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7.アキの将来
『X-ROOM』の事務所で、デスクにいる東郷は、アキを見上げた。
「大丈夫か? 無理しなくていいんだぞ」
「無理はしていません。体力ならあります。いずれ僕はここを出る身です。それまで、できるだけのことをしたいんです」
アキは東郷に、シフトを増やしてほしいと願い出た。基本的に自由出勤で、お金が欲しいときに臨時で来たり、ほかの仕事と掛け持ちのキャストが多い。だが、一日に出演できる人数は限られている。
オーガズムを迎えたふりができる女性と違い、男性の場合は誤魔化しがきかない。連続で出演すれば射精ができないどころか、疲れて勃起しないこともある。東郷と須美は、キャストの体調を配慮してシフトを組んでいる。
「家庭の事情もわかるし、将来的なことを考えているのもわかる。だが、体が資本の仕事だぞ。俺が様子を見て、これは無理だと判断したら、ショーには出させない。それでいいな」
はい、とアキは力強くうなずいた。
須美は膝の上に煙草の灰を散らしながら、引き出しを次々開けて探し物をしている。
「あれ~? どこにやったかな~?」
「何してるんだ、須美」
「アキちゃんに秘密兵器あげようと思ってさ……あーっ、あった、あった」
須美は小さなスポイトを手にしている。それをアキに渡した。
「舞台が続いて射精しなくなったらさ、それに白い乳酸菌飲料を入れて、ザーメンに見せかけてこっそり出しちゃうといいよ。ほら、AVで男優が使って出すヤツ。AVの場合は注射器使ったりもするけどさ。この瞬間に出すヤツ」
須美は立ち上がり、股間の辺りで握り拳を降った。ちょうどフィニッシュで、女優に顔射するポーズだ。
「AVの場合、見える角度は限られてて、みんな女優の顔か体しか見てないから、誰も男優のチンコなんか見ないっしょ? だからいいけど、うちみたいな覗き部屋だと360度見えるから、使うのはテクニックがいるけどね」
アキは小さなスポイトをじっと見つめる。
「こんなのがあったんですね」
須美は椅子に座ると、煙草を灰皿に押しつけた。
「うん、発射できない子への救済措置。これを大っぴらにしちゃうと、みんなこれに頼っちゃうかんね。だから内緒だよ」
須美は人差し指を口に当てる。
全員にスポイトを渡してしまうと、みんながそれを使い出す。万が一誰かが失敗してスポイトの存在がバレると、全員が実は射精してないのではと、店の信用に関わる。
「ありがとうございます。なるべく使わないよう、頑張ります」
事務所を出ようとしたアキを、東郷が呼び止めた。
「金を貯めて、何か目標があるのか?」
アキは照れたように笑った。
「奏さんのお店の、二号店が出せないかなって」
「何、アキちゃんもコーヒー屋さんになんの?」
身を乗り出した須美に、アキはうなずいた。
「はい、僕も喫茶店の経営やコーヒーや料理のことを勉強して…できれば奏さんの所で出前とか、修業させてもらえるといいんですけど」
荻のように、夫婦で支え合って店を経営する姿に憧れた。アキも愛する奏とともに同じ仕事ができれば、そう考えた。
奏の店は、風俗店時代からの馴染みも多く、どちらかといえば繁盛している方だが、さすがにアキの給料まで支払うのは難しいだろう。アキは無給で手伝うつもりだ。
「あらま~…。アキちゃんまで取られちゃうって、コーヒー豆の魔力って凄いね」
そう茶化す須美だが、アキがなぜ奏と同じ店を出したいかは知っている。それは東郷も然り、だ。
アキが出て行ってから、須美は煙草に火をつけた。
「須美、一本くれ」
「あれ、珍しいねスグルちゃん。普段吸わないのに」
須美は自分の煙草を灰皿に置くと、新しい煙草をくわえて火をつけ、それを東郷にくわえさせる。
「まあ、吸いたい気持ちもわかるよ。過去のナンバーワンと現在のナンバーワンがねえ…」
そんなつぶやきを聞き流し、東郷は煙を吐き出して須美のデスクに腰掛けた。
「だいたい、スグルちゃんが煙草吸うときやお酒ガンガン飲むのは、何か悩んでる証拠だよね」
須美の手が、東郷の太腿の上に乗る。
「よかったら、ストレス発散させてあげるよ。俺のベッドで」
東郷は眉を寄せて不快感をあらわにするが、須美の手をどけようとはしない。
「よせ。もう終わったことだろ」
須美は骨張った手で太腿をもむ。淫靡な愛撫どころか、マッサージにもならない手つきだ。
「つれないねえ。若いころは欲求不満解消に、肌を重ねあった仲なのに」
東郷はちらりと、元セフレを見下ろす。手をどかせないのは、須美の誘いが本気ではないことを知っているからだ。
「俺は酒でも何でも解消できる。心配なのは、アキが潰れてしまわないか…だ」
太腿から須美の手が離れた。須美は腕を組み、難しい顔をする。
「アキちゃんのことだから、安易にお店経営したいって結論出したわけじゃないんだろうけど…。悪いけど俺は正直、挫折すると思うね」
灰皿に煙草を押しつけ、東郷はブラインドから外を見た。ネオンと酔客で賑わう町。この業界は悪くない。日陰で生きる者同士、互いの傷を知っている。だが、多大なリスクを背負うこともある。アキがこの町で生きていくには、あまりにも純粋すぎる。できれば風俗界から切り離し、奏のように人に堂々とできる商売をさせてやりたいのだが。
夜の喧騒は堕ちた者も真っ白な者も、同等に濁らせていく。
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