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第4話
あの騒ぎの夜から数日経ち、スパークルは図書室に来ていた。
インキュバスが何なのか気になっていた。自分を襲った者の正体。あの夜、あの部屋にいたみんなの空気から、アシュレイに聞くのもはばかられた。
ディアマンとアシュレイがよほど上手く校長先生に話してくれたのか、スパークルが個人的に呼び出されて、事情を聞かれることはなく、また、他の生徒たちにも低級悪魔が侵入したことは知らされていたが、その正体がインキュバスだということは伏せられていた。
魔物図鑑を手に取り、ページをめくっていく。目的のものはすぐに見つかった。
インキュバス。女性と性交する悪魔。淫魔とも夢魔とも呼ばれる。
性交や淫魔という文字にスパークルはドキッとする。読み進めると、襲われる人間の理想の異性で現れるので、襲われた者は拒むことはできないなどと書いてあった。
なぜ男の自分がインキュバスに襲われたのかは疑問だったが。異性ではないものの、スパークルの理想がアシュレイということになるのだろうか。
思い返すと生々しさに息がつまる。けれど、それは嫌悪からくるものではない。
アシュレイに化けたインキュバスのキス。唇は首から胸へと降りて、手はスパークルの……。
あれがもしインキュバスではなく、アシュレイだったら?
身体の中心が熱くなる。じわっと火照るように。スパークルはそんな身体の反応に戸惑いを覚えて、断ち切るように本を閉じた。少し乱暴に棚に戻す。
足早に図書室を後にした。
いけない想像をしてしまって、アシュレイに対する罪悪感があった。秘密にしておきたい自分の欲望を暴かれたような、後味の悪い感覚。
インキュバスに襲われたあの日から、アシュレイのスパークルに対する態度は少しだけ変わった。あからさまに避けられるなどではない。今までどおり、優しく普通に接してくれているのに、どこか距離があるのをスパークルは感じていた。
今は部屋も同室なのに、必要以上には近づけない壁のようなものを、アシュレイからは感じるのだ。以前にはなかったことだ。それがスパークルには辛かった。
一方でスパークルもアシュレイのことを必要以上に意識してしまっていたから、心の距離は広がるばかりだった。
自分の無意識の欲望が、アシュレイの姿をして現れた。インキュバスにつけ入る隙を与えた。それをアシュレイは気づいたのではないか。
気づいて、知っていて。だから、嫌われた?
「はぁ……」
その考えに行き当たり、スパークルは肩を落とす。
好きなのに。ずっと憧れる存在で、尊敬もしている。大好きなのに。
『好き。大好き』
スパークルははっとする。
そうか。好きだったんだ。
自分はアシュレイのことが……。
スパークルは完全に足を止めて立ち止まる。渇いた笑いがもれた。
たった今、自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
スパークルははじめて知った。アシュレイにずっと抱いていた気持ちが、恋だったことに。
そして、気づいたと同時に、失恋した。
だって、嫌われてるんだから。
勝手に涙がこぼれる。
寮とは反対の方向へ踵を返す。アシュレイの部屋には、戻りたくなかった。
ぐぅぅ……。お腹が鳴る。
「お腹へった……」
ひとしきり泣いて、泣き疲れたらお腹が減ってきた。食欲すらないと思っていたのに、身体は正直だ。
今ならまだ寮の晩ごはんに間に合うかもしれない。でも、戻る気にはなれなかった。
スパークルは学校の敷地の外れにある小高い丘の上に来ていた。寝転ぶと満天の星空が見える。吸い込まれそうに広い夜空を見上げていると、眠気が襲ってきた。
そういえば、ここ数日の間、緊張してよく眠れなかった。
あの日から、アシュレイと同じベッドで寝ることになっていた。アシュレイの部屋にベッドはひとつしかなく、かなりの大きさと広さがあった。だから、二人で寝ても離れて寝られるし、支障はないだろうということになったのだ。
アシュレイと同じベッドで眠る緊張もあったし、インキュバスにされたような淫らなことを、夢でも見てしまうのではないか?そう思うと心配で寝つけなかった。
まぶたが重くなる。ほどなくして、スパークルの意識は眠りの誘いにまぎれていった。
どれくらい眠っていたのか?
遠くで名前を呼ばれた気がした。
もう一度。
スパークルははっと目を覚まして起き上がる。
今度ははっきりと聞こえた。アシュレイが自分の名前を呼ぶ声を。ひどく切羽詰まっていのを感じた。
慌てて返事をしようとした時、白い光がさぁぁぁっと丘を走り、辺り一面を照らした。アシュレイが魔法をライト代わりに使ったのだとわかる。
「スパークル!」
スパークルの姿を見つけて、アシュレイが駆け寄ってくる。
ディアマンとハリルの姿もあった。
「どうしてこんな所にいるの?どれだけ探したと思っているんだ」
スパークルの近くに来るなり、アシュレイが問い詰める。暗くて表情ははっきりと見えないが、彼が怒っているのが声だけでわかる。
アシュレイに嫌われて、失恋したから、部屋に帰りたくなかった。なんてとても言えない。
「ごっ……ごめんなさい」
気まずく口ごもりながら、スパークルはそれしか言えなかった。
「話は後だ。戻るぞ。先生たちも探しているし、みんなも心配している」
ディアマンが促す。
「そうだね」
アシュレイが手を引いて、立ち上がらせてくれた。
ディアマンとアシュレイが先を歩き、ハリルと一緒に後をついて行く。
「俺、飯食ってる最中だったんだからな。さんざんお前を探し回って疲れたんだからな」
ハリルは隣で文句を言っている。
「ごめん。悪かったよ」
スパークルは平謝りに謝るしかない。
「飯はともかく、あの騒ぎがあったあとだ。先生たちもピリピリしてる。叱られるのは覚悟しとけよ」
「はい。すみません」
「あの騒ぎ」がインキュバスのことを指しているのはすぐにわかった。
低級悪魔の侵入を許したということで、魔法学校の警戒と緊張は高まっていた。他にもっと邪悪な者が入り込んでいないか、結界の修復や強化など、先生や教師育成クラスのメンバーたちも日々奔走していた。
そんな中でのスパークルの行動は、軽率で身勝手としか言いようがなく、ひたすら反省するしかない。
アシュレイが何も言わないことも気になった。相当怒っているのか、無言で足早に歩くだけだ。先生たちに怒られるよりも、スパークルにはその方が憂鬱で、気が重かった。
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