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第36話 雷鳴
「充樹。よく政臣さんと契ってくれた」
「はい」
狩衣に身を包み、布団の横で先代に平伏する。
「政臣さん、充樹と結婚して頂く。よいですな」
「はい」
政臣さんも、力強く頷いた。
「では、次は珠樹の番だ。政臣さんにも、努々珠樹とよりを戻そうなどと思わぬ為に、いかに珠樹が穢れているか見て頂く」
「えっ」
「お腹様、珠樹とお勤めを」
「ええ」
僕と、政臣さんと、充樹と、隅に控えていた笹川さんの視線が、目まぐるしく交錯する。
みんな、硬い表情をしていた。充樹は目に見えて青くなっている。
「また、可愛がってあげるわ」
お腹様が、充樹の手を引いて布団に引き入れようとする。
どうしよう……!
その時、政臣さんが素早く立ち上がって、行灯を蹴り倒した。布団の方に。油が布団に染み込んで、ぼっと火の手が上がる。
「逃げろ、『珠樹』!」
混乱の中、政臣さんが僕の手をしっかり握って、走り出す。
濡れ縁から庭に出て、木立の中をかいくぐって駐車場に出る。
駆け寄りながら鍵を取り出して、自動車に向けると、ぴぴ、と音がして解錠されたようだった。
「珠樹、乗れ!」
「はい!」
屋敷は、街から少し離れた山里にある。逃げるには、自動車で街まで出なくてはいけない。
巧みな運転で街まで出る頃には、季節外れの夕立のような、不意の土砂降りと雷が鳴っていた。
自動車は、のれんのような布をくぐって建物の駐車場に入る。
「ここは? 旅館ですか?」
「ああ、一先ずここに隠れよう。狩衣ではすぐに見付かってしまうから、俺が服を買ってくる。珠樹は、部屋で待っててくれ」
部屋の写真がずらっと並んでいる中から、一つ選んで窓口で鍵を受け取る。三〇二号室。
政臣さんは昇降機の『三』の数字を押して、僕を抱き締めて触れるだけの接吻をし、離れた。自動扉が閉まっていく。
「お気を付けて。お待ちしています」
「心配するな。すぐに帰ってくる」
政臣さんは、久しぶりに涼しげに笑んで、自動扉が閉まった。
部屋に入ると、中には大きな寝台がひとつあるきりだった。
取り敢えず腰かけたけれど、次第に心細くなってくる。
充樹を守る為には、こうするしかなかったけれど、一体これからどうなるんだろう。一生逃げなくてはいけないんだろうか?
怠くて、ぱたりと寝台に横になる。
後ろで達した疲労感は、思ったよりも体力を奪っていた。
これからの行く末を思って目を瞑っていたら、いつの間にか僕はうとうとと寝入っていた。
* * *
――こん、こん。
扉を叩く音で目が覚めた。政臣さんが帰ってきたんだ。
どれくらい眠っていたか分からなかったけれど、無事に帰ってきてくれた安堵感に、頬を緩めて扉を開ける。
だけど笑顔は、凍り付いた。
そこには、屈強な背広の男性が二人、立っていた。
扉の握り玉 を引っ張って、咄嗟に閉めようとしたけれど、革靴が隙間に挟まれ、叶わない。
ぐいと扉が開けられ、二の腕が掴まれた。そのまま引き摺るようにして、連れて行かれる。
「嫌だ! 離せ!」
「騒いでも無駄です、予備様。皇城は国を動かしている。ひいては、この国の何処に逃げても、隠れる場所などないという事です。お諦めください」
「政臣さん、政臣さんっ! 誰か、助けて!!」
僕は力一杯叫んだけれど、家人の言う通り、誰も姿さえ見せなかった。
自動車に押し込められ、僕は皇城の家に戻された。
雷鳴と閃光が、僕たちの行く末を暗示しているようだった。
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