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第29話 罪

 政臣さんと会わなくなって、十日余りが過ぎていた。  正確な数字は覚えていない。もう数えても、それは次の逢瀬まで指折り待つのではなく、何の意味もない数字だったから。  ご神託は、いつもと変わらず占っていた。  この座敷牢の中でご神託を占って、参拝者様ではなく笹川さんとお勤めして、政臣さんを想って一生を過ごすのだと思うと、目の前が赤く霞むようだった。  もう政臣さんの事は占うまいと決めたのに、絡めた小指や髪を梳く指の感触ばかりが思い出される。  僕はついに、政臣さんの面影を脳裏に、玉砂利を手にしていた。  ――ぱらぱらぱら……。  文様が現れる。  心臓に包丁が刺さったように、冷たい感触が差し込んだ後、急激にどくりどくりと鼓動を速くした。  たった今、政臣さんはこの屋敷の中に居ると出た。 「政臣さん……」  この部屋に戻されて、もう政臣さんと会えないと知ってなお、不思議と涙は出なかった。  だけど隻を切ったように、不意に涙がこみ上げる。  僕は堪える事もなく嗚咽を上げて、涙をぼろぼろと零した。 「うっ……ひっく、ううっ……」  その時だった。大声が響く。 「火事だ!!」  あっという間に、白煙が薄くたなびき始める。  僕は袖口で口元を覆った。  木枠の向こうの家人は数十秒惑っていたけれど、やがて黒い南京錠を外して僕を手招いた。 「予備様、お逃げください」 「はい」  狭い出口をくぐって、家人に着いて進む。  だけど、声が聞こえた。夢にまで見た、懐かしい声が。 「充樹! 充樹は何処だ!」 「政臣さん……!」  政臣さんが探しているのが、『充樹』なのか、僕なのかなんて、考えも及ばなかった。  僕は逃げていく家人たちの流れを逆行し、煙幕の濃い方へと走った。  そこは、お勤めの間だった。 「充樹!!」 「政臣さん……!!」  僕たちはきつく抱き合った。  このまま燃えて尽きるなら、それでもいい。そう思ったけれど、政臣さんには逃げて欲しかった。   「政臣さん、逃げて……」 「心配するな。充樹、お前の本当の名は?」  ああ。政臣さんに知られてしまった。だけど、政臣さんは、目を逸らさずに『僕』を受け入れようとしてくれていた。 「珠樹。宝珠(ほうじゅ)(じゅ)(いつき)と書いて、珠樹です、政臣さん」 「珠樹。愛してる。俺が好きなのは、珠樹だ。充樹じゃない」 「んんっ……」  後ろ髪が引かれて顎が上がり、情熱的に唇を食まれる。ちゅ、ちゅと音を立てて吸われ、舌が引き出され、甘噛みされて、快感に目眩が止まらない。  布団の上に押し倒され、袴を下ろされる。政臣さんは、背広だった。 「あっ・いけませ、政臣さん、逃げない・と……っ」  分身を巧みに扱かれて、(よろこ)びに声を詰まらせながらも、制止する。  だけど政臣さんは、口付けの合間に言葉を紡ぐ。 「煙だけだ。お前に会いたくて、俺がやったんだ……十分くらいで煙は消える。愛してる、珠樹」 「あっあ・愛して・います、政臣さんっ」  とろとろと滴る雫のぬめりを借りて、指が後ろの孔に潜り込んでくる。すぐに腹側に曲げられて、善い所を突きながら、ぐにぐにと疼く孔を拡げられた。 「は・あぁ・もう、挿れて……くださいっ」 「珠樹」  僕にとっては記号でしかなかった『名前』が、身体の奥深くに染み渡る。  『珠樹』と呼ばれ、政臣さんに愛されている事実に、孔がひくひくと蠢いた。  善い所を抉るようにして、政臣さんの逞しい雄が押し入ってくる。 「ひっ」  それだけで、もう堪らない。僕は、腰を激しく振りたくった。  今までしとやかに演じていたから、政臣さんと奔放にお勤めを味わうのは、初めてだった。 「珠樹……っ」 「政臣さ・んっ、あ・あ、達します……!」  煙の立ちこめる中、僕は我慢する余裕も持ち合わせず、政臣さんを思い切り締め付けた。 「俺も・イく……一緒にイこう、珠樹」 「あぁん・ん――……っ!!」  中の雄が弾ける瞬間、政臣さんは引き抜いて、僕の分身に擦り付けるようにして同時に果てた。  僕は今まで、お勤めの本当の悦びなんて、知らなかった。  愛する人と、嘘偽りなく契るのは、こんなにも心地良いものだなんて。  僕の汗の浮く額を、政臣さんがぺろぺろと舐めてくれた。 「珠樹。時間がない。拭くぞ」  そう言って、政臣さんが、枕元に重ねてある手拭いを取って清めてくれる。 「ぁんっ」  達したばかりの分身にも触れて、僕はちょっと跳ねた。   「珠樹。お前の手紙で、『充樹』が二人居る事に気が付いた。お前は、何故取り替えられた?」  僕は、一つの謎解きを文に紛れ込ませた。  先代に見咎められないよう、でも万一の時には、政臣さんに伝わってくれるよう、願いを込めて。  それを政臣さんは見付けてくれた。 『左の掌の印にかけて』  ほくろの事を遠回しに示した。  僕にはほくろがない。充樹にはほくろがある。  だけど、もう煙が薄れ始めていた。  僕は立ち上がって袴の紐を結びながら、政臣さんの腕に抱かれる。 「お話ししている時間がありません。煙が消えれば、家人たちがやってくるでしょう。煙だけだと、貴方の罪が知られてしまいます。行灯を倒して、少し燃やしましょう」 「ああ。消化器はあるか?」 「前室に」  僕が行灯を倒すと、油が広がって畳を炎の舌が舐めた。  政臣さんが消化器を持ってきて、消し止める。 「珠樹は、逃げなくて良いのか?」 「貴方が僕と会っていたと知られれば、それは罪になります。僕は、自分の部屋に戻ります。逃げてください、政臣さん」 「分かった」  そう言いつつも、僕たちは握りあった掌を離せなかった。  家人たちのざわめきが聞こえてくる頃、一度だけ唇を押し当てて、逆方向へと身を分かった。

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