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38.声に励まされて

「お母さんが?! 救急車は?!」  妹は泣きじゃくりながら話している。かなり動揺しているようだ。 《さ、さっき呼んだ…どうしよ…全然…動かな…》  東郷はスピードを上げた。団地に着いたとき、救急車が止まっていた。  パジャマに上着を羽織った妹が、涙に濡れた顔をこちらに向けた。 「アキ、いっしょに乗ってやれ。後のことは心配するな」 「は、はい! すみません!」  アキは妹とともに救急車に乗った。ストレッチャーには青ざめた母親が横たわっている。呼吸をしているから命に別状はないが、それでも生気が無さそうに見える。 「どうしたんだ、一体」 「さ…さっき、バタンッて凄い音がして目が覚めたら…お母さん、トイレの前で倒れてて…」  それ以上、妹はしゃくり上げるばかりで話せなかった。アキは妹の肩を抱き寄せ、意識の無い母親を見守っていた。  病院に着いた。母親はストレッチャーで手術室に運ばれ、アキと妹は外で待つ。  妹はその場にしゃがみこんでしまった。 「お…おかあさ…、お兄ちゃん…お母さん、死んじゃうかな…」  アキもしゃがんで、泣きじゃくる妹の頭を撫でる。 「大丈夫だ。お医者さんがいてくれる。一人で大変なときに、よく頑張って救急車を呼べたな。偉いぞ」  まるで子供をあやすようだが、今の彼女には助けになるだろう。  高校を出てからずっと夜の仕事で、家族と食事ができる日には、なるべくいっしょにテーブルについていた。それでもこうして励まし、助け合うということは無かった。 (東郷さん――)  妹には、兄の助けがある。アキには、東郷という助けが。いつでもアキの心を埋めるのは、東郷の姿や言葉だ。これが、まさか――  胸を焼きつける甘い感覚に気づいたとき、手術室のランプが消えた。看護士がストレッチャーを押して出てくる。  アキは医師に尋ねた。 「あの、母は…どうなんですか?」 「不整脈が原因でしたが、もう大丈夫です」  局部麻酔で首筋からカテーテルを入れて治療をした。一週間程度の入院で、異常が無ければ退院できるという。  母親は病室に運ばれた。相変わらず青い顔だが、呼吸が落ち着いているようで、意識も戻っている。  “ごめんね”母親の唇がそう動いた。 「僕こそ、ごめん。体調が悪いのに気づかなくて」  妹がアキの袖口を引っ張る。 「お兄ちゃん、あたし…お母さんについてる」  妹は明日、学校がある。そのため家に帰したかったが、夜中に一人で帰らせるのは危ない上に、パジャマ姿だ。 「わかった。明日休むこと、お兄ちゃんが学校に電話してやるからな」  母親の着替えや入院に必要な物、それに妹の服も必要だ。アキはタクシーで家に戻った。  翌朝、母親は話すこともでき、立って歩くまで回復できた。  だが、付きっきりの妹はほとんど寝ておらず、アキも仮眠程度しか取っていない。まだ疲れが取れない状態で、東郷に電話をする。 「あ、お疲れ様です。母の具合、かなりよくなりましたが、一週間ほど入院になります」  アキは母親の病状を説明した。 《…そうか。命に別状が無くてよかった。アキ、お母さんが退院するまで休め》 「えっ、でも店が…イベントもありますし」 《俺も須美も花森もいる。店は何とかなるが、お母さんにはお前しかいない。妹さんはまだ高校生だろう》 「すみません、ご迷惑おかけします」  本店に在籍していたときも数日間の休みをもらい、東郷に迷惑をかけた。店長となった今もまた、一週間程度の休みをもらい、とばっちりが東郷や須美、花森にまで及ぶ。申し訳なさでいっぱいだ。 「東郷さん…僕は…こんなに無力なのかと思い知らされました」  いつでも東郷に頼りっきりだ。店外の客にしても、花森の助けが無ければスムーズにいかなかったかもしれないし、東郷に話を聞いてもらって安心した。  母親のこともそうだ。普段は妹に任せっきりだった。家計を助けるために働いてはいるが、金銭面だけでしかできることはないと、つくづく思い知らされた。 《お前は無力じゃない。これから、お母さんや妹さんの力になれるだろう》 「これから…僕にはできるでしょうか」  今は東郷の励ましが嬉しい。弱気な自分の本音を、今ならさらけ出せそうな気がする。 《なるべく、家族で過ごせる時間を作ってあげるといい。それと、一つだけ絶対に忘れるな。お母さんの具合が悪くなったのは、お前のせいなんかじゃない》  気分が軽くなったようで、アキは薄く微笑みながら東郷に礼を言う。 「はい…いろいろとありがとうございます」 《昨日は悪かったな》  いきなりの謝罪に、アキは驚く。 「えっ?」 《アキの家の事情も考えず、俺の部屋に住むか、なんて言ったりして》 「そ、そんなっ。気にしないでください」  あのときの東郷の表情が蘇り、また耳まで赤くなってしまう。 《じゃあ、お母さんが退院して落ち着いたころに出勤しろ》  何度も礼を言い、アキは画面を見た。東郷の方から通話が切れてしまった。ついさっきまで、この携帯電話からは頼りになる声が聞こえていたのに。  アキは急に孤独感に苛まれた。今はただ、東郷にそばにいてほしい――

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