18 / 46
18.ウィキッド・ドッグ
広いリビングには大画面のテレビとソファーがある。キッチンやダイニングと一体化しているが、ダイニングテーブルが無い分、余計に広く感じる。
シャツとネクタイ、という姿からスウェットの部屋着に着替えた東郷は、パスタやグラタン、フライドチキンなどが乗ったワゴンを押してきた。低めのワゴンで、ソファーに座ったとき、テーブルとして使える高さだ。
ワゴンの脇のラックには、ボトルが三本入っている。
「冷凍だが、有名店の物だから美味いぞ。ワインが赤、白、スパークリングがあるが、どれがいい?」
「あ、いえ、その…」
「酒は飲めなかったか?」
「いいえ、帰りに自転車に乗れなくなりますから」
東郷は白ワインを開けた。
「うちに泊まればいい。このソファーは背もたれを倒すと、ベッドになる」
「いいえ、そんな! ご迷惑になりますから」
「遠慮するな。これから飯食ってのんびりしてたら、明け方になるぞ。自転車で帰るのはつらいだろう」
小皿にトマトソースのパスタ、エビグラタン、フライドチキンを盛り、東郷はアキに渡した。まずはパスタを口に入れてみた。確かに、冷凍とは思えないうまさだ。
「…おいしい…」
「だろう? 帰りがこんな時間だからな。外食できる所が限られる。だからこういう飯ばかりなんだ」
東郷はグラタンをつまみに、白ワインを飲む。
雑談しているうちに、店でしか知らない東郷のプライベートな部分が見えて、アキの緊張は解けていった。東郷も、一人で食べる味気ない食事とは違うため、いつもより饒舌だ。皿がほとんど空になるころには、ワインが入っているせいもあり、東郷の表情には普段の硬さはなかった。
「お前はアドリブが利くんだな。今日のラストは少し驚いたぞ」
ラストとは、リハーサルでは無かったアキのお掃除フェラだ。アキも、はなからするつもりではなかった。
「あれは、その…僕の方が手持ち無沙汰になって、ライトはまだついているから、ぼんやりしていてもしょうがないって…」
アキが数年の間に培ったプロ根性だ。東郷は嬉しそうに目を細める。目尻の辺りが、ほんのり赤い。
「それでも、俺が内心焦るぐらいだった」
アキの肩がびくりと震えた。東郷の焦り、それを意味するところは――
「アキ、明後日も俺と組め」
提案、ではなく命令だ。断る余地がない。アキは少しの間ためらった後、“はい”と小さく答えた。
「次のシナリオだが、ちょうどいい資料がある」
東郷はテレビの下からディスクを出す。それをプレイヤーにセットした。映し出された映像は、ゲイのアダルトビデオだった。
二人のキスシーンが始まると、アキは思わず目を背けてしまった。仕事で似たようなことをしているが、ゲイのアダルトビデオを見るのは初めてで、なんとなく恥ずかしい。
「こういうのは、シナリオ作りの参考になるからな」
東郷はコントローラーを持ち、映像を早送りしながら、事務的に話す。
『X-ROOM』は単なる覗き部屋とは違い、ストリップなどのようなショーを主体としている。内容はキャストに任せるが、マンネリ化してしまうこともある。新たな提案として、アダルトビデオを参考に、東郷が大ざっぱにシナリオを用意することがある。
ビデオの内容は、小柄な青年が筋肉質な男にじゃれて甘えているが、小柄な青年は、次第に相手の肩や胸、首筋を噛んで歯形をつける。内腿や尻に強く吸いつき、キスマークをつける。
筋肉質な男は、手首を拘束された。自由がきかない体を、小柄な青年が舐めまわす。
タイトルは『ウィキッド・ドッグ』、いたずらな犬だ。じゃれつく子犬そのもののプレイだが、袋を軽く噛み、声を上げると“お仕置きだよ”と、尻にスパンキングをする。犬が飼い主を逆に調教する、そんなソフトSMだ。
「アキが俺の体を噛んだり、キスマークをつければいい。加減が難しいかもしれんが、気にするな。俺が声を上げたら、ああいうふうにスパンキングをすればいい。噛んで痛くなった部分を休めさせるためにな」
「あ、あの、僕…キスマークのつけ方がわかりません」
東郷はスウェットの袖をまくり、腕を差し出す。皮膚の薄い内側を上に向けている。皮膚が薄い方が、つきやすいからだ。
「唇をすぼめて思い切り吸いつけばいい。唇と肌を舐めて濡らせば、密着してつけやすい」
東郷の腕を目の前に出されても、アキにはできない。唇どころか手を添えるのも、ためらわれる。
戸惑うアキの袖を、東郷がめくった。
「あっ、何…」
アキの白い腕を取り、東郷が吸いついた。強く吸われているが、さほど痛くない。小刻みに動く唇が離れると、そこには赤い小さな点があった。
「キスマークは蒸しタオルを当てればおさまる。躊躇せずにつけてみろ」
アキは東郷の腕を取るものの、なかなか口をつけられない。テレビからは演技がかった嬌声が聞こえてくる。
「あ、あの、キスマークじゃ個室から見えにくいだろうし…、舐めると噛むだけでもいいと思います」
「そうか」
東郷は袖をなおした。ホッと胸をなで下ろすが、映像はアナルセックスに変わっていて、直視できない。
「フィニッシュは素股だ。お前がタチ役になれ」
真顔で言う東郷に、アキも何とか平静を装って返事をする。
「S側は主導権を握る上、台詞も多い。俺が何個か用意してやるから、明後日までにできるだけ覚えろ」
東郷の手が、アキの太腿の上に乗る。その手はアルコールのせいで熱い。
「今から試しにやってみるか?」
ともだちにシェアしよう!