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 それは近くにいなければ聞こえないぐらいの声だった。だから、幸が連れていた黒髪の女の子には届いていないだろう。そのことにホッとしたのが半分。突然、雰囲気の変わった幸に驚いたのが半分。  この後どうするか俺が決める前に、幸がまた動いた。 「詳しいことは知らんけど鞄の中見えてるで。ここで騒いで困るんは、そっちの方ちゃうん?」  幸が一瞬だけ移した視線。鞄に向かったそれが捉えたのは、俺と同じように隠すように入れられた漫画だろう。 「万引きで潰れる店もあるんやで。あんたは大した金額ちゃうと思っても、店からしたら違うねん。ちゃーんと犯罪やって、分かっててしとるん?」  棚に手を伸ばした幸が、そこから本を取り出す。何のタイトルかも、何巻かもわからない適当な1冊。それを手に取った幸は、軽く息を吸って、そして──。 「うっわ!これ新刊出てるやん!!続きめっちゃ気になっててん!!これは絶対買わなあかんなぁ!」  独り言にしては大きすぎる声。幸のその声に、通路の奥にいた数人がこちらを向いた。注目を浴びたとわかった万引き男が、幸を睨みつける。  けれど買ったのは幸だ。   「……っ、うっざ」  舌打ちと共に去っていく男の背中。俺にはあんなに偉そうだったのに、あまりにも呆気ない終わり方だ。そう思ったのは幸も同じらしく、俺を見て苦笑した。 「こういう時、最後のセリフは覚えてやがれ!ちゃうの?」 「それは古すぎ」 「もうちょっと楽しめるかと思ったのに。ざーんねん」  本当につまらなさそうに言ったあと、幸は持っていた本を棚に戻した。 「お前マジでその本の続き気になってんの?それ、俺も読んだけどクソつまんなかった」  幸が手にしていた本。それは表紙は力が入ってるけど、中身はスカスカの退屈な本だった。俺は今までたくさん漫画を読んできたけれど、その中でもワースト3に入るぐらいだ。 「あ、そうなん?俺、少女漫画しか読まへん主義やねん」 「男なのに?」 「漫画に男か女かなんて関係ある?俺はな、根性とか努力とか言うて必死に戦うよりも、甘酸っぱい恋にキュンキュンしてたい系男子ねん」 「はあ……俺には関係ないからいいけど」  俺を見た幸がちょっとだけ驚いた顔をして、その後に笑う。なんとなく安心したような、嬉しそうな顔だった。 「うさまるは意外と器の広い男やねんな。うさまるみたいな寛大な男やったら、彼女も喜んでるやろ」 「褒められてるのか貶されてるのか、いまいち微妙な言い方すんなよ」 「うーわ。今のはあかんで。そんなワガママが許されるんは、可愛い女の子だけや。男のわがままなんか、鬱陶しくてあかん」  わざとらしく顔を顰めた幸が言い、後ろを振り返った。 「ごめんなぁ。俺、友達と遊ぶ約束しとったん忘れてたわ」  ちっとも謝っているように思えない声色。その証拠に、幸の表情は悪いと思っている顔じゃなかった。 「じゃ、そういうことで。気ぃつけて帰りや」  引き留めるような女の子の視線を無視して幸が歩き始める。戸惑いつつも俺は幸に背中を押され、肩越しに背後を振り返れば、幸の連れの女の子がじっとこちらを見つめていた。 「おい、いいのか?幸の友達か、彼女かなんだろ?」 「ええねん。友達でもないし彼女なんて絶対に違うから」 「でもっ。一緒にいたんだし、さすがに1人で放って行くのは悪くね?」 「大丈夫やって。どうせ俺がおらんくなったら、彼氏呼び出すだけやから」  いつの間にか腕を引かれる形に変わり、足早に本屋から出された。その過程で教えられたのは、さっきの黒髪の子は幸の友達でもなければ、彼女なんかじゃないってこと。あの子は幸の友達の彼女で、なぜか学校帰りについて来たってことだ。  なんだか面倒くさそうな展開に、俺はそれ以上は聞くことをやめた。 「お前もいつか刺されそうだな」  俺の腕を引き、ずんずんと歩いて行く幸に声をかける。どこへ向かうつもりかは知らないけれど、予定はないのだからどうだっていい。 「お前も?」  俺の前を歩きながら、少しだけ振り返った幸が聞いてきた。 「お前みたいなやつを知ってるんだよ。でも、そいつはお前と違って、もっとはっきり断るけど」 「俺みたいなって、それ、どういう意味で言うてるん?」 「たらし。幸は女専門で知り合いの方は人間全般な」  そう言ってしまうと、なんだかリカちゃんの方が悪い気がしてくるけど間違ってはいない。だって、リカちゃんは男でも女でもすぐに誑かすからだ。 「あー……こんなの考えたくないのに、幸のせいで頭の中に嫌なの流れ始めた」  頭の中でリカちゃんと知らないヤツが楽しそうに笑っている。俺の知らない話をして、けれど俺の知っているリカちゃんの笑顔で。俺にするように名前を読呼んで、でもそれは知らない名前で……そこまで考えて強制的に終わらせた。  じゃないと、俺は妄想のリカちゃんにすらキレてしまうだろう。

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