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第5話

「ここ、ウチ」 「……マジかよ。ちゃんとした格好して来りゃ良かった。 で? 親御さんは?」  獅子原が玄関から中を覗こうと顔を傾ける。俺はそれを遮るように身体を動かした。 「親なんていない」 「んじゃ何時に帰る?」 「いない」  数秒黙った獅子原は、ため息をつき「あのねぇ。」と続ける。 「俺、お前の担任なの。お前の家族構成ぐらい知ってるっつーの。いいから出せよ」  その言い方…マジでガラ悪い。拓海が言ってた噂もまんざらじゃねぇかもしれない。 「だから…いねぇって言ってんだろ。お前はヤクザか」 「いや、そういうのもういいから。別に告げ口とかしないから安心しろって」  俺が親を出したくないのだと勘違いしてる獅子原に、わかりやすく状況を告げる。 「父親と兄貴は本宅にいる」 「んじゃ母親がいんだろ」   母親? 何それ。 「母親は…あの人は俺がガキの頃出て行って戻って来ない。出て行ったか行ってないかなんて聞かれてねぇから言わなかった。だからここには俺しかいねぇ」  そういう事。俺は母親に捨てられ、父親にも見放されたのだ。俺は『一人』なんだ。 「っつーワケで別に近所付き合いとかする気ねぇから」  閉めようとした扉を勢いよく獅子原の手が掴む。 「なに?」 「それ、もしかして飯?」  しまった。封を切ろうと思って左手に持ったままのカップラーメンを獅子原が指差す。 「そんなんばっか食ってんの?」 「食えりゃ何でもいいだろ」  どうせ胃の中に入りゃ溶けんだし。肉も野菜も何もかもドロドロになるんだから。  俺の顔とカップ麺を見比べた獅子原は、数回頷くと手をかけたままだった扉をグッと開ける。正直、その優男な風貌とは真逆の馬鹿力に驚いた。 「お前さ、ロールキャベツとハンバーグどっちが好き?」 「は?」 「難しい質問じゃないだろ。答えろよ」  難しくはないが意味がわからない質問に戸惑いながらも「ロールキャベツ」と答えると「わかった」と返される。 「んじゃ、一時間後また来るから待ってろ。間違ってもそんなモン食うんじゃねぇからな」 そんなモン、と獅子原が顎で指したのは、もちろん左手のカップ麺だ。 「なんでお前に命令されなきゃなんねぇの? 俺が何食べようとお前には関係ないだろ」 「関係、ねぇ………ないこともない」 「意味わかんねぇ」  親でもなけりゃ兄弟でもない。ただの担任に食べる物まで文句つけられたくない。  10㎝ぐらい高い位置にある獅子原の顔を思い切り睨みつける。すると目が合った獅子原は真っ黒な瞳を揺らめかせ薄く笑った。 「別に今はわからなくていいよ。それより待ってなかったら俺、ナニするかわかんねぇよ?」 「さっきから何言ってんのお前」 「一時間ぐらいおとなしく待ってろよ。それぐらいお前でも出来るだろ?」  人を小バカにして颯爽と帰って行く獅子原。もちろん素直に俺が従うわけない。  すでに沸き終わっていたお湯をカップ麺に注ぎ、表記通り五分待ってそれを啜る。食べ終えた容器をテーブルに置いたままソファーに寝転んだ。  だらだらとスマホでゲームをすること一時間。またチャイムが鳴った。  今度は誰が来たかわかっている。だから俺は無視を決め込むことにした。鍵がかかってんだから俺が開けさえしなきゃアイツは入ってこれない。  何度かチャイムが鳴り、やがてそれは止まる。 「やっと諦めたか。しつこいヤツ…」     ホッと息をついて何か飲むかと立ち上がった時だった。 「とーまーるー君。居留守使ってんのバレてるんだから早く出てこいよ」  聞こえるのは、玄関のドアを叩く音と間延びした獅子原の声。 「ここ開けるまで続けるけどー?」  宣言通り何度もドンドンと扉は叩かれ、その度に獅子原が俺を呼ぶ。 そこには遠慮なんてあったもんじゃない。  他の住人に聞こえるのも気にしないその行動。マジで強引な男だ。  足音を殺し、玄関扉の前に立つ。覗き穴から見た先には澄ました顔で立つ獅子原がいる。 「なぁ。早く開けてくんねぇ? そろそろ苦情くると思うんだけど」  それならやめればいいのに。けれど獅子原はやめるどころか口元を歪めて笑う。  黒い瞳が真っすぐに覗き穴を捕らえていた。   ……まるで俺が立っているのを知っているかのように。  その鋭い視線に俺は思わず後ずさってしまう。 獅子原がゆっくりと口を開く。 「なかなか強情なヤツだね、お前。そっちがその気なら俺にも考えがあるんだけど」 口元の笑みが更に深くなり、すごく嫌な予感がした。そしてそれは的中する。 「雀々丘高校一年二組、出席番号一八番の兎丸慧君! いるのはわかってるんだから開けなさい! 前回のテストで全教科赤点だった雀々丘高校一年二組、出席番号一八番の兎……「お前いい加減にしろよ! 教師が人の個人情報を大声で叫んでんじゃねぇ!!」」  思わず開けてしまった扉。その前に立つ獅子原が勝ち誇った顔で俺を見下ろす。  その顔、醸し出す空気はまさに俺様だ。 「だからナニするかわかんねぇって言っただろ?」  自信満々に言い放つ獅子原に、学校の噂もバカにならないと思った。

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