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第147話 目覚める白金(29)
翌日の朝、僕は母様のために、再びバラ園へと向かった。今回は、ルイさんに勧められたもう一方のバラ、縁が濃いピンクで、がくのほうへ行くほど白くなっていくバラをハサミで切っていく。この花もすっきりした甘い香りがする。母様に気に入ってもらえるといいな、と思いながら、ハサミで棘を切っていく。腕の中が一杯になったので、僕は屋敷の方へ戻ろうとバラ園を出ようとした時。
「……あの人間、なんなの?」
「ホルグさんも、ホルグさんよね」
「エリィ様に抱き着いたり、エミール様に抱き着いたり、節操ないっていうか」
「それに、あの匂い。エリィ様とご一緒していながら、誰ともわからない匂いをまき散らしてさ」
この屋敷で働く、獣人の女性たちの冷ややかな陰口が、僕の耳に入ってしまった。
屋敷にいる間、レヴィはずっとエリィさんの姿を通してた。だからこの屋敷でレヴィの本来の姿を知っているのは、ヒデュナ様ご夫婦とホルグさんだけ。だから勘違いされても仕方がないかもしれない。
彼女たちの言葉に、僕はバラ園の出入り口のところで立ち止まってしまった。エリィさんが人気があるのはわかる気がするけれど、こうもあからさまな悪意の言葉を聞かされると、居た堪れない。
ちょっとすぐには立ち直れなくて、ぼうっと立ちすくんでいると、カサリという音がした。ハッと、目を向けると、そこには少し驚いた顔のルイさんが立っていた。
「お、おはようございます」
僕は挨拶の言葉だけ小さく呟くと、彼の前を駆け抜けていく。一瞬、彼が何か声をかけようとしたような気もしたけれど、僕は足を止めずに屋敷へと戻った。
向かったのは母様が眠っている部屋。ドアを開けると、部屋の窓を開けていたのか、朝の気持ちのいい風が抜けていく。
「あら、今日は、そのバラを選んだのね」
にこやかに笑いながら僕を迎えてくれたマリー様は、母様にかけてる毛布を掛けなおしている。今日も母様の顔色はよくて、僕もホッとする。相変わらず、眠り続けているけれど。
マリー様は僕からバラを受け取ると、今飾っているものと交換するために部屋を出ていった。僕は母様のそばに座り込み、毛布の上に出ていた手を両手で握る。
「母様……」
頬に握った手を寄せる。その指先は冷たくて、このままずっと目が覚めないんじゃないかって不安になる。そして、ポロリと涙が一粒零れた。
「母様、起きて……」
その言葉に反応するかのように、母様の指がぴくッと反応したように感じた。
「えっ?」
もしかしたら、僕の錯覚かもしれない。だけど、動いたのだったら、と思ったら、僕は大きな声で母様を呼んでいた。
「母様、母様っ!ねぇ、起きて!僕だよ!ノアだよっ!」
あまりにも声が大きかったのか。マリー様がドアを開けて慌てて入って来た。
「ノア様、どうかしましたか?」
僕の傍に駆け寄ると、母様の顔を覗き込む。
「あのっ、指、指がっ」
「指?」
「なんか、ぴくッて」
「!?」
マリー様は顔を引き締めると、母様の頬を両手で挟み込むようにして、額を重ね合わせた。僕はしばらく、その様子を見つめることしかできなくて、ひたすら母様の手を握りしめた。
「……まだ、魔法は解けてはいないわ……」
マリー様はどこかホッとしたような、少し残念そうな、そんな声で呟きながら母様から手を離した。
「でも、ノア様の呼びかけに反応したということだから、ノア様が、時々、こうして声をかけてみるのもいいかもしれませんね」
大きな掌で僕の頭を優しく撫でるマリー様。僕は母様をジッと見つめながら、素直に大きく頷いた。
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