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〈side:Rika〉  他人と時間を共にするのは煩わしくて苦手だった。教師という仕事をしていても、深く人と関わるのは好きではない。弱さを見せたり、本音を晒したり。分かり合いたいなんていうのは言葉だけで、およそ中身のないものだと思っていた。  それが、今は違う。自分のことを全て後回しにしてでも、一緒に過ごす時間を多くとりたいと思う。恋愛事には慣れているはずなのに慧には通用しなくて、でもそれが楽しかったりする。  新しく知る自分自身に驚き、日々増えていく想い出を尊び、訪れる明日が楽しみで仕方ない。これ以上の幸せはないと思うのに、慧と一緒ならもっと上を目指せるような気もする。  たとえ悪いことが続いたって、最後には大きな幸福に包まれる自信がある。なんて言ったら、きっと君は白けた目で嘲笑うのだろう。  だから、全てを言葉に出すことはしなない。 「本当、慧君のおかげで毎日が楽しい」  あまりにもしみじみと言ってしまったからか、向かいに座る慧からの反応がなかった。いくら会話の流れで言ったとしても、少し重たかっただろうか。  視線だけでその表情を窺うと、嬉しそうでも泣きそうな、複雑な感情を必死に押さえ込もうとする姿がある。  おそらく俺の過去を想って心を痛めているのだろう。不器用で我儘で、けれど性根は優しいこの子を、悲しませたくはない。 「ということで、是非とも慧君にこの幸せのお礼をしたいから、今日こそは一緒に風呂に入ろうね」 「お前は……っ、珍しく真面目な話をしたかと思ったら、結局そうなるのかよ!」 「嫌だな。俺はいつも真剣だから。今だって真剣に慧君と一緒に風呂に入りたくて、真剣に洗いっこがしたくて、真剣に慧君とお風呂エッチがしたいと思ってる」 「よく本人を目の前にしてそれが言えたな。しかもマジな顔して言ってんじゃねぇよ、このド変態野郎」 「人間なんて生まれながらに変態なんだよ、慧君。発情期なしに365日いつでもセックスするのは人間ぐらいだからね。これ、テストに出るから覚えておくように」 「……今のが英語と何の関係があるんだよ。例文で出すつもりか?頭おかしいのか?」  慧の目が潤んだ切ない瞳から俺を蔑むものに変わる。でも、それでいい。それがいい。  あまりにも重たいこの想いを、全て受けとめてほしいとは思わない。それをぶつけるのは俺のエゴでしかないことは分かっていて、冗談めかした言葉の中に本音を隠す。 「頭おかしくてもいいから、とにかく俺は慧君とお風呂エッチがしたい。できれば抜かずに2回」 「もう黙れ。リカちゃんと話してると頭が痛くなる」 「それは大変だ。夏だからって油断して、風邪をひいたかもしれない。これは今すぐ心も身体も風呂で温まった方がいい。隅々まで」 「それらしいこと言ってニヤニヤしてんじゃねぇ。風呂に入りたきゃ1人で入れ」 「慧君は俺が1人で風呂に入って寂しくて死んでもいいわけ?死因が風呂場で孤独死だなんて、恋人として辛くない?」 「心配するな。その場合は、付き合ってることは記憶から抹消するから」  テンポよく交わす会話につられ、慧の態度もいつも通りになる。つまり口が悪く態度も悪く、目つきも悪い生意気な兎丸慧だ。  辛気臭い空気は慧には似合わない。そんなものは俺が1人で引き受けるから、慧には慧らしく過ごしてほしい……だなんて、大人の強がりでしかない。  普通の恋人同士ならばできることを、俺は与えてやれない。学校帰りにどこかに寄ることも、流行りの店に並ぶことも、グループで遊ぶことも。それを求めるような子ではないと分かっていても、やはり負い目はある。  だから家にいる時にぐらいは、可能な限り恋人らしく。慧が求めることは最大限叶えてやりたいし、本気で嫌がるならしない。これが俺の心情。 「慧君に忘れられるのは辛いから、今日は1人シャワーで我慢してあげよう。俺は片付けをするから、慧君は先に入っておいで」  大人らしく、余裕のある男らしく、君の意見を尊重する。本心を胸の奥に押し込み、そこまでがっついているわけではないと、無駄なアピール。  ──それが仇となることなど露知らず、呑気に笑っていた自分を悔いるのは、この後すぐ。

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