36 / 41

第36話 雷鳴

「充樹。よく政臣さんと契ってくれた」 「はい」  狩衣に身を包み、布団の横で先代に平伏する。 「政臣さん、充樹と結婚して頂く。よいですな」 「はい」  政臣さんも、力強く頷いた。 「では、次は珠樹の番だ。政臣さんにも、努々珠樹とよりを戻そうなどと思わぬ為に、いかに珠樹が穢れているか見て頂く」 「えっ」 「お腹様、珠樹とお勤めを」 「ええ」  僕と、政臣さんと、充樹と、隅に控えていた笹川さんの視線が、目まぐるしく交錯する。  みんな、硬い表情をしていた。充樹は目に見えて青くなっている。   「また、可愛がってあげるわ」  お腹様が、充樹の手を引いて布団に引き入れようとする。  どうしよう……!  その時、政臣さんが素早く立ち上がって、行灯を蹴り倒した。布団の方に。油が布団に染み込んで、ぼっと火の手が上がる。 「逃げろ、『珠樹』!」  混乱の中、政臣さんが僕の手をしっかり握って、走り出す。  濡れ縁から庭に出て、木立の中をかいくぐって駐車場に出る。  駆け寄りながら鍵を取り出して、自動車に向けると、ぴぴ、と音がして解錠されたようだった。 「珠樹、乗れ!」 「はい!」  屋敷は、街から少し離れた山里にある。逃げるには、自動車で街まで出なくてはいけない。  巧みな運転で街まで出る頃には、季節外れの夕立のような、不意の土砂降りと雷が鳴っていた。  自動車は、のれんのような布をくぐって建物の駐車場に入る。   「ここは? 旅館ですか?」 「ああ、一先ずここに隠れよう。狩衣ではすぐに見付かってしまうから、俺が服を買ってくる。珠樹は、部屋で待っててくれ」  部屋の写真がずらっと並んでいる中から、一つ選んで窓口で鍵を受け取る。三〇二号室。  政臣さんは昇降機の『三』の数字を押して、僕を抱き締めて触れるだけの接吻をし、離れた。自動扉が閉まっていく。 「お気を付けて。お待ちしています」 「心配するな。すぐに帰ってくる」  政臣さんは、久しぶりに涼しげに笑んで、自動扉が閉まった。  部屋に入ると、中には大きな寝台がひとつあるきりだった。  取り敢えず腰かけたけれど、次第に心細くなってくる。  充樹を守る為には、こうするしかなかったけれど、一体これからどうなるんだろう。一生逃げなくてはいけないんだろうか?  怠くて、ぱたりと寝台に横になる。  後ろで達した疲労感は、思ったよりも体力を奪っていた。  これからの行く末を思って目を瞑っていたら、いつの間にか僕はうとうとと寝入っていた。     *    *    *  ――こん、こん。  扉を叩く音で目が覚めた。政臣さんが帰ってきたんだ。  どれくらい眠っていたか分からなかったけれど、無事に帰ってきてくれた安堵感に、頬を緩めて扉を開ける。  だけど笑顔は、凍り付いた。  そこには、屈強な背広の男性が二人、立っていた。  扉の握り玉(どあのぶ)を引っ張って、咄嗟に閉めようとしたけれど、革靴が隙間に挟まれ、叶わない。  ぐいと扉が開けられ、二の腕が掴まれた。そのまま引き摺るようにして、連れて行かれる。 「嫌だ! 離せ!」 「騒いでも無駄です、予備様。皇城は国を動かしている。ひいては、この国の何処に逃げても、隠れる場所などないという事です。お諦めください」 「政臣さん、政臣さんっ! 誰か、助けて!!」  僕は力一杯叫んだけれど、家人の言う通り、誰も姿さえ見せなかった。  自動車に押し込められ、僕は皇城の家に戻された。  雷鳴と閃光が、僕たちの行く末を暗示しているようだった。

ともだちにシェアしよう!