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第35話
翌日、俺が目を覚ましたのは自分のベッドの上だった。
寝たふりをしいたはずが本気で寝てしまったらしく、しっかりと布団がかけられている。きっと俺を運んでくれたのはリカちゃんだろう。
そんなリカちゃんは隣でまだ眠っている。
初めて見る寝顔は、いつもと違って少しあどけなくて、それでいて無防備で可愛い。かっこいいのに可愛いなんてズルい男だ。
その長い睫毛に触れれば「ん…」と眉を寄せるけれど起きる気配はない。調子にのった俺は、高い鼻筋に触って、頬っぺたを軽くつついてみた。
まだ起きそうにないのを確認してから薄い唇に触れる。
リカちゃんはキスが上手い…もちろん、上手いのはキスだけじゃないけど。
なんの経験も無い俺ですらわかる、あの手慣れた感じ。一体、今まで何人としたんだろう、という疑問が浮かぶ。
男とヤるのも慣れてるみたいだったし、躊躇いも一切無かった。だからこそ痛くなくて助かったんだけど……それはわかっているけど、気分は良くない。
勝手に想像して勝手に腹立つなんてリカちゃんは悪くない。いや、少しは悪い…のか、わかんない。
そんなことを悶々と考えているとクスッと微かに笑う声が聞こえた。
「なあ、触るだけで終わり?」
「…え?あぁ、うん…まぁ…って、起きてたのかよ?!」
「こんだけ好き放題触られたら起きるっての。いきなりやめたかと思えば百面相してどうした?」
リカちゃんの経験人数が気になりました。…だなんて言えなくて、はぐらかす。
「別に。それより腹減った」
「おはようの前にそれかよ。っぁー…飲みすぎて頭フラつく」
身体を起こしたリカちゃんが、こめかみを押さえた。形の良い眉が寄り、眉間に皺が浮かぶ。
「…おっさん」
「うるせぇ。つっても高校生から見たら26歳はおっさんなのかもな」
よいしょ、とベッドを出て行ったリカちゃんの背中が遠くなる。俺はそれを何も言わず見送った。
おっさんなんて思ってないのに、心にもない言葉ばかり出てしまうのはどうしてだろう。
「はぁ」
ベッドの上で1人、ため息をつく。すると、視界の端に白い物体が映り込んだ。
…さっきまでリカちゃんが使っていた枕だ。
ドアの方を確認して、おずおずとそれに手を伸ばす。ほんのり温かいのは、リカちゃんの体温が移ったから。俺の好きな、あのぬくもりを微かに感じた。
「まだ温かい…」
僅かにリカちゃんの体温が残る枕を抱きしめる。スンスンと嗅げば、ふんわりシャンプーの匂いがした。
香水とはまた違う甘さのある香り。近づかないとわからない、特別なそれを、思いっきり吸い込む。
「リカちゃん」
ギュッと枕を握りしめて顔を埋めた。そうすると、まるでリカちゃんに抱きついているような気持ちになる。
「リカちゃんも俺のこと、好き、だよな?」
もちろん枕は答えてくれない。だって、これはリカちゃんじゃないから。それがわかっていても、秘めた気持ちは止まらない。
「好き………リカちゃんが、好き」
「…………お前枕抱いて人の名前呼んで何してんの?」
「ッな、い、いつからいた?!!」
完全に1人の世界に浸っていた俺は、かけられた声に驚き部屋の入口を見る。そこには開けられたドアにもたれ、こちらを見るリカちゃんがいた。
匂いだけじゃなく、本物のリカちゃんが俺の反応に不思議そうな表情を浮かべる。
「今だけど……え、何だよ?」
「なんでもねぇよ!!!」
咄嗟に俺は逃げるように寝室を出た。ドアのところに立つリカちゃんを押しのけ、洗面所へと駆け込む。
「変なヤツ……もしかして、反抗期か?」
後ろから聞こえるリカちゃんの声に応えず、火照った顔を冷たい水で洗い流した。
モグモグ……ゴクン……パクッ、モグモグ……。リビングには、俺が咀嚼する音とテレビから聞こえてくるニュースが流れている。
「なぁ。なんでそんな拗ねてんの?」
別に拗ねてるんじゃない。恥ずかしすぎて目が見れないだけだ!…なーんて言えないから黙ってがむしゃらに食べる。
するとリカちゃんは、飲んでいたコーヒーのマグをテーブルに戻し、何てことないように言った。
「別に俺の枕の匂い嗅いでた事なんて気にしなくていいのに」
「あれは俺の枕だ!!」
「んじゃ俺が使ってた枕」
そう言われると言い返せない。確かに枕に顔を埋めてスンスンしてた俺が悪い。
あんなの誰がどう見たってただの変質者だろう。
リカちゃんが手を拭き、俺にそれを伸ばしてくる。眉間に指を当て、そこに寄せていた皺を伸ばすよう優しく撫でた。
「あんまりプリプリしてんなよ。ここ、すげぇ皺できてる」
甘く囁くような声に、単純な俺は嬉しくなってしまう…が。
そんな優しい雰囲気は一瞬だ。爽やかに笑っていたはずが、すぐに意地悪リカちゃんになってしまうんだから。
「可愛かったよ?俺の代わりに枕抱きしめてるウサギ。朝飯じゃなくてお前を食べたくなっちゃうぐらい、すげぇそそられた」
「…ックソ!くだらねぇこと言ってないで早く食べろよ!今日は用事あるんだろ?!」
「そこなんだよ。1時間でもあれば美味しく頂いてたのに…マジ残念」
ふざけて言うリカちゃんは今日一日予定があるらしく、すでに仕度を終わらせている。黒いVネックのニットが細い身体にフィットして益々エロい。チラリ、と覗く鎖骨が気になって、思わず顔をそらした。
食べ終わった食器を片した後、リカちゃんは一服して玄関に向かった。その途中で、俺を振り返って手を振る。
「んじゃ鳥飼に宜しく。あんまり遅くまで遊び歩くなよ」
宜しく言っちゃマズイだろ。そう言い返す前に玄関の扉が閉まった。
俺も支度をしなければ間に合わない……のに、身体が動かない。
リカちゃんの気配が残るこの部屋から出たくない。初めて知った恋は、俺にはとても厄介で、それでいて擽ったい。
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