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第21話 まぐわう

「お。これはひょっとして、短歌か?」 「あ」  筆で書き連ねた帳面が、開きっぱなしになっているのを、政臣さんが目聡く見付ける。  そう言えば、初めて会った時、約束した。  結婚したら、短歌を見せると。 「はい。そうです。習った訳ではないので、拙いものですが……」  せめてこの約束くらい、守りたい。  そう思いつつ、恥ずかしさに狩衣の袖口で半顔を覆ってしまう。  政臣さんは、奥二重の瞳を子供みたいにきらきらさせて、帳面を覗き込んできた。 「大丈夫だ、充樹。俺も短歌はサッパリだ。古文のテストで、五十四点を叩き出した事がある。間違っていても分からない。詩だと思って聞けば面白いから、詠んで聞かせてくれないか」  そう言って、口元を覆った手首をやんわりと掴まれて外される。  僕は目を泳がせて、恥じ入った。 「あの……政臣さんを想って、詠んだ歌なんです」 「何。充樹が、俺に会えない間、歌を詠んでくれているなんて、凄く嬉しい。聞かせてくれ」 「はい。あの……本当に、笑わないでくださいね?」 「ああ。請け合う」  僕は死ぬほど恥ずかしかったけど、小さく咳払いして、朝に詠んだばかりの歌を声に出した。 「()もすがら  みづのかんばせ  思ひつつ  いつしか()れば  夢でみえけり」  政臣さんが、やっぱり子供みたいに、好奇心いっぱいに声を上げる。 「凄いじゃないか、充樹! 短歌として合ってるかどうかはともかく、ちゃんと古文になってる。その証拠に、俺にはサッパリ意味が分からない!」  政臣さんは笑ったけど、それは僕の短歌の拙さを笑ってるんじゃなく、楽しいからだと分かってほっとする。  僕の短歌で、政臣さんがこんなに喜ぶなんて、嬉しい発見だった。 「充樹、意味を教えてくれ」 「はい。『一晩中、貴方の生き生きとして美しい表情を思いながら、いつの間にか眠ると、夢の中で私は貴方の妻になるのです』、という意味です」 「なるほど。充樹は俺の事を、そんな風に想ってくれているのか。嬉しい」  向かいから帳面を覗き込んで、答え合わせをするように、一字一字指で追っている。  最後の行で、ふと指が止まった。 「これは? 書き直したのか?」 「あ、はい。ご神託で、今日政臣さんと会えると知って、嬉しくて心のままに詠んだので」 「『夢で』……『まぐわう』と書いてあるな。どういう意味だ?」 「『夢の中でお勤めをする』という意味です。直接的で風情がなかったので、詠み直しました」  すると政臣さんは帳面から顔を上げて、疑問符を投げかけてきた。 「お勤め、とは……つまり、夜のお勤めという事か?」  夜? お勤めは、朝でも昼でもするけれど。  でも政臣さんとは、夜にしかしていない。ひょっとして、夫婦は夜にしかしないものなのかもしれない。 「ええと……契るという意味です」 「充樹、大胆な歌を詠むんだな……!」  何故か今度は政臣さんの方が、掌で口元を覆って照れている。 「一晩中俺を想って、夢の中でも契るだなんて、充樹はいつもそんな風に想ってくれているのか?」 「はい。政臣さんとお勤めすると、心も身体も、暖まります。……ふふ、政臣さん、真っ赤ですよ。照れてらっしゃる政臣さん、とても可愛らしいです」 「こら、人をからかうな。誰だって、そんな風に言われたら照れるだろう」 「そうですか? からかっていないです。本当に可愛らしいです。ぱんだの赤ちゃんよりも」 「充樹!」 「はい」 「夫をパンダと一緒にする奴があるか!」  政臣さんは少し大きな声を出したけれど、それは怒りではなく、照れた声だったから、僕はまた笑った。 「ふふ、すみません。でも比べるものが、ぱんだしかなかったもので」  嬉しい、楽しい。何だか足元がふわふわする。  恋愛ものの新聞連載で読んだ、恋する気持ちって、こんな風だった。  僕がくすくす笑っていると、政臣さんは決まり悪そうにしていたけれど、ふと僕の背後を見て、また好奇心いっぱいの目になった。 「充樹。あれは何だ?」 「ああ……ご神託の占い道具です」 「へぇ? どうやって占うんだ?」  僕はにじり下がって、玉砂利の前に正座した。 「実際に、占って差し上げましょう。何か、知りたい事はありますか?」 「え……良いのか?」 「ふふ、内緒です」  小指を胸の前に上げると、政臣さんは理解したようで、低く囁いた。 「じゃあ……充樹が、幸せになれるか」 「すみません、自分の事は占えないんです」 「そうなのか。じゃあ、俺たちはもう夫婦だから、俺が幸せになれるか、で良いな」 「はい。占います」  僕は玉砂利を両手で掬って、精神を集中してそれを畳に零した。  色鮮やかな文様が現れる。 「あ」  僕は思わず漏らした。 「どうした?」 「その……」  言い淀む。これ以上、嘘は吐きたくない。 「悪いのか?」    僕の表情から、目聡い政臣さんは訊いてくる。   「いえ、悪いばかりではないのですが」  僕は覚悟を決めて、正直に話す事にした。 「願いが叶う前に、沢山の困難が待ち受ける、と出ました。行く末は、政臣さんの心持ち次第で、吉にも凶にも転ずる、と……」 「そうか。それは、腹をくくらなくちゃいけないな。充樹と幸せになる為なら、少々の困難くらい、乗り越えてみせる。安心しろ」  先とは打って変わって、力強い言葉と真剣な表情。  僕はこの人となら、幸せになれるに違いないと思った。 「じゃあ、充樹。寝室に行こう」 「えっ?」 「デートは今日が吉日と出たけど、この後、まだ仕事が残ってるんだ」  政臣さんは立ち上がって、座卓の向こうから僕の居る方へやってきて、肉厚の掌を差しだした。  僕は導かれるまま、手を握って立ち上がる。 「まぐわおう」  顔を寄せて耳元で囁かれ、何だか官能的に感じて、頬がぽんと火照った。  お勤めではなく『まぐわう』のかと思ったら、今までに感じた事のない羞恥心が胸を焼いた。

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