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奏多の焦燥

この通称南のマンションは豪奢に見えるが見かけほど高級ではない。 エントランスの白地に散らばる斑紋が綺麗な床材も実は人口大理石。 その床に異質な赤い点々。 奏多の眼はそれに吸い寄せられる。 その赤は陽太の身体から流れでた血。 奏多はスマホを握りしめ、暗澹たる思いで目を逸らした。 玄二から新田に陽太行方不明の第一報が入ったのは夜八時前。 奏多は翼と組が経営する中華料理店でテーブルを囲んでいた。 「何だと?」 腰を下ろして耳元で囁く新田に一段と低い声で、そう返していた。 「今、玄二達が探しています」 「何があった?」 『夜ご飯はハンバーグがいいな、甘いニンジンのグラッセをつけてね』 と、リクエストしていた陽太。 今日の陽太は講義が目一杯入っていて、帰りは夜の八時頃と言っていたらしい。 夕食の下ごしらえをしてから、迎えに出る予定の玄二。しかし、徹からの午後五時の定期連絡が入らず、再三のラインにも電話にも徹が応えることは無く、不審に思った玄二は陽太のスマホのGPSを作動して大学に急行。陽太の友人の淳と真斗を探し出し、その二人から陽太が置いていったリュックを受け取った玄二。 「二時の講義から出ていません」 そう聞いた玄二は愕然としただろう。 陽太と徹がいなくなってから、最低でも五時間は経っているのかと。 テーブルの向こうに座る翼は我関せずと目の前の大海老のチリソースにむしゃぶりついている。 それを横目に奏多は問う。 「徹と一緒なのか?」 「恐らくは」 一体陽太はどこへ。 突拍子のないのはいつもの事だが、タイミングが非常に悪い。 この一カ月、阿須賀組への情報網を張り巡らしてきた奏多。阿須賀組との諍いも日増しに多くなり、先日はとうとう組から逮捕者まで出した。 半年前から阿須賀組には佐倉の大学の後輩である米田が潜り込んでいる。 半グレのふりをさせ阿須賀組の下っ端に近づけた。佐倉同様に工学部出身で、パソコンやメカに強い。そして株にも詳しい。それで、下っ端の連れでも、寄せ集めに近い新興勢力の阿須賀組には重宝された。 たまに米田に指示して阿須賀組に株取引で儲けさせた。金が増えることに比例して米田は阿須賀組の内部に入り込んでいく。三カ月経つ頃には下っ端の連れよりも格上になっていた。 その米田から大量の武器を仕入れる為の資金が少なく難航していると報告があった。 それを知った奏多は一計を案じた。 米田の兄貴分にそれとなく大金が稼げる架空の株取引の話をもちかけ、兄貴分から幹部にその話が行くように仕向けた。 幹部は一も二もなくその話に飛びついた。 米田がパソコンに向かって株取引をしても画面を覗きこむでもなく儲けた金額だけを気にしていた。 金は奏多が用意した。 大金を手にした幹部は組長と共に武器を買う算段をマフィアとつけていく。自分の手柄にしたいのだろう。 その上、米田を金を生み出す木と位置づけたのか、面白い様に内部情報を漏らす。 その武器の取引は今日。 武器はかなりの量で取引場所は大阪から東へ50キロの寂れた漁港。 船で武器は運ばれてくる。 田所を見張りとして送り込み。 奏多は満を持して警察の知人に武器の取引をタレ込んだ。 そして。 もう一つの奏多の企み。 この世から陽太を苦しめる奴を全て消す。 陽太に化けた翼とデートを繰り返した奏多。 奏多がいれば護衛も多く、付け入る隙はない。武器の取引の今日、美和を含めた残りの組の者をおびき出す。 計画通りに、中華料理店を出てから奏多は組事務所に戻り、翼は護衛と運転手付きの車で南のマンションまで送らせた。 阿須賀組の人員は武器取引に多数取られていて、こちらにはいつもより人数は少ないはずだ。しかし、翼一人の好機に少人数でも連れ去ろうとするだろう。 襲うなら、翼が車を降りた時。 その場所は南のマンション、エントランス。 この機会を逃してはならない。 このために陽太と会わなかった。 奏多の乗った車は組事務所へ向かう。 指揮系統は若頭の奏多。 傍らには新田。 組長は上階の執務室で吉報を待っている。 組にとって重要なのは阿須賀組の壊滅。 陽太の事は、二の次でも構わないこと。 陽太が行方不明で、奏多が居ても立っても居られなくとも。 だが。 「急げ!」 奏多は行き先を南のマンションへ変えた。 様子のおかしい陽太の友人である真斗から聞き出したと、玄二から連絡が入ったのだ。 「陽太さんは、南のマンションにいる可能性が高いです!」 翼に遅れること五分。 何故? 何で、陽太が南のマンションにいるんだ? 嫌な予感しかしない。 南のマンションに着いて車を飛び出すと同時に見えた陽太。 血を流した陽太。 「陽太!」 車が音を立てて急発進する。奏多も乗りこもうとしたが、新田に阻止された。 「離せ!」 「頭!田所からです!」 「クソッ!貸せ」 奏多は新田の手からスマホを奪いとった。 それは田所から、万事滞り無く終わったとの知らせだった。その間にも車は次々と走り去る。 「美和を逃がすな」 奏多の声に新田に次々と指示を出す。 徹が項垂れて座り込んでいる。傍らにはしがみつく翼。 「徹、説明しろ」 普段は冷静沈着な奏多が見せた動揺。 下の者には初めてのことだろう。 黙る徹に奏多の蹴りが…入る前に荒い息の玄二が徹の胸元を持ち身体を吊り上げていた。 「どういうことだ」 玄二の怒りが凄まじい。 徹が玄二の重い拳をくらい倒れた。 組事務所に戻った奏多はひたすらに連絡を待つ。 佐伯が憮然として、ソファーに座っている。 玄二が怒り狂い徹と翼を締め上げて、おおよその事情が判明した。 真斗…。どこかで聞いた名前。 そうか、翼から聞いたのか。 真斗と翼は幼馴染だった。翼は真斗に南のマンションの場所を書いた手紙を陽太に渡すように脅しをかけた。そして徹は翼が好きなのを利用された哀れな男。 阿須賀組は壊滅して、マフィアは一旦自国へ引くだろう。 奏多の企みの大部分は成功に終わった。 美和の愛人は武器取引の場で逮捕されたが、美和が住むマンションは既にもぬけの殻だった。 美和を含めて四人で陽太を連れて逃げている。 どこにいる陽太? 傷は止血されているか? 頑張るんだぞ。 必ず助けだすから。 陽太。 陽太。 陽太。 夜が明けて、雨が降り始めていた。

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