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〈side:Rika〉
時は少し戻って朝。まだ夢の世界にいるウサギちゃんをベッドに残し、静かに寝室を出る。
自室のリビングには人を駄目にするという謳い文句のクッション。黒を基調とした部屋に置かれたウサギ専用の水色のクッションは、見慣れてしまえば違和感など忘れた。
「さて。今日の夕飯は魚かな」
こちらが栄養バランスを考えて作っても、嫌いなものは容赦なく残す彼をどうやって欺こうか。それを考えるのは、メニューを決めることよりも難しい。
「野菜あんかけ……は確実に残すよな。煮物も駄目、サラダはもっと駄目。これは困った」
そんな独り言を言いながらも、手は自然と動く。何度も食事を共にした経験から、彼の好む味付けを覚えた頭は、最善の献立を弾き出した。今夜は鱈のチリソースと春雨サラダ、卵スープに決まりだ。
「あとは帰ってから火を通して、盛りつけるだけ」
今できる限りの下ごしらえを終えた俺は、家を出るまでの残り時間を確認した。少し早めに目覚めた今朝は、いつもよりも余裕がある。シャワーを浴びて髪をセットし、スーツに着替えても残るぐらいだ。
うちの慧君は俺のことを仕事大好き人間だと思っているらしいが、実際はそうでもない。働かなくて済むなら働きたくないし、何もせずに過ごしたい時だってある。
さらに言えば慧君という恋人ができた今、俺の最優先順位は慧君なわけで。その彼が夏休みともなれば、どうして仕事があるのかと恨むぐらいだ。
でもそれを言葉や態度に出さないのは、余裕のある大人だと思われたいから。そんな自分のちっぽけなプライドに自嘲しつつ、手近に持って来ていた仕事用の鞄に手を伸ばす。
「──置いてくるの忘れてた」
書類と教科書、それからノートにパソコン。普段通りの中身の中に普段なら決して存在しないモノ。今時こんなモノがあるのかと思わせるそれを、指先で抓んで引き出す。
この行動の心意は『とてつもなく迷惑で鬱陶しく、イライラさせる存在に対する嫌悪』だ。
「うわ。教頭そっくり……これは俺がフリーだったとしてもナシだな」
渡されたのではなく、強引に押し付けられたソレ。見栄えのする白い表紙がつけられた薄いアルバムは、いわゆる『お見合い写真』ってやつだ。前々から俺のことを気に入っているらしい教頭に執拗に迫られ、断りつづけ、とうとう強行突破で持たされたモノ。家には持ち帰らないと決めていたはずなのに、どうやら置き忘れてしまったらしい。
「身長154cm、興味なし。体型は標準、これも興味なし。趣味は家庭菜園、どうでもいい。特技はお菓子作り……誰が他人の手作りなんか食べるか。駄目だ、外見もスペックも、何もかもが受けつけない」
今までも散々、できるだけ角を立てず、けれどはっきりと断ってきたつもりだ。それなのにまだ自分の娘との縁談を諦めてくれないのは、もはや嫌がらせとしか思えない。会うだけでいいからという教頭の言葉は、絶対に嘘だと言い切れる。
「はぁ……どうするべきか」
言葉で伝えても駄目で、態度に出しても駄目。恋人がいると言えば、根掘り葉掘り聞き出そうとするのは目に見えている。いっそのこと、彼女本人に直接断りを入れればいいのではないか、という考えが頭に過るけれど…………。
「いくら断る為だとしても、会うことを慧君が許してくれるかな」
本人は頑なに認めないけれど、うちのウサギちゃんは嫉妬深い。特別視されることに大きな喜びを感じる反面、他と同じ扱いをすると拗ねる。心と身体で突っぱねられ、2人の仲が悪くなるような事態は俺としても避けたいところだ。
黙って全てを終えることができたならいい。けれど相手は職場の上司の娘で、その職場は慧にも関係する場所で。ともすれば、隠し通せるかは怪しいわけで。
「あー……今日はあのハゲの相手をできる気がしない」
きっと教頭は今日もハゲ頭を隠し、娘はどうだ、写真は見たかと訊ねてくるだろう。俺はそれに笑顔で応えながら、うまくかわさなければいけない。
こういう時、愛想のよい好青年のフリは大変だ。外面がよければいいことも、面倒なこともあると痛感する。
「でもまぁ……仕方ない、かな」
自分の抱えるリスクを考えれば、それなりの苦労はして当然。だから仕方なく、この後の予測と対策を頭の中で組み立てていく。
ひとまず、帰ったら真っ先に処分するために見合い写真を仕事部屋の机の上に置く。本や書類で挟んで、決して表に出ることのないように。
帰ってきたら写真が色褪せて白紙になってくれていたらいいのに。そんなことを願いながら車を走らせれば、ものの数分で学校に着いた。
今日もまた、楽しいオシゴトが始まる。
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