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「なあ。俺ら、喧嘩してんじゃないの?……って、お前やめろ。くすぐったい」
首筋に触れる毛先がくすぐったくて、不意に出た声の甘ったるさに我ながら笑ってしまう。絶対に許さない、簡単には許さない……そう思っていたはずなのに、真正面から目と目を合わせて話している内に、どうやら絆されてしまったらしい。
「俺がお前の顔に弱いの知ってて、それ利用しやがったな。リカちゃんの浮気者で卑怯者」
「だから浮気なんてしてないって。もし本当にそんなことしたら、好きなだけ殴ってくれていいから」
「リカちゃんから顔の良さとったら何も残らないし。お前、自分がどれだけ見た目で得してるかわかってねぇな」
「慧君、それ褒めてるのか貶してるのか分からないからやめて。虚しくなる」
普段は強気なくせに、こうして弱ってる姿を見せられると悪くないかなと思ってしまう。そして、それと同時にもう少しだけ苛めたくなる。
「もう話すことないっぽいし、部屋戻る」
凭れかかってくるリカちゃんの身体を押すと、反対に手首を掴まれた。まるで手を握り合っているように見える体勢に、誰か来ないか廊下の奥を見る。忘れかけていたけれど、ここはマンションの廊下だ。
「慧君」
「なんだよ」
「けーいくーん」
「だから、なんだって聞いてんだろ」
はあ、と深いため息をリカちゃんが零せば、それは俺の首筋を直撃した。至近距離でそれは正直やめてもらいたい。
「本当に断ったから信じて。散々文句言われた挙句、根掘り葉掘り聞かれてさすがの俺もメンタル疲れ果ててる」
低く唸るリカちゃんは本気で疲れているようで、一体何があったんだって聞き出したくなる。根掘り葉掘り聞かれた内容と、その返答が気にならないって言ったらかなり嘘だ。真っ赤な嘘だ。
「あのハゲ教頭、普段から理不尽だけど今回は更に酷い。途中からさも自分が断ったみたいな雰囲気出しやがって。なんで俺がフラれたことになってんだよ」
「え、リカちゃんがフラれたの?」
「フラれてない。将来を決めた人がいるから無理だって断ったら、最初は食い下がってたくせに無駄だって悟ったんだろうな。実は俺は娘の好みじゃないんだって言い出して、本当はもっと条件の良い見合い話があるんだって謝られた」
「何それ。逆に向こうから断られたってこと?」
嫌そうに頷くリカちゃんに、思わず笑ってしまいそうになった。けれどそれを必死で我慢して、俺は細めた目で見る。笑っているのがバレないよう口元を手で隠しながら。
「リカちゃんでもフラれるんだ?へぇー。ドンマイ」
「別に慧君以外にならフラれたって平気」
「その割には悔しそうな顔してるけどな」
ヒクッと動いたリカちゃんの口元。こいつ、実は結構プライドが高いやつみたいだ。いつもは隠しているリカちゃんの一面に触れ、ニヤニヤと頬が緩んだのが自分でもわかった。
「今日の慧君やけに意地が悪くない?俺、そんな子に育てた覚えないんだけど」
「俺だってリカちゃんに育てられた覚えないし。ていうかさぁ、リカちゃんって本当は寂しいの嫌いだもんな。だから隣に住んでる俺なら何かと便利で……って思ってたりして」
ものすごく鬱陶しい。自分が。鬱陶しくて面倒くさくて、いい加減にしろよって思う。
それなのに珍しく落ち込んでいるっぽいリカちゃんをからかいたくて、でもって本心では否定もしてほしい。そんな欲張りでワガママな自分を隠すように俯いた。
だって、顔を見られたらバレるし。
本当はこうして来てくれたのが嬉しくて、きちんと断ってくれたことも嬉しくて、教頭に振り回されたことをざまぁって思ってることが。一目でも見られたらバレる。リカちゃんなら、絶対に気付く。
「でも残念だったな。今日はリカちゃんの相手してる暇ないんだよ。俺は学生らしく夏休みを満喫してるから、お前も飲み会でも何でも行――ンッ?!」
言い切る前に止められた言葉。それを飲み込んだリカちゃんの顔が間近にある。
「んっ…………ふン?!」
玄関の扉に押さえつけられたまま、上から覆いかぶさってきた影が俺を隠す。咄嗟のことに叫びだしそうになった悲鳴は、リカちゃんの口の中へと消えた。
「リカちゃ……ま、やめ……待っ」
何もわからないまま、辛うじてわかるのは強引にキスされてるってことだ。どこで、マンションの廊下で。誰に、リカちゃんに。それだけ。
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