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第32話 秘密

 求め合って、もどかしく口付けを交わす。お豆腐の接吻じゃなく、荒々しく激しい接吻。  まるで、急いで昂ぶらなければ、引き離されてしまう運命みたいに。  笹川さんが、泣きじゃくる充樹の頭を抱え込むようにして、どう猛に怒りの声を上げた。 「藤堂様! お相手を間違えていらっしゃる。貴方のお相手は、充樹様です!」  ちゅっと下唇を吸われて、離れた。  だけど政臣さんは、胸に僕を抱き込み続ける。僕も広い背に腕を回していた。 「いいや。間違えてない。俺が愛してるのは、珠樹だ」 「何故、予備様の事をご存じか?」 「関係ないだろう。俺が愛してるのは、珠樹。充樹じゃない。それだけで充分の筈だ」  嬉しい、嬉しい、嬉しい……!  堪らずに政臣さんの胸に縋って、頬擦りした。  肩にかかる黒髪を、政臣さんが梳くように撫でてくれる。 「はっ。穢らわしい」  だけど笹川さんの口から出たその言葉に、僕は心臓に杭を打たれたみたいに、物理的に痛みを感じて震えた。  僕は、『穢れている』? 神聖な神子である僕が、何故?  笹川さんは、つらつらと饒舌に話し始めた。 「予備様は、物心ついてすぐからつい最近まで、不特定多数の男性とお勤めをしてきた。多い時は、日に五度も。ご神託を受けに来る参拝者様の、性奴隷としてお勤めをするのが、予備様の仕事だ。セックスなしではいられないほど、予備様は身も心も穢れきっている。それでも藤堂様は、予備様を愛しているなどと言えるのか」  『性奴隷』。その言葉に衝撃を受けて、僕は固まった。  お勤めは、神聖な儀式だと、幼い頃から言い聞かされて育った。僕にしか出来ない、大切な儀式だと。それが誇りだったし、喜びだった。  数え切れないほど、お勤めをした。それが全て、性奴隷としての行いだったとしたら。確かに僕は、『穢れている』。  食道を、酸っぱい胃液がせり上がってくる。  政臣さんが答えるまで三秒あって、僕は目眩を覚えてふらついた。 「……ああ。それでも俺は、珠樹を愛してる。珠樹は、穢れてなんかない!」  腰帯をぐっと支えられ、僕は倒れずに済んだ。  笹川さんが、取って置きの醜聞を打ち明ける昏い快感に、頬を歪めて嗤う。 「最近は、参拝者様とのお勤めがなくなったから我慢が出来ず、私が予備様のお相手を勤めている。予備様は、バックから突かれるのが好みの好き者なんだ。藤堂様の名を呼んでは、何度も何度も……」  それまで穏やかだった政臣さんが、まなじりを決した。 「貴様っ……俺の珠樹に!」  あっという間に笹川さんに飛びかかり、馬乗りになって拳を振り上げる。  二発、顔に拳が叩き込まれた所で、僕は我に返った。 「政臣さん、駄目です!」  もう一発、拳が肉を打つ鈍い音がして、潰れたひき蛙みたいな声が上がる。  僕が政臣さんの振り上げられた右手に取り付いたのを見て、充樹も間に割り入って笹川さんに縋り付いた。 「やめて、笹川を殴るんなら、僕を殴って!」  ぐっ、と政臣さんが息を飲んだ。  飛んでいた理性の光が瞳に戻り、わなわなと拳を震わせていたけれど、やがて力なく下ろす。  掴んでいた笹川さんの胸倉を離し、立ち上がった。 「珠樹と、充樹に免じて、殴るのはやめてやる。だけど、決して許さない」  燃える憎しみの目をして、政臣さんは僕を守るように再び胸に抱く。  僕は『穢れている』のに……政臣さんは、それでも確かに、僕を愛していると言ってくれた。  僕はといえば、明かされた真実に、茫然自失して立ち竦んでいた。 「珠樹、安心しろ。何を聞いても、お前を愛してる。珠樹、珠樹……」 「政臣さん……!」  やがて、騒ぎを聞き付けた先代が命じたのだろう。屈強な家人たちが幾人もやってきて、僕たちは引き離された。  政臣さんはお勤めの間に、僕は座敷牢に。  秘密は、秘密でなくなってしまった。僕たちはもう、会えないのかもしれない。

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