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 「ほら、着いたよ…って、え?」  病室のスライドドアを開けると、琳太朗君以外のベッドがなくなっていた。  「あれ?他の子たちはどうしたの?」  「え?なにが?」  「なにがって…他に3人いたでしょ?その子達のベッドがなくなってる」  「ここはもともと一人部屋だよ…?お兄ちゃん、大丈夫?」  「そんなわけ…」  慌てて病室の番号を確かめる。三一〇号室。合ってる。ただ前と違っていたのは、その下に『向田琳太朗』しか表記されていないこと。  前に来たとき、確かに子供の寝息が聞こえた。カーテンで4つに区切られているのも見たし、僕は耳が悪くはないはずだし幻聴なんてするはずない。    …最近、不思議というか、変な現象に遭ってばかりじゃん、僕。忘れてたけど、さっきの焔緋の病室の事もあるし…琳太郎君が見た映像が流れるし、吸血鬼に襲われるしお化けには遭うしポルターガイスト現象っぽいことまで…  こんなこと、一度だってないのに…  どうしてこんな大量に…  何で…どうして…?  事の発端はどこで…  「お兄ちゃん…大丈夫?」  「えっ?あ、うん、」    「お兄ちゃん、疲れてるんじゃないの…?」  「そんなことないよ!琳太朗君は優しいね」  「そ、んなことないよ…あのね…」  「うん?」  「お兄ちゃんにお願いがあって…琳太朗のお願い、聞いてくれる…?」  「…もちろん、僕ができることなら何でもするよ」  「なんでも…?」  「うん。何でも」  「僕、怜央お兄ちゃんのこと大好き」  「ありがとう」  「お兄ちゃんは、僕を初めて見つけてくれた人だから」  「見つけてくれた…?」  琳太朗君は皺一つない真っ白なベッドに腰掛けて、僕を見る。心なしか、背が大きくなっているような…そんな気がして、目を逸らそうと下を向いた。  (え?)  視界から琳太朗君が消えない。顔を動かしても目だけが琳太朗君を捉えている。  「僕、怜央お兄ちゃんが大好き」  そう繰り返す。大きくて赤い瞳で僕の目を見つめながら。  ガシャン!!と音がして部屋の電気が消える。 白いレースのカーテンが靡き、いつの間にか開け放たれた窓から冷たい風が入ってくる。  それでも僕は驚かない。驚くことができない。    身体が、動かない  「りんたろ、くん、眼、が…」  「俺の眼はだよ、怜央おにいちゃん」  ニターっと微笑む彼は、もう僕の知っている[琳太朗君]ではなくなっていた。  ベッドに座っていても分かるくらいあまりの体格差に脚が震えた。  あの艷やかで短く切りそろえられた黒髪は、妖しく白くて長い髪へと変貌している。前髪から覗く赤く光る眼は、僕を見据えたままだ。  目が赤。  生まれつき。  それは、。  してやられた…と唇を噛む。  「…焔緋を襲ったのは…お前、だな…」  「ほむら、ねぇ。おにいちゃん、こっちに来て」  ほら、早く、と片手を出す。もはや元のお人形のような影はない。  「やっ、だ!騙す、なんて卑怯だ…!お前なんかに、僕の血はっ…」    口では強がっても、体が言うことを聞かない。一歩々々近づく脚をこんなに恨めしく思ったことなんてないよ。  まるでノアさんが昔に見せたような、強いナニカが…僕の身体に圧力をかけているみたいに靄がかかってくる。  鼻と鼻が触れる近さまで進んだところで足は止まった。もう殺されてもおかしくない至近距離。  「おにいちゃんの眼、好きだよ」  お前に好かれても嬉しくない、と口を開くけど声が出ない。クソッタレ。  「の事、好きだった?」  「好きっていうか…弟にほしいなって…」  悪口を言おうとしているのに、蛇口が壊れて出しっぱなしになった水のように心に思ったことが口から出てくる。これが魔界の生物全員ができるとしたら(おぞ)ましい。  「ふぅん。俺はおにいちゃんの事大好きだよ?」  「…だから?何で焔緋を襲った?僕を襲えばよかったんじゃないのか」  「だっておにいちゃんの匂いがしたんだもん」  「だからって襲う?」  「おにいちゃんみたいにお守り付けてないし簡単だった」  「その図体でおにいちゃんって呼ぶのやめて」  「可愛い」  「話聞いてるの?…言っとくけど僕の血は飲めないよ」  「お守りがあるからでしょ?分かってるよ…でもね、」  くふふ、と牙を見せて笑う彼は、いきなり僕の頬をつねった。  「俺は触れるんだなあ」  「何で…っ」  「覚えてないの?琳太朗だった時は触れたでしょ」  だからねぇ、と僕の唇をつつく。  「あの時点でおにいちゃんは俺の事"敵じゃない"って認識してるの。どういうことが分かる?」  「…お守りも効かないってこと?」  「ぴんぽん!大正解!いい子だね〜」  お祖母ちゃんに何も聞かされてなかったのかぁ、と頭を撫でる。  コイツを僕が家族や友達、恋人だとか仲間意識を持った時点で僕の負けだということだ。そう考えると、出会った人たちすべてを疑わなくてはならないんじゃないか?  「ああ〜いい匂い。美味しそう」  僕の首に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。 僕の身体はまだ動かないまま、彼の好き勝手に触られる。ここにおいで、と耳元で呟かれると鳥肌が立った。  大人しく彼の股の間に座る。そうじゃない、って抱き抱えられて、母親に抱っこされる赤ん坊のような姿勢になった。相変わらず顔が間近にあって、怖くて涙が出そうになる。  そんな僕を見て楽しいのか、大きな手で僕の腹を撫でる。ここが一番柔らかくて美味しいんだよ、と囁かれて冷や汗が吹き出た。もう片方の腕は僕の頭を支えて、襟に手を潜らせて何かを探している。  「あった」  僕のお祖母ちゃんの写真が入ったペンダント。  僕の命に関わるもの。  それを難なく服の中からひっぱり出して、首から外した。窓から差し込んでくる月光に、プラチナでできたペンダントがキラキラと光る。  中の写真をまじまじと見て、また僕の顔を見る。  「わあ、久しぶりに見た。ほんとにお祖母ちゃんにそっくりなんだねェ。でも俺、あの人よりおにいちゃんのが好みだなあ」  おにいちゃんも俺の事好きだもんね?と嬉しそうに笑う。それが、ほんの少しだけ琳太朗の面影があったような気がした。  「琳太朗、じゃなくて、本当の名前は…?」  思わず出てしまった言葉に目をぱちくりさせて、少し困った顔をする。  「…ヨハンだよ」  「ヨハン…は何で僕の血が欲しいの…?」  「訊いてどうするの?」    「…殺される訳を知っときたいんだよ」  「ふぅん。俺、別に力が欲しいわけじゃないよ。ただ…」  「ただ、なに…?」  靄が濃くなってふわふわする中、体がやけに熱くなる。ヨハンがそんな僕を見つめて何かを言おうとした口を閉じて、  「…食べたいだけ。それだけ」  と呟いた。        

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