケットがあれば、それ目当てに来た客が、次も来てもらえる。もちろん、キャストに支払うオプション代は店側の負担だ。 「二号店では、会話オプションをいつもより長く取ったり、鏡を全てオープンにして顔を見ながらハンドサービス、といったふうに濃厚なサービスを考えています」  キャストが入れ替わり立ち替わりの二号店では、オプションが多く取れれば短時間でも稼げて、キャストも喜ぶ。出勤者が増えてくれる。  須美が短くなったタバコを灰皿に押しつけ、口を開く。 「チケットは本店、二号店共通でもいいんじゃない?」  東郷が脚を組み直し、腕を組んで考えこむ表情を見せた。 「…うちはそれでもいいが、二号店の方がな。オプション代が無料だと、店側の負担が大きい」 「割り引きだけ共通なら、問題ないと思います。差額を店側で負担すればいいことですし、それも期間限定なので。宣伝費用と思えば安いですからね」  須美が翌日からパソコンでチケットを作成することに決まり、話は終了した。須美が新しいタバコをくわえる。 「そうだスグルちゃん、遅くなっちゃったし、アキちゃんを家まで送ってあげたら?」  須美の提案に東郷がうなずくが、アキは申し訳なさそうに断った。 「いえ、大丈夫ですよ、気を遣っていただかなくても」 「遠慮するな。車でなら大した距離じゃない」  煙を吐き出し、須美がニカッと笑う。 「アキちゃん、先に乗って車あっためてあげてよ」  それがいいな、と東郷は鞄から車のキーを出した。アキの手に、車のキーが押しつけられた。 「片付けを終えたらすぐに行く。自転車も後ろに積んどけ」  有無を言わさず東郷の車で帰ることになり、アキはキーを片手に自転車を抱える。バックドアを開け自転車を積むと、助手席側のドアを開けた。シートの上にはタバコの空き箱があった。須美がいつも吸っている銘柄だ。その下にも箱がある。厚みが無い箱だ。頭痛薬か何かだろうかと手に取ったアキは、冷水を浴びたような衝撃が全身を走った。  コンドームだ。須美のだろうか。東郷の車の中、須美のタバコとコンドーム。考えたくはなくても、一つの図式ができ上がる。東郷と須美が寝たのかもしれない。須美がほかの相手に使ったのかもしれないが、東郷の車というプライベートな空間に置かれているのは、どうにも納得できない。  何度も東郷から“好きだ”“愛している”と言われたのは、嘘だったのだろうか。それとも昔あったという、ただ体だけの繋がりで、欲求不満を解消し合っただけだろうか。 (嫌だ!)  アキは思わず叫びそうになり、我にかえった。そして、見てはいけない物を見てしまった気がして、それをダッシュボードにしまう。  東郷に聞いてみたい。だが、須美と寝た事実を突きつけられたら、どれだけ打ちのめされるだろう。  しばらくして、東郷が運転席のドアを開けた。 「悪いな、待たせてしまって」 「い、いえ、平気です。こちらこそ、すみません」  いつもの東郷だ。須美の忘れ物には気づいていないのだろうか。それとも、須美と寝ることぐらい、何ともないのだろうか。  聞きたいことも聞けず、黙りこくったままのアキに、東郷が問いかける。 「車の免許は取らないのか?」 「あ…その、教習所になかなか通えなくて」  費用は何とか捻出できるが、今は店長としての業務が双肩にかかっているプレッシャーからか、休日も出掛けるのが億劫なアキだ。 「そうか。車があれば便利なんだがな。よかったら、出勤日が合う日は俺が送り迎えをするぞ」 「そ、そんなっ。ご迷惑だからいいですよ」 「迷惑じゃないぞ。少しでもアキといられるならな」  その言葉にまた、心臓が跳ねる。甘く体を脈打つ鼓動が、アキから言葉を奪ってしまう。 「いっそのこと、俺の部屋に住むか?」  そんな冗談か本気かわからない言葉に、アキは顔が一気に熱くなるのを感じた。 「む、無理ですよっ」  その一言で精一杯だった。東郷の部屋。あのソファーで抱きしめられたことを思い出してしまい、耳まで赤くなってしまう。東郷のアプローチと、先ほどのコンドームの箱、二つが脳内を交差する。東郷の本音はどうなのか。  そう考えていたそのとき、アキの携帯電話が鳴った。妹からだった。  《お兄ちゃん、大変! お…お母さんが倒れたの!》

ともだちにシェアしよう!