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〈side:Rika〉  黙々と食べる慧君は本当に可愛らしく、それを見ているだけで仕事の疲れも軽減する。たとえ世間一般的には『かっこいい男の子』であっても、俺にとっては違う。誰が何と言おうと、慧君を表現するのに最適な言葉は『可愛い』でしかない。 「…………リカちゃん。そんなに見つめられても、俺は野菜は食わないから」  野菜嫌いの慧でも食べやすいよう、濃いめの味付けにしたはずのメニュー。ご丁寧に皿の端に避けられたピーマンと人参に、零れるのはため息だ。 「慧君。それぐらいの量なら頑張って食べなさい」 「なんで野菜食べるのに頑張らなきゃダメなんだよ。どうせ頑張るなら、もっと他のことにする」 「他のことって、例えば?」 「今日からイベントだからな。初日にポイント稼いで、ランキング上位狙う。今回の報酬激アツだし」  おそらく昔の俺ならば、慧の言わんとする意味はちっとも分からなかっただろう。けれどこうして一緒に過ごすようになり、自然と理解できるようになった。  どうやら彼は自分が学生だということを忘れてしまったらしい。 「ゲームに対する熱意の半分でいいから勉強に向けばいいのにね……」  仮にも教師である俺を目の前にして、堂々と宣言してしまえるのはいかがなものだろうか。良くも悪くも、誰の前でも変わらないその性格に苦笑するしかない。 「でも、夏休みなんだからしっかり休めって言ったのはリカちゃんだ」 「そうだけどね。でも、しなきゃ駄目なことはするように」 「うるせぇ。なんでお前の言うこと聞かなきゃダメなんだよ」 「それは俺が慧君の先生で、慧君が俺の生徒だから。はい、注意はしたからこの話は終わり。ところで慧君、夏休みは楽しめてる?」  せっかくの時間を説教なんかに使いたくなくて、早々に話題を変える。それは慧の最近のことで、仕事ばかりの俺と違って充実しているように思えた。  友達……鳥飼と歩しか出てこないのは心配だけれど……と遊んだこと、公開になった映画の話、新しくできた本屋はマンガの品揃えが良いこと。すらすら出てくる内容は世間話の域を出ないけれど、どこかキラキラと輝いているように思える。  それを羨ましくないと言えば嘘になるけれど、僻むほど子供でもない。照れ隠しから語気を押さえつつも、喜びを隠せない恋人を正面から見つめる。 「それで、いつもみたいに拓海が歩に喧嘩売って、でも秒殺されて……って、なんだよ。なんでそんなに見つめてんの?」 「んーん。慧君が楽しそうに話してくれるから、俺まで楽しくなるなぁって思ってただけ」 「別に楽しくなんかないし。どうせ、せっかくの夏休みなのに、いつもと同じメンツで遊んでるなってバカにしてんだろ」 「そんなことするわけがない。俺はね、たとえ慧君自身であっても慧を卑下するようなことを言うのは許せないからね」  空になったグラスに水を注いでやると、慧はすぐさまそれを口に運んだ。けれど透明のグラスでは、仄かに赤く染まった頬は隠せていない。 「慧君の照れ顔だけでビールが飲めるね」 「そんなこと言って、リカちゃん酒飲めないだろ。歩はあんなに強いのに、お前はすっげぇ弱いもんな」 「それなんだよな。気持ち悪くなるとかはないんだけど、飲むとどうも自制がきかなくて。この前なんか、電柱を慧君だと間違って話してたらしいし」 「なにそれ。普通に怖いんだけど」  認めたくはないけど俺は酒に弱い。ビールでもワインでも日本酒でも、種類問わずにすぐ酔ってしまう。だから日頃は車移動を理由にして断るか、飲んでいるフリをして誤魔化すかのどちらかだ。 「少しは飲めるように慣れるべきなんだろうけど」  この体質を特に不便だと感じたことはないけれど、男としては少々情けない。今後のことを思って、多少は改善すべきかと悩んでいると。 「いいんじゃねぇの。リカちゃんって完璧超人だから、そういうところがあった方がいいと思う」  グラスを置きながら入る、慧君のフォロー。  情けないことも受け入れてくれる慧の心の広さに惚れ直す。今すぐ抱きしめたくなる衝動を抑え、同じように煽った水は甘い。まるでこの雰囲気が溶け込んだように、優しい味がした。  すっと身体の奥に馴染むこの感覚。穏やかで柔らかく、けれど僅かに胸が苦しく締めつけられる感じ。でも嫌悪感はなくて、心地良いと思える。 「こういうのを幸せって言うんだろうな」  俺の口から零れた一言は、大きな声ではないのによく通った。   

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