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第10話 魔法使い
「何か、やりたい事とか、行きたい所はあるか?」
自動車の助手席に座って、僕はぼうっと、運転する政臣さんの横顔を見詰めていた。
「……充樹?」
ちらりと流し目で見られ、僕は頬を火照らせて俯く。
「は、はい」
こんな風になるなんて、まるでお勤めが初めての、参拝者様みたいだ。政臣さんは一般の方なのに、特別な力を持っているんだろうか。
前方に視線が戻り、くすりと喉が鳴る。
「そんなに、運転する俺は格好良いか?」
「は、はい」
「はは、冗談だったんだけどな。そんなに素直に言われちゃ、照れるだろうが」
「でも、あの、格好良いです」
「分かったから、やめろ。手元が狂う」
政臣さんは、くつくつと肩を揺らす。
本当に、器用に輪を操作して運転する政臣さんを見てると、じっと座ってるのがもどかしいくらい、身体が騒ぐ。今すぐ縋り付いて、抱擁したいくらい。
でもそう言ったらますます困らせてしまうだろうから、胸の前できゅっと両手を握って我慢する。
「充樹」
「はい」
「行きたい所、あるか?」
ああ、そうだった。
「よく……分かりません」
「ああ、初めてだったな」
「あ」
「ん?」
「お堀の、鴨が見たいかも」
「そうか。動物は好きか?」
「はい。写真でしか、見た事がありませんが」
政臣さんは、夢みたいな言葉を、魔法みたいに紡いでくれる。
「じゃあ、動物園はどうだ?」
「えっ。行けるんですか!?」
「ああ。今からなら、上野まで行ける。ちょうどパンダの子供が公開中だから、可愛いだろう」
「ああ! 新聞で読みました! 死ぬまでに一度、ぱんだの赤ちゃんというものを見たいと思ったんです!」
興奮して横顔を見上げると、政臣さんは前方を見たまま、優しく笑った。
「確かに二十歳まで家の中だったなら、「死ぬまでに」という言葉に説得力があるな。そんなに喜んでくれるなら、やり甲斐がある」
「凄く嬉しいです。政臣さん、大好きです!」
言ってしまってから、あっと思った。こんな不躾な言葉、迷惑かも。
「す、すみません」
「ん? 何を謝る?」
「いえ、好きだなんて……」
またちらりと、流し目で見られた。今度は、不思議そうに。
「充樹」
「はい」
「人を好きになるのも、初めてなんだな」
「はい。でもあの……ご迷惑なら、もう言いません」
「充樹!」
「はっ、はい!」
僕は政臣さんの怒りを恐れて、目を瞑った。
「何て事だ。誰も、夫婦の心得を教えてくれなかったのか?」
「え……はい。すみません」
僕は恐る恐る、睫毛を上げて政臣さんを窺う。
「謝る必要はない。夫婦というのは、好き合って、愛し合って結ばれるものだ。俺は、充樹に一目惚れして「愛してる」と言った。お前は今、俺を愛してくれてるのか?」
「え……あの」
また、頬が火照って落ち着きがなくなる。やっぱり政臣さんは、特別な力を持っているに違いない。
「怒らないから、正直に言ってみろ」
僕は心臓がうるさいんじゃないかと思って、左胸を押さえて細く言った。
「……大好きです。でも……『愛』って、まだよく分かりません。だけど母様みたいに、一緒に居るだけで、幸せです」
ふうっと、政臣さんが溜め息をついた。
呆れられたかな。僕は少し悲しくなった。
「良かった。一緒に居るだけで幸せっていうのは、最高の愛情表現だ」
「そうなのですか……?」
「ああ。安心しろ。俺たちは、愛し合ってる。入籍までに、最高の夫婦になろう」
やっぱり政臣さんは、僕の気持ちを落ち着かなくさせる。こんな気持ちになった事なんか、生まれて初めてだ。
何でも願いを叶えてくれるから、魔法使いなのかもしれない。
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