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26.新たな『X-ROOM』

「おはようございます」  アキが事務所に顔を出すと、今日は須美だけでなく東郷もいる。久しぶりに見るその顔に、アキの心臓が痛いほど跳ねる。 「おはよう、アキ」  自慰をしたときの記憶が鮮明に蘇り、アキは普段どおりの表情をつくろうのに苦労した。 「今日のショーは一時間ほど遅れて出てもらうが、大丈夫か?」 「あ、はい、大丈夫です」  東郷は席を立つと、アキの背中をポンと叩く。 「今から連れて行きたい所がある」  無理やり事務所から引っ張り出され、アキは東郷の黒いステーションワゴンに乗せられた。 「どこに行くんですか?」 「まあ、着いてからのお楽しみだ」  車は繁華街の大通りを進む。開店前の居酒屋、まだ賑わいを見せないカラオケボックス。道路添いには、ラブホテルが点々と建っている。行き先のヒントすら教えてくれない東郷の口から、思いがけない言葉が出た。 「アキ、お前は今月一杯でうちの店を辞めろ」 「えっ?!」  久しぶりに東郷の顔を見た瞬間以上の衝撃だ。店を辞めろ、つまり―― 「店長…、辞めろって…どういうことですか?」 「言葉どおりだ。今月限りで、アキは『X-ROOM』のキャストでなくなる」  理由があるとすれば、東郷の告白を拒んだからだろうか。突然の解雇宣告を受け入れられず、アキは助手席から東郷の顔色をうかがった。 「お前が俺の告白を断ったから」  アキの肩がビクリと震える。本当にそれだけの理由でクビになるのだろうか。だが、東郷は解雇を宣告した割に楽しそうな表情だ。 「なんて冗談だ。俺がそんな器の小さい男に見えるか?」  冗談と聞いて胸を撫で下ろすアキに、東郷は楽しそうな表情を崩さず、もう一度宣告する。 「店を辞めてもらうのは、本当だ。アキを手放すのは惜しいがな」  それ以上、理由は教えない。東郷は告白を拒否したことに腹を立ててはいないようだが、それでも突然の解雇は納得がいかない。アキがどうやって理由を聞き出そうか考えこんでいるうちに、景色は飲食店や公園、銀行などに変わる。線路沿いに車は進み、やがてまた別の繁華街にさしかかる。事務所を出てから十分足らずで、車は一軒のビルの前に止まった。エレベーターを待つより早い、と階段で二階に案内される。二階は工事中だった。通路から見ると、いくつもの壁で個室トイレほどの大きさのスペースが区切られている。  その区切られた個室の前で、東郷の足が止まる。 「ここは『X-ROOM』二号店だ」 『X-ROOM』の二号店。アキは初耳だった。おそらく、ほかのキャストも知らないだろう。東郷はその手続きや工事の立ち会い、近隣への挨拶などのためにしばらく店には顔を出さなかった。須美が言う“ヤボ用”とは、二号店開店への準備だったのだ。 「今見えてるのは客用の個室で、外側にドアをつける」 『X-ROOM』は円形の舞台を囲むように個室がある。だがここは横にずらりと個室が並んでいて、舞台は円ではなく長方形だと推測できる。 「このビルの形状からすると、舞台は長方形の方がいい。うちより個室数は多くなる」 「長方形なら、舞台はどう回るんですか?」 『X-ROOM』を辞める者がそんな質問をするのはおかしいと思うアキだが、気になったので聞いてみた。東郷も普通に答える。 「ここの舞台は回らない。従来の覗き部屋らしく、部屋で思い思いに過ごしてもらい、キャストには入れ替わり立ち替わり、出てもらうシステムだ」  だから車で十分弱の距離に二号店を作ったのだ。踊りもあり、ショーとして楽しめる本店、文字通り部屋を覗くというコンセプトの二号店。コンセプトが違うと、同じ店で競合することはない。ショーが好きな客、覗くという感覚が好きな客、というふうに好みが分かれる。また、近所にあるため、たまには違うタイプを、と両方に足を運んでもらえることもある。  会話やハンドサービス、リップサービスのオプションがあるのは、本店とは変わらない、と東郷が説明した。  奥に進む東郷について、アキも歩き始める。 「この辺りに受付を作る。向こうが更衣室、奥が事務所だ」  事務所は工事の手が入っていない。前にあったオフィスをそのまま使うようだ。  東郷が事務所のドアをノックすると、中から“はあ~い”と間の抜けた声が聞こえた。  ドアを開けるとデスクが二つ、複合機やロッカー、スチール棚がある。一号店の配置とは違うが、ブラインドが下がった窓など、どことなく似ている。  デスクにいた男が立ち上がる。先ほどの間の抜けた声の主だ。背が高く、髪は細めのいかり肩まで届く長さだ。鬱陶しいほどの前髪に隠れた目は細く、おまけに顔も体も細い。赤いサテン地のシャツからは金のネックレスが覗き、白いスラックスに先が尖ったワニ革の靴。どう見ても堅気には見えない。 「アタシ花森静也(はなもりしずや)、よろしくね。花ちゃんって呼んで」  薄い唇の端を上げ、にっこり笑って小首を傾げる。  話し方も渾名も仕草も、見た目と低い声に似合わない。困惑しながらアキは“はじめまして”と会釈して自己紹介をする。緊張気味のアキの肩に、東郷が手を置いた。 「アキ、来月からお前は『X-ROOM』二号店の店長だ」

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