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母のメモ3ページ目
浦島は散歩に出かけ、海辺で物思いに耽る日々が増えていた。少しずつ手元が見えづらくなり、手仕事にも遅れが出てきてしまったので、ハツに迷惑になっては困ると、仕事を離れ、家事をしたり岩場から釣り糸を垂らしては小魚を獲ってくるような日々を送るようになっていた。
その日は、ハツもマツも忙しく、浦島の帰宅が遅いことに気が付かなかった。
夕刻にも戻らず、深夜になっても戻らない。
ハツとマツは夜が明けると、隣近所に連絡し、協力し合って浦島を探した。しかし、2年しても3年しても浦島は見つからず、釣りの最中に岩場から転落したのではないか、ということにし、墓を建てた。浦島の墓守はその後代々ハツの子や孫が続けていくこととなる。
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3ページ目の母のメモはここで終わっていた。
4ページ目は白紙になっていて、俺は困惑した。この歯切れの悪さは何だろう。俺たちの祖先が「浦島初野新」である事実が確認でき、浦島太郎が行方不明になったという部分だけが訳されていただけだった。
他の桐の箱を開けても、文書などは無く、古い着物や釣具、針や糸など、古そうではあるが価値が不明である物ばかりで、浦島のその後の手がかりになるような物では無かった。
俺は、母のメモが書かれたノートを大学へ持参した。歴史を研究している教授であれば、何か分かるかもしれないと思ったし、一番信頼できるとも思ったからである。
郷土の歴史研究を長年してきた教授、錦田氏に相談してみることにし、会う約束をした。
錦田教授は、終始真剣なまなざしで母のメモを読んでいた。
「村上君、君はどうしてこのノートを?」
錦田教授の質問もごもっともである。俺は浦島では無く、村上姓であったからだ。
このノートが母のメモであること、父の死に直面し自宅蔵を開けたところ発見したものであることなど、話をした。
「なるほど。この訳は続きがあると思うけれど、白紙になっているのが気になるね。元本は自宅の蔵にあるのかい?」
戸惑ったが、「ハイ」と答えた。案の定錦田教授の目が輝く。
教授は無言で俺をまっすぐと見た。
翌日、日曜日であったので、教授を蔵へと連れてきた。解読を進めるためには仕方の無いことだった。
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