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第5話 過去との決別

「行ってきます」  返事はない。暴力による支配から逃げる為に父から逃げた。誰にも引越し先を告げる事なく、住民票の開示もできないよう手配した。  目の前で母親が殴られているのを見るのは何より怖かった。父親の暴力からようやく逃げられたのだから喜ぶべきなのだろう。  ただ俺には幸せな未来なんて約束されてはいなかった。高校くらい卒業したかった。  精神が張りつめた糸の状態だった母が一人で生活費を稼いでなどとできないことはわかっていたが、父から離れさえすれば少しは自分の力で立てるとそう信じていた。  現実は、想像より酷だった。それだけのこと。母の心が壊れたのは、父から逃れ二人で生活を始めたすぐ後だった。眠るのを拒否し、食事を拒否し……生きることを放棄しようとしていた。  高校は辞めた、仕方なかった。アルバイトの掛け持ちでなんとか食いつないだ。  年齢を誤魔化して夜中まで働いた。それでも病気の母親を支えて生活をするのは大変だった。金がないことがこんなに苦しいとは思ってもみなかった。  母親に似ている俺の外見は商品価値がつくらしい。道を歩けば声がかかる。でも表にでるような仕事はしない。父親に俺たちの居場所を教えるわけにはいかないから。  今月は病院代が(かさ)んだ。家賃を今週末までになんとかしなきゃならない。そのあてはない。もう苦しい、いっそ俺が死ねばいいのかとギリギリ状態で苦しんでいる時に声をかけられた。  「一晩いくら?五万でどうだ?」  そう声をかけてきたのは、高そうなスーツ姿の紳士。五万……喉から手が出るほど欲しかった。たった一晩で……。  「七万なら」  ふっかけたつもりだった、ちょうど家賃の分。これを払えれば追い出されることはない。  そうするとその紳士はふっと笑った。  「良いだろう。その代わりに他の条件はのまない、それでどうだ?」  瑞樹……ごめん、本当にさよならだ。どこかでまた会えたら、そうしたらまた恋人に戻れるかも知れないと自分に甘い考えがあったことに驚いた。  良かった、こんな汚い俺を見せる事なくて。最初の相手が瑞樹で良かった。  「いいよ、その条件で。その代わり先にお金見せて」  この瞬間、ようやく全てを捨てる決心がついた。

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