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第75話

「ねぇ。ところでさぁ…」  事件は拓海の、この言葉から始まった。 「桃ちゃんって弁護士さんなの?」  俺も今日聞かされた話題。すっかり忘れていたそれを、拓海が桃ちゃんに訊ねる。 「そうよー。敏腕売れっ子弁護士なの。凄いでしょ?」 「ふぅん。桃城さん?それとも桃山さん?桃ちゃんってなんて名前なの?」  そう言えば俺も桃ちゃんのフルネームを知らない、ということに気づいた。そして、歩も知らないらしく、俺と同じく黙って桃ちゃんを見る。  そこからは、なぜか沈黙が訪れる。  向かい側には、黙り込みスプーンを握ったままの桃ちゃん。俺の隣には、グラス片手に肩を震わせ、笑いを堪えるリカちゃんがいる。  誰も何も言葉を発さない。  そして、その沈黙はある人によって打ち破られた。 「聞かれてるんだから答えろよ………………大熊 桃太郎」  美馬さんの言葉にシーンとその場が固まる。まるで時間が止まったみたいに感じる数秒の後。 「……プッ」  小さく、誰かが吹き出した。それを皮切りに拓海とリカちゃんが笑い出す。 「ぷはっ!!大熊ってだけでも驚くのに桃太郎…っ!厳つい!!っつーか普通そこは金太郎だよな!!」  誰に同意を求めているのか、テーブルを叩きながら笑う拓海。 「久しぶりに桃のフルネーム聞いたけど、やっぱインパクト強すぎだわ……やっば」  歪んだ口元を隠しながらも、からかう目を桃ちゃんに向けるリカちゃん。  暴露された本人は、俯き拳を握っていた。あまりに2人が笑うもんだから、桃ちゃんは顔を上げ、睨みつける。 「うっせぇな!!好きでこんな名前なんじゃねぇよ!」  すっかりオカマ口調が消えた桃ちゃんだけど、顔が真っ赤で全然怖くない。教室で見たのとはまた違う桃ちゃんがそこにはいる。 「ちなみに金太郎は弟」 「豊!!人の事ネタにしてんじゃねぇぞ!適当な理由つけて訴えんぞ!!!」    テンポよく次々と桃ちゃんの秘密を零していく美馬さんに、桃ちゃんの怒りは最高潮だ。びしっ、と指さし荒々しく言うけれど…… 「あぁ?何職権乱用してんだよ」  桃ちゃんが美馬さんに勝てるわけない。悔しそうに唸った桃ちゃんに、俺の隣に座る性悪教師が追い打ちをかける。 「桃太郎先生、それはダメだろ」 「てめぇだってリカとかふざけた名前だろうがよ!」 「いや俺はアキヨシだから。リカはあだ名だから」  顔を赤くし、荒々しく桃ちゃんがグラスを煽ると、8割以上入っていたビールが一瞬で消えた。空になったグラスを受け取ったリカちゃんが、おかわりを注ぎながら言う。 「桃の名前は鉄板だよな」 「うっせぇな!少しは弟見習えよ!」 「こいつは驚いて固まってるだけだろ。まさかオカマの名前が桃太郎なんて男らしいとは…なぁ歩」  ずっと話に入ってこなかった歩。拓海と違って笑ったりはしていないけれど、桃ちゃんを見つめている。その口角が片方だけ上がった。 「オカマの名前が……桃太郎、ウケる」 「兄弟してオカマって言うんじゃねぇよ!おネェだ!!」  目をガッと見開いた桃ちゃんは、性格の悪い兄弟に冷やかされ、またもやビールを一気に飲んでしまった。リカちゃんと歩には敵わないと思ったのか、桃ちゃんはキッと隣の美馬さんを睨みつける。  さっき言い負かされたのをもう忘れたんだろうか……嫌な予感がする。 「豊だってそんな強面のくせに特技は折り紙とあやとりの器用な保父さんだろうが!」  桃ちゃんの言葉に、まさか……と驚いて見つめる俺と拓海、歩の視線を美馬さんは平然と受け止める。

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