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第53話
「ねぇ兎丸君。俺の言ったこと、もう忘れちゃった?」
後ろから鷹野の間延びした声が聞こえる。それを無視して俺は歩いた。
もちろん、この道は家に帰る為のそれなんかじゃない。ただ闇雲に歩いて、こいつが諦めるのを待つんだ。家に上げるなんて絶対にしたくなかった。
そんな必死な俺と違って、聞こえてくる鷹野の声は楽しそうだ。
「ねぇ慧」
「気安く呼んでんじゃねぇよ。お前の声聞くだけで虫酸が走るんだよ」
何を言ってもクスクス笑うのが腹立つ。
憎くて憎くて今すぐにでも消えてほしいぐらいに嫌い。こんなに誰かを嫌いになったのは初めてで、気持ちの持っていき場所が見つからない。
名前で呼ぶなと怒ると、鷹野はキョトンと首を傾げた。
「鳥と牛は良くて俺はダメなの?それって不公平じゃない?」
「…お前にだけは呼ばれたくない」
本当の不公平を俺に押し付けてるくせに。それを棚に上げて文句を言ってくるコイツの神経がわからない。わかったところで、仲良くなるつもりなんて無いし……そもそも、わかりたいとも思えない。
キッと睨むと、鷹野は何かを思いついたように両手を合わせた。
「ふぅん。あ、そっか。んじゃウサギって呼んであげようか?」
「なッ!!!て、てめぇ……!!!」
「どうせ、あの人はもう呼ばないんだろうし、丁度よくない?」
どこかでリカちゃんが俺を呼んでるのを盗み聞きしたんだろう。確信犯で俺の神経を逆撫でしてくるのが腹立つ。
人をからかうのが好きだとしても、こいつのやり方は気に入らない。 やり方だけじゃなく、俺はこいつの存在自体が気に入らないんだ。
「ねぇ。なんでウサギは俺との約束守らないの?」
「……」
「ハァ…強情だなぁ。んじゃ兎丸はなんで約束も守れないの?」
段々と刺々しくなっていく鷹野の口調に気付きながらも、俺は無視を続けた。
「バラされてもいいの?」
けれど、それは一瞬にして崩れ落ちる。俺と鷹野の関係は、常に鷹野が主導権を握っている……それを見せつけられた俺の足が止まる。
「……約束、なんてしてない」
「したじゃん。もうあの人に近づかないって」
「近付いてなんかない」
「いかにもヤってきましたって顔して何言ってんの。首のキスマーク増えてるもん」
鷹野の手が俺の首に触れる。ビクッと震える俺を高笑いしながら、首に回した手に力を込めてゆく。
「——苦し……いっ」
「本当にイライラするなぁ」
「鷹野っ、苦しい……っ離せ!!」
パッと離された手に、俺は膝から崩れ落ちた。地面に蹲り、肩で息をする俺の前髪を鷹野が鷲掴む。これが好きだと言った相手に対する行動だなんて信じられない。
「明後日から俺の家、誰もいないんだ。来てよ」
「…………なんで」
喉の奥の奥に息が詰まる。誰もいないって付け加えるんだから、きっとそれは『いいこと』ではないのは確定だ。
「既成事実でも作ってあの人に見せんの。そうしたらあの人もお前に興味失くすだろうしね」
「お前……最低…だな」
「それはどうも。あの人に遊ばれて、今もセフレやってんだから俺とヤるのも平気でしょ?」
「セフレなんかしてねぇ!!」
「兎丸君って可哀想なやつだね。辛いかもしれないけど現実は受け止めなきゃダメだよ」
今すぐ目の前の腐れきった野郎を殴ってやりたい。殴って、蹴って、言いたい事言って、それでもって全部リカちゃんに話したい。
「獅子原先生、守らなくていいの?」
でも、出来ない。
ただ好きなだけなのに。リカちゃんが好きで、たとえ叶わなくても思ってるだけでいいって自分に言い聞かせてるのに。
「大丈夫だよ。あの人がどんな抱き方するのか知らないけど、俺も結構上手いと思うから」
「お前……もう黙れよ」
今の俺に出来るのは、精一杯虚勢をはってコイツを睨みつけることだけ。俺は絶対にお前を受け入れないと主張し続けることだけだ。
「いっぱい可愛がって俺無しじゃいられなくしてあげるね」
さっき俺の首を絞めていた鷹野の手が、今度は頬に添えられる。ゆっくりと近づいてくる唇が何を意味するかわかって、俺は自分の手で覆って隠した。
次は殴られるんじゃないかと覚悟したけれど、鷹野はすぐ離れていった。
「まあいいよ。明後日の楽しみにとっておくことにするから」
明後日、俺は鷹野に抱かれる。
リカちゃんが教えてくれた温もりも、幸福も全て無くして、そうして目の前の最低野郎の玩具になる。
神様はいつだって俺に意地悪だ。
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