34 / 41

第34話 歌(四)

 充樹の部屋に急ぎ、何食わぬ顔をして、上座のふかふかした座布団に座る。  この『何食わぬ顔』というのが、難しかった。  何しろ、充樹は笹川さんと長年の想いを遂げられるし、僕は政臣さんと結婚出来るし、これ以上ないほどの幸せを押し殺すのは、大変だった。  上がってしまう口角を袖口で隠していたら、先代がやってきた。 「充樹。頭は冷えたか」  え、何の話だろう。聞いてない。  僕は取り敢えず、深々と平伏した。 「はい」 「政臣さんが(きぬ)を裂いたのは、そういうお勤めの楽しみ方もあるという事だ。珠樹の奔放さに慣れてしまっていたから、つい荒々しくなってしまったんだろう。政臣さんにやんわりと、自分は珠樹と違って初めてだと伝えれば、もうあのような行為はすまい。男は、処女を好むものだ。珠樹の事を愛しているなどと口走ったそうだが、一度契れば、お前の具合の良さに夢中になるだろう。恐がっていないで、政臣さんに甘えてみせなさい」  そうか。充樹は、政臣さんが乱暴したから、恐がって契るのが嫌だと、駄々をこねていたのだろう。それはもっともな反応だった。  僕は、これから一生、『充樹』を演じなければいけない。  一度深呼吸し腹を据えて、顔を上げた。袖口で口元を覆って、目を逸らす。 「ですが先代……あのように気性の激しい方と、上手くやっていく自信がないのです」 「安心しなさい。政臣さんは、優しい方だ。優し過ぎる故に、珠樹なんぞに情けをかけている。あのようにものを知らない珠樹よりも、添えば利発な充樹の方が良いと気付いてくれる。身体を委ねて、お勤めをする喜びを感じなさい」  それを聞いて、つい先代はどうだったのだろう、という疑問が浮かんだ。  僕の悪い癖で、知らない事が多いから、分からない事はすぐに訊いてしまう。  真っ直ぐに先代を見て訊いた。 「先代は、母様と、お勤めをする喜びを感じておられましたか?」  じろりと、先代の眼差しが険しくなった。 「そのような事、親子で訊くものではない。はしたないぞ」 「すみません。わたくしが言いたかったのは、先代も母様を愛していらっしゃるかという事で……」 「ふん」  何故かその問いに、先代が鼻で笑った。 「お前も成人した。あれの事を話しても、よい頃だろう」 「母様のお話ですか?」 「ああ」  良かった、充樹も母様の事は知らないんだ。  大好きな母様の話が聞ける喜びに、僕はお行儀悪く身を乗り出した。  先代は、遠くを見るようにして話す。 「あれとは、ご神託の占いで契った。子を成すには吉と出たが、結婚生活は凶と出たから、種付けの時しか籍は入れていない。確かに今思えば、吉だ。皇城では双子は重宝される。予備の子が出来るからな。私もそれなりに情をかけた」  良かった。先代と母様は、僕と政臣さんみたいにご神託で出会ったけれど、心を通わせていたんだ。  これから始まる政臣さんとの生活を思って、心が弾む。  予備の子、って所は、少し胸が痛んだけれど。 「だが」  先代の声の調子が、忌まわしげに変わった。 「皇城の伝統を、あれは理解せんかった。双子が生まれた場合、一方を予備として育て、幼い頃からお勤めをさせる事を。毎日泣き暮らすあれには、うんざりした。充樹が六つの時に、あれとは手を切った。もう二度と、会う事はないだろう。そのつもりでいなさい」  母様……!  僕は、青くなって俯いた。  母様は、毎日座敷牢に会いに来てくれたけれど、僕がお勤めをしだしてから、暗い表情を見せるようになった。  笑って欲しくて、誉めて欲しくて、お勤めが上手になったと話したけれど、母様は悲しげに笑って「そう」と言うだけだったのを思い出す。  息子が性奴隷にされている事を知って、喜ぶ母親は居ないだろう。僕が、母様を追い詰めたんだ。 「充樹は、子の事は心配せず、政臣さんと上手くやりなさい。珠樹で種付けは済んでおる。ご神託の才能を受け継いだ子が、出来るだろう。よいな。政臣さんと契るのだぞ」 「……はい……」  僕は、乱れた心地のまま、だけどしおらしく平伏した。  先代は、満足して出ていった。  入れ違いに、笹川さんが戻ってきて、部屋の隅に控える。  目が合うと、軽く頷いた。  良かった。一先ず、入れ替わりは成功だ。  笹川さんが居るから、充樹と連絡を取り合う事も出来る。  そうだ。『珠樹』は、歌が詠めて、解説も出来なくちゃいけない。何かの時の為に、一首丸暗記しておくと良いだろう。  そう思い付くと、後は速かった。  硯で墨をすって、充樹の帳面に筆で詠む。  ()し覚え  面影のごと  幼生(をさなお)ひ  たちかへりかの  人に会はばや  『辛い記憶が、幻のように思える、幼い頃の生い立ちです。もう一度、あの方(母様)に会いたいものです』  短歌の下に、解説も書きつけた。  その一枚を丁寧に破り取って、笹川さんを呼ぶ。 「笹川。近くに」 「は」  僕は顔を寄せて、そっと囁いた。 「これを、充樹に。いざという時の為の、短歌です」 「畏まりました」  笹川さんが出ていく。  僕は政臣さんとの未来を胸に描いて、充樹の帳面の最後の方に、こっそりともう一首詠むのだった。 春霞(はるがすみ)  立てるやいづこ  恋ひごとし  我らの行く末  おぼつかなけれ  『春霞が立ちこめているのは、何処なのだろう。まるで、この恋のようだ。私たちの将来は、ぼんやりとしている』  季節はもう春の終わりにさしかかり、濡れ縁から入ってくる風が心地良かったけれど、僕たちの運命は、春の霞のように儚いものだと思うのだった。

ともだちにシェアしよう!