20 / 41

第20話 針千本

 起きて、朝の沐浴を済ませ、僕は矢も楯も堪らず、再び玉砂利を手に取った。  政臣さんは、いつ来るだろう?  ――ぱらぱらぱら……。  僕は、現れた文様を見て、頬を綻ばせた。正午過ぎと出た。  思ったより早い時間に、心が弾む。  その心持ちのまま、また歌を詠む事にした。  硯をする音も軽い。  ()もすがら  みづのかんばせ  思ひつつ  いつしか()れば  夢でまぐわう  心のままに自由奔放に詠んだのだけれど、ちょっと考えて、一番最後を書きかえた。  『夢でまぐわう』を、『夢でみえけり』にした。  ちょっと直接的過ぎて、風情がなかったな。  次の歌をあれこれと考えていたら、先代が入ってきた。 「充樹。何をしている。ご神託の準備をしなさい」 「はい、先代」  帳面や筆を片付けようとすると、先代が遮った。 「そのままでよい。あれを入院させた。今後、皇城がどうなるか、占って欲しい。大事なご神託だ」  ああ……充樹、自由になれたんだな。良かった。  ほっとしながら、有田焼の器を出してきて前に据える。  神経を集中させ、平伏して先代に問うた。 「ご神託を授かるのは、皇城の行く末、でよろしいでしょうか」 「近しい未来から、十年のちまで占ってくれ」 「はい」  未来は移ろうものだ。十年のちともなれば、易々とは占えない。  僕は器から玉砂利を掬って目線の高さに掲げ、瞼を瞑って長い間精神を研ぎ澄ませた。  心を無にして、ゆっくりとそれを零す。全て畳に落ちきる頃には、僕は疲れてほうっと細く息を吐いた。  先代も耳を澄ませて、僕のご神託を待っている。衣擦れの音一つもしない、しん、とした静寂が下りた。   「……近しい未来は凶、十年のちは大吉と出ました」 「凶とな?」 「はい。ですが、そこから十年のち、大吉に転ずるのです」  僕は色取り取りの玉砂利を、注意深く読んだ。 「近しい未来に、裏切り、(いさか)いの凶相が出ております。皇城は一時(いっとき)、混乱するでしょう。ですがそれが些細と思えるほど、そののち大吉に転じ、皇城は大きく繁栄するでしょう。具体的に言うと、来世、百代目も安泰、と出ております」 「なるほど。世継ぎが生まれるという事だな。それならば安心だ。あれを入院させたが、その事が皇城にどう影響するのか、気がかりだった」 「ご心配の必要はないかと」 「ああ」  先代はやや表情を明るくして、頷いた。  誉められた事のない僕は、それだけで嬉しくなる。   「先代のお役に立てるのは、わたくしの喜びです」 「うむ。お前は立派な当主だ。お前のご神託で皇城が、ひいては国が動いておる。励みなさい」 「はい、勿体ないお言葉でございます」  幼い頃に言い聞かされていた言葉だけれど、(とお)を過ぎる頃にはもう、先代は殆ど僕に会いに来なくなっていたから、また聞けて誇らしい気持ちでいっぱいになる。  平伏してからはにかむと、先代がまた、重々しく頷いた。   「先代。藤堂様がお見えになりました」  その時、家人が声をかけてきた。  政臣さん! 僕は心の中で飛び跳ねた。 「お通ししろ。充樹、上手くやりなさい」 「はい!」  やがて、政臣さんが背広を着て入ってくる。僕と目が合うと、にこっと笑った。  どうしよう。例えようもなく、嬉しい。  三人、それぞれの座布団に腰を落ち着けて、挨拶する。 「こんにちは。皇城さん、充樹」 「こんにちは。政臣さん」  先代は平伏して、言い置いた。 「今日は、我が家でごゆるりとお過ごしください」 「はい。ありがとうございます」 「では、私はこれで」  先代は出て行った。 「政臣さん。お久しぶりです……!」  優しい笑みに、白い歯が零れる。 「そうだな。十日ぶりくらいか? 本当は毎日でも充樹に会いたいが、皇城さんが、会うのに良い日を占ってくれているから、来られなかった」 「先代が?」 「ああ。聞いていないのか?」  そうか。お腹様とのお勤めがあったりしたから、政臣さんを遠ざけたんだ。 「はい。でも、僕が勝手に占ってしまいますので、実は政臣さんがいらっしゃる日は分かっています」 「へぇ。ご神託でそんな事まで?」 「あの……先代には、内緒にしてくださいね。皇城の為の力を、逢瀬の日当てに使っているなんて知られたら、叱られてしまいます」  家人に聞かれぬよう、顔を寄せて小さな声で言ったら、政臣さんも小声で返してきた。 「はは。充樹も、俺がサボってあの坂で昼寝してるって事は、内緒だぞ?」  小指が差し出された。  懐かしい感覚が、身体を暖かくする。それは、幼い頃の記憶。 「指切り、ですか?」 「ああ」 「昔、母様と約束する時に、した覚えがあります!」 「充樹も、小指を出せ」 「はい」  僕はしっとりと、政臣さんと小指を絡めた。嬉しくて、嬉しくて、頬が紅潮する。 「歌は、知ってるか?」 「歌?」 「指切りげんまんの歌」 「すみません、知りません」  そう言うと政臣さんは、絡めた小指を上下に弾ませながら、口ずさんだ。 「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本、飲ーます。指切った」 「わ。ちょっと恐い歌ですね」 「そうだな。決まり文句だからあまり意味まで考えた事はなかったけど、恐い歌だな」  小指を解いて、僕は政臣さんに嘘を吐いている後ろめたさに、恐る恐る尋ねる。 「嘘を吐いたら、針を千本飲まないといけないのですか……?」  政臣さんは、僕の怯えた顔を見て、頭に掌をぽんぽんと置くように撫でた。 「約束をする時の、ただの子供の言葉遊びだ。本当に飲ませたりしないから、安心しろ。それに、充樹は嘘なんか吐かないだろう?」  僕は咄嗟に平伏した。表情で悟られないように。 「はい。嘘は吐きません」  先代の言う事は絶対だ。  でも同じくらい大事な政臣さんに、正直に打ち明けたいという思いと闘いながら、僕は頭を下げたまま唇を噛み締めた。

ともだちにシェアしよう!