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不穏
「こんな雨なのに帰るの?」
「家の中を濡らすといけないから…」
初めて声が聞けた。
男らしい低い声。顔を赤くしながら、男は答えた。
「僕しかいないから心配しないで」
「あんた、体弱いんだろ?風邪を引かす」
「待ってて」
碧人は手拭いを小さな箪笥の中から取り出し、男の顔や体を拭いた。
「これで大丈夫。上がって?」
男はぎこちなく頷くと、離れに上がった。
「お茶も用意できなくて、ごめんなさい」
「狼は濡れても風邪は引かない」
「やっぱり…あの時の狼さん。僕は碧人。狼さんは?」
「要」
「要…会えなくて、寂しかったよ」
「あの花を取りに行ってた。遠いところにしかなかったから」
碧人は目を丸くした。
「まさか…三日かけて取りに行ってたの!?」
「人間の土地にはない。山の中にしか咲いてない。碧人が…花が嬉しいと言っていたから」
『お花嬉しい』
確かに碧人はそう言ったが、まさかそれを聞いて、三日もかけて花を取りにいってくれるとは思っていなかった。
「…嬉しい。ありがとう」
碧人は少し涙目になりながらお礼を言った。
「碧人、泣いてるのか?どこか痛むのか?」
「違うよ。嬉しくて泣いてるんだ」
要はペロリと碧人の涙を舐めた。
「ありがとう、要。できたら、また会いに来てくれる?」
「…来ていいのか?」
「ぜひ。また会いたい」
いつの間にか、雨は止み、月光が差し込んでいた。
要は夜のうちに帰ってしまった。
碧人はまた会えた喜びと満足感で、いつもよりぐっすり眠れた。
白い花は朝日に照らされて、花器に美しく鎮座していた。
昨日の余韻に浸っていると、外が何やら騒がしい。
中庭に出てみると、伯父と使用人の村田がいた。
伯父は亡くなった母の兄で、実業家だ。父に会いに来ては仕事を持ちかけている。
村田はこの家の使用人。ニヤニヤとした笑顔が少し怖い。
伯父と村田がこちらに気づく。
「碧人!元気か?」
「はい…お陰さまで」
「坊っちゃん、今日も一段と肌艶がいいようで…へへ」
「村田さんもおはようございます」
伯父は笑っているが、張り付いたような笑顔だ。村田は碧人に絡み付くような視線を送る。
「あんまり無理しちゃいかんぞ?碧人には早く快復してもらって、この家を盛り立ててもらわねば」
本当は知っている。
伯父は僕がいなくなればいいと思っていることを。
この家を、土地を、権利を、自分の物にしたいんだ。
碧人は伯父に向けられた敵意を確かに感じ取っていた。
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