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〈side:Rika〉
本気のアプローチも冗談めかしたアプローチも、到底慧には通用しない。頑なに拒否され、散々なじられた挙句に待っていたのは1人でのバスタイム。しかも慧は自分の部屋で浴びてくるらしく、着替えさえ覗くことは不可能だ。どうして今日に限って用心深いのか……それはきっと、俺の所為だろう。
でも。ほら、夏の夜は長いわけだし。慧は明日も休みで、俺だって差し迫った仕事があるわけでもないし。そうなれば、少しぐらいの夜更かしは問題ない。
下心をたっぷり込めて入念に洗った身体からは、いつもと同じボディソープの匂いがする。自分の体臭がどんなものかは知らないけれど、きっと人より薄いのだろう。いつも良い匂いだと鼻を鳴らす慧を思いだし、自然と笑みが零れた。
「やっばぁ……想像の中でも慧君が可愛すぎる」
いつも余裕そうだと言われる俺が、実は常に煩悩に悩まされている。妄想ですら愛おしさが爆発しているだなんて、当の本人は知る由もないはずだ。
それは俺自身も同じ。来る者を拒むこともあれば、去る者の背中を後押ししてきた自分がこうなるだなんて、恋愛って恐ろしいと思う。
シャワーを止めて風呂からあがり、柔軟剤の香るバスタオルで身体を拭く。その間も考えるのは、やはり慧とのこれから。
今夜はどうして慧を可愛がろうか。それとも意地悪をして焦らして、焦らしまくって苛めてやろうか。どちらにせよ可愛らしい反応が返ってくることを楽しみに洗面所を出れば、それなりに髪を乾かしてリビングへと向かう。
「あれ……まだ戻ってきてないのか?さては……慧君もこれからを期待して、長風呂になっちゃったかな」
ソファにふんぞり返っていると予想していた彼の姿はない。いつもの定位置でアプリゲームをしていると思っていたのに、部屋は無人だった。
「んー……仕方ないか」
テレビを観る気にもなれず、せっかく綺麗にした身体に煙草の匂いをつけるのも勿体ない気がする。だから俺は、慧君を待っている間の時間潰しに仕事を片そうと仕事部屋へと足を向けた。
そして、見てしまった。
見てしまったのは俺も慧も、お互いに。2人とって見てはいけなくて、見ない方が良くて、見てしまったら後戻りはできないというのに。
見てしまったのならもう、誤魔化すことはできないというのに。
「なあリカちゃん。これ、なに?」
普段からは想像できないほど、ひどく静かな声で紡がれた言葉。
感情をどこかに置き忘れてしまったのか、それともどんな想いを抱けばいいのか不明瞭なのか。淡々と、端的に。それでいて逃げ道なく問われた質問に、ああ、終わったと思った。
「慧君、それは」
決して浮気ではないけれど、断じて違うと言い切れるけれど。だとしても、やましいことが一切無いのかと詰められれば、素直に頷くことはできない。
だって、慧がその手に持っているソレは、教頭に押し付けられた見合い写真なのだから。
「慧君それは、つまり……ですね」
なぜか敬語になってしまった俺を、慧君の冷めた瞳が映す。そこに映っている男は、笑顔を浮かべながらも口元を引き攣らせていた。
「それはつまり、なに?」
絶対に言い逃れられない状況。
時間を今朝に……せめて夕飯前に巻き戻せたなら、すかさず写真を処分したというのに。
「なぁリカちゃん。つまり、なに?」
現実逃避を許さない慧君の追求が、今、始まる。
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