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母のメモ1ページ目
母のメモを読む。
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1989年 祖先、浦島太郎による歴史的記録書が発見される。本物であることはほぼ間違いない。浦島太郎は十数名の若い男子を引き取り、浦島の家で共に暮らし、その若者たちに浦島姓を名乗らせていた。
私の祖先はそのうちの1人であることは先祖代々語り継がれていたものだったが、こうして記録書が発見されたのは驚きであり、訳することで祖先の暮らしや生き様がはっきりと分かることは末裔にとって非常に興味深いところであるので、親や兄弟と力を合わせ、訳することを決めた。
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浦島は若い男と共に暮らし、幸せな日々を過ごしていた。
四方を山に囲まれ、いい土と水に恵まれていたので外部からの視線を気にすることなく、浦島は小動物を狩り、若い男たちには田畑を耕し農作物を収穫させていた。
浦島は、男の中でも一際美しい「イチ」という名を付けた者に非常なる執着を持っていた。時折自身の寝床にイチを呼び、浦島の体を拭かせた。
イチは身体が弱かった。熱を出し浦島を心配させることが多く、イチにだけは農作業をさせず、常に浦島の手元に置き、浦島の用事を言いつけたり、簡単な家事をさせた。料理や洗濯などは他の男が主にやっていたため、簡単な仕事しかしないイチは、他の男からは煙たがられるようになっていた。
浦島は一年に一度、現金収入を得るために都へ出かける。都では浦島が作った竹細工や、川で獲った鮎を干して作った四十物(あいもの)などを売り、その売り上げで浦島自身の衣類や男たちの衣類を購入し、山へと戻ってくるのだった。
浦島が都へ出かけている数週間は男たちの休暇であり、それぞれの郷に帰る者、浦島宅に残る者、様々であった。
イチは戻る郷が無く、毎年浦島宅で待っているのが通例であった。今年は何故か、他の男たちも全員戻らずそのまま浦島宅へと残った。不思議に思ったイチであったが、食料が尽きぬように考えなければならず、蓄えてあった米、売らずに貯蔵しておいた四十物(あいもの)や、
山菜などを採りに出かけるなどして食いつないでいくことを考えていた。
しかし、普段からイチに不満を持っていた他の男たちが二人か三人、米などの食料を隠してしまった。
そのためイチは、数週間空腹に耐えなければならなくなった。
その年、浦島の帰宅が例年よりも遅かった。気候が荒れたり足を怪我したりして、浦島自身も山中にて空腹状態であった。
命からがら帰宅して、浦島は驚いた、イチが大変に弱っていたからである。
他の者に尋ねても理由が分からず、イチ自身も食料が他の者により隠されていて食事が満足に出来なかったことなどは黙っていたからだった。
体力が落ちていたイチは肺炎にかかってしまった。そして悲しいことに高熱に苦しみながら、不幸にもイチはこの世を去ってしまったのだった。
イチを溺愛していた浦島は大変悲しんだ。そのことがきっかけで、浦島は家に引きこもり、年に一度の都行きもやめ、飲まず食わずで寝込んでしまった。
男たちは、世話になった浦島を捨て、それぞれの生活のために山を降りた。
1人、ハツという最年少の男だけが浦島の元に残った。ハツは浦島を献身的に看病した。ようやく生きる気力を取り戻した浦島は、ハツと共に山を降りた。
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