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第58話
自分勝手な感傷に浸っていると、眦を吊り上げた桃が俺の両頬に手を添える。それを思い切り振りかざせば、パンッと景気のいい音が鳴った。
ぶたれた肌がじんじんと痛む。
「さっきから聞いてれば自分の都合ばっかり!もう今さらいい人ぶっても仕方ないだろ?!それなら最後まで貫け。見えない先が怖いなら、そうならないよう死ぬ気で足掻いてみろよバカ」
「だから桃、俺の話聞いてたか?勝手なのは十分わかって……」
「うっせぇな!!高校生が必死に向き合おうとしてんのに、教師のお前がウジウジ言ってんじゃねぇよ!」
言い終わったタイミングで、また頬を痛みが襲う。これ以上殴られると手形が着きそうな気がして、俺は桃から身体を退いた。
けれど桃の非難する視線はなくなりはしない。
その鋭さを欠くことなく桃は続ける。
「お前さ、ウサギちゃんがウサギちゃんが……って言ってるけど、本当のところお前を許せないのはお前自身だろ。全部人の所為にしてんなよ臆病者!」
桃の言葉が容赦なく胸に突き刺さる。それは、桃に言われたこと全てが当たっているからだ。
あの日からいつも頭の中にあるのは後悔ばかりだった。
最初から全てやり直したい。悲しませたくない、泣いてるところなんて見たくない。
「ごめん」なんて言いたくなくて、「好きになってくれてありがとう」と伝えたい。たくさん揶揄って、意地悪をしたのは言えない『好き』の代わりだって知ってほしい。
許されるなら、俺は慧を誰よりも好きなんだって言ってしまいたい。
「そんなの許されるわけない」
やっぱり同じ結果にたどり着いた俺に、桃はチッと舌を打ち壁を殴った。
「親友に頼まれたんだろ?お前を信じたセイのこと、裏切ってんじゃねぇよ」
桃に星一のことを指摘され、抑えてきたものが溢れ出す。
星一のことを思い出す度に痛む心が、また悲鳴を上げて新しい傷を作っていくのがわかった。
「裏切れないからこうやって悩んで、諦めるしかないんだろ?!」
「……リカ。お前さ、セイがそんなこと言うと思うか?あの兎丸星一が、お前のことを悪く思うかって聞いてんだよ!」
星一は俺の生きる理由全てであり、俺が未来を閉ざしてしまった人だ。いつも笑っていて、どんな時も前向きで人のことを『リカ』とふざけた名前で呼び始めたのも星一だった。
今あいつは遠い空の向こうで「相変わらずリカは頭が堅い」とでも言ってるのだろうか。
それとも「くだらないことで悩んでバカか」と呆れているかもしれない。
キリキリと痛むのは胸か胃か、頭かわからなくなってきて瞼を閉じる。視界を閉ざしてしまうと、星一の顔がより鮮明に浮かんできた。
「……桃、俺が思い出す星一はいつだって笑ってる。あんな事をした俺にも笑ってんだけど、これも俺の勝手だと思うか?」
そう桃に問いかけると心底呆れかえった声で「バカ」と返ってきた。
本当はこんな事を桃に聞かなくてもわかっている。けれど誰かに言ってほしいのは、俺が弱いからだ。
そのことを昔から知っているオカマの悪友は、いつもの優しい声に戻って答えをくれる。
「セイがあんたに笑いかけるのは当然じゃない。だって、セイはリカのこと大好きだったもの」
「……お前、オカマのくせにこういう時は強いよな。俺が何日も悩んだ事に一瞬でケリ付けやがるんだから」
力なく笑った俺に桃がそっとタバコを差し出した。2人で燻らせた煙が宙へ消えてゆく。
和らいだ桃の雰囲気が、全てを投げ出した身体と心に最後の力をくれる。
「なぁ。立ち直れないほど玉砕したら慰めてくれんの?」
情けないほど弱い声が出てしまった俺に、桃は吹き出した後に肩を小突いて返してくれる。
「その時は朝まで付き合ってあげるわ!もちろん豊も一緒に決まってんでしょ。あんたは俺様リカ様じゃなきゃ!」
「それってヤケ酒ってこと?26にもなって失恋で荒れるなんてダサい」
「あら、そういうリカも素敵だと思うわよ」
桃が笑う度に、心臓を突き刺していた痛みが薄らぎ……すっと消えた。
見えない未来に怯えるよりも、消えない過去を悔やんで嘆くよりも、今ある大切なものを守りたい。
そう思えたのは、ウサギが俺に対して真っすぐ気持ちをぶつけてくれたからだ。
「あー……慧に会いたい。今すぐ会いに行きたい」
「あんた本当にウサギちゃんのこと大好きなのね」
その通りなんだから否定できない。煙草を吸ってごまかすけれど、隠しきれない気持ちは溢れ、わかりやすい俺の態度に桃が肩を揺らして笑った。
「こうなるのも仕方ないだろ。誰かを好きになるって大変なことなんだなって初めて知ったんだから」
「え、なにその初恋みたいな反応」
「なんだよ……笑いたきゃ笑え」
拗ねるように言った俺に、桃は今度は笑わずに嬉しそうに微笑んだ。
俺を励まして叱ってくれて…そして嬉しそうに笑ってくれる桃。その笑顔を見た時、なんだか俺も久々に心から笑えた気がした。
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